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魔女の秘訣

 その人はグループホームでも人気者だった。

 名前は佐藤さんという。軽い認知症の症状があるということだったが、いつも身奇麗にしており、背筋を伸ばして歩いている。私のような新人のスタッフにも気さくに話しかけ、佐藤さんの周りにはいつも人の輪が出来ていた。傍から見ていても、取り囲む輪には男性が多いことが分かる。若い時はさぞかしモテたのではないだろうかと思えたし、それは年を召した今でも健在そうだ。

 そしてなぜか周りからは「魔女の佐藤さん」と呼ばれていた。


「魔女、なんですか?」

 散歩の時間。ホームの周りをぐるっと一周するだけの簡単なルートだけれど、町から少し離れた場所にあるためか、この季節には道端に草木が生い茂り、気持ちの良い小道が続いていた。小鳥のさえずりもびっくりするほど近くから聞こえてくる。
 私は佐藤さんの隣をペースを合わせてゆっくりと歩きながら話しかける。佐藤さんは道端の野草を熱心に眺めながら答えてくれた。

「そうね。周りの人はそう呼ぶわね」
「なんでなんですか?」
「なんででしょうねぇ。野草に詳しいからかしら」

 そう言いながら佐藤さんは道端の草を指さす。

「例えば、これはドクダミね。聞いたことないかしら?」
「ドクダミ茶とかありますよね」
「そうそう、乾燥した葉っぱや茎をお茶代わりに飲むと、動脈硬化や高血圧の予防になるのよ。ただおしっこも近くなるから気を付けないとね。それからこれはゲンノショウコ。これも有名じゃないかしら。飲むとすぐに効くから『現の証拠』。乾燥させた葉や茎を煎じて飲むと下痢止めになるのよ。かぶれや湿疹には煎じた液をガーゼなどに浸して患部を湿布すると効果があるわね」

 道端に立ち止まり、ひとつひとつの草をこちらに分かるように指で示しながら丁寧に教えてくれる。

「私にはどれもただの草に見えます……」
「知らない人からみたらそう見えるわね」

 佐藤さんは笑いながら葉っぱをひとつ摘まみ取る。草オンチの私にはもうそれがどの草なのか分からなくなっていた。

「でもねぇ、野草の事はよく覚えているのに、もう亭主の顔も思い出せないのよ。ずいぶん前に亡くなったからというのもあるのだけど」

 葉っぱを指で弄びながら、ふと寂しそうに佐藤さんは言う。

「それに最近は時々息子の顔も分からなくなるの」
「それは……辛いですね」
「思い浮かぶのは小さいときの息子の顔なのよ。いつまで経っても私にとっては小さいままなのね」

 小さく微笑みながらそう告げる佐藤さんの横顔は、彼女の若いころを髣髴とさせた。おそらくは苦労もあったのだろうが、その苦労を感じさせないくらい明るい家庭だったのだろうと思う。
 しばし思い出を噛みしめる様にして摘まんだ草を見つめていた佐藤さんだったが、こちらを向いたときには口の端に笑みを浮かべていた。

「子供はいいわよ。もちろん苦労も多いけど、いてくれるだけで楽しくなるわ。あ、今どきこういうのは良くないのかしら」
「いえ、構いませんよ」

 私は手を振って許諾の意を示す。そういう気遣いができるだけでも気持ちが若いのではないだろうか。私の様子を見て佐藤さんは目を輝かせて聞いてきた。

「あなたはどうなの?いい人はいるのかしら?」

 いきなりの質問だった。まさかそのまま話を続けて来るとは思わなかったので私はしどろもどろになりながら答えた。

「ええと、まあ、一応は……」
「あらあら!それは良いわね。どんな人なのかしら」

 もはや草木のことなどそっちのけで、こちらの事を根掘り葉掘り聞いてくる。どうやら格好の獲物だったようだ。まるで恋に恋する少女のようなその眼差しに私の方がたじたじになり、なんとか一言返すのが精いっぱいだった。

「佐藤さん、まるで若い女の子みたいですよ」

 私がそう言うと、佐藤さんは一瞬きょとんとした顔をした後、「なにしろ魔女だから」と言ってにこりと笑う。

「魔女になる秘訣はね、たくさん恋をすることと、年を取るのを忘れることなのよ」

 そう付け加えて、佐藤さんは悪戯っぽくこちらを見上げるのだった。

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