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【掌編小説】Princess On The Bridge

綺麗な子だな、というのが彼女の第一印象。特に惹かれたのはその瞳だった。強い意志を感じさせる少し怖いくらいの瞳。
転校してきてすぐの私は、彼女が『橋姫』と呼ばれているのを聞いて首をかしげた。すると最初に出来た友達の由衣が答えてくれた。
「名前が『橋本美姫』だからだよ」
「確かにお姫様みたいだね」
教室の輪の中心にいる彼女を見ながら思わず呟いた。
「明日香もやっぱりそう思う?あんなに綺麗なら毎日が楽しいだろうなぁ」
由衣が言うように、彼女はクラスのアイドルで私とは縁がない子だと思っていた。

学校での橋本さんはまさに「お姫様」だった。だから学校からの帰り道、橋のたもとで向こうからやってくる人影を見たとき、最初は彼女だと思わなかった。普段のおしとやかな印象とは違っていたし、なにより年上の男の人と親しげに腕を組んでいたから。なぜかとてもいけないものを見た気がして私は立ち止まる。
彼女は男の人と腕を組んだまま歩いてくる。あまりに立ち止まったままだと不審に思われるかもしれない。私はぎこちなく歩き出す。二人が近づいてくる。十メートル、三メートル、一メートル……すれ違う。
彼女はまったくこちらに視線を寄越さなかった。
私はほっとして体の力を抜くと、そのままそこから逃げるように去った。

翌日の教室で由衣とお喋りをしている間も、昨日のことがまるで幻だったように思えてしまい、つい橋本さんを目で追ってしまっていた。
「ちょっと明日香、さっきからぼーっとしてるけど、聞いてる?」
頬を膨らませる由衣に、抑えきれなくなった私が橋本さんのことをこっそり告げようかと口を開きかけたところで、強い視線を感じた。そちらを向くと、橋本さんがあの強い眼差しで私のことをじっと見つめていた。教室の対角側で、間に何人も生徒を挟んでいるというのに、熱まで感じさせるような視線だった。私の態度にいよいよ怪訝そうな表情をする由衣に「なんでもない」と誤魔化すと、ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。

授業の後にトイレから戻ってくると、机の中にメモが一枚こっそりと入れられていた。差出人は橋本さん。メモの通りに放課後の教室で待っていると、橋本さんは教室に入ってくるなり私に告げた。
「見てたよね?」
何のこと、ととぼけようとしたけれど、「昨日の、橋の上」と続けた彼女の言葉に私は思わず頷いてしまっていた。
「大丈夫だよ、その私、別に先生に密告したりとかしないから」と慌てて告げると、橋本さんは疑わしそうな表情でこちらをじとりと見つめてくる。こちらが不安に駆られた瞬間を見計らったかのように次の瞬間、彼女はにこりと笑って「ならいいけど」と告げた。
まるで引き込まれそうな彼女の笑みにああそうか、と納得する。この笑顔を向けられたら、どんな男の人でも魅了されてしまうだろう。私は無理やり彼女から目をそらすと、逃げるようにして教室を去った。

通学路の途中、どうしても例の橋の上を通ることになる。なんとなくうつむき加減で足早に橋を渡っていると、下ばかり向いていたから前から来る人に気づかずぶつかってしまった。尻餅をついた私に「大丈夫かい?」と声がかかる。顔を上げて、私は思わず「あっ」と声を出した。目の前で心配そうに立っていたのは、昨日橋本さんと歩いていたあの男の人だったからだ。戸惑っている私を不思議そうに見つつも、私の手を取って立ち上がるのを助けてくれた。
「あの、すいませんでした。よく見てなくて」
「こっちこそごめんね」
優しく微笑むその人に私がおずおずと笑みを返す。次の瞬間、その人の表情が突然凍り付いたように固まった。彼の視線を追って私が後ろを振り向くと、そこには能面のような表情をした橋本さんが立っていた。
私と男の人は金縛りにでもあったかのようにそこから動けない。彼女はこちらを見つめた後、ふっと視線を外し、無言で踵を返して立ち去っていった。男の人を見ると、立ち尽くしたまま顔面蒼白になっている。そのまま夢遊病者のように彼女を追う彼を、私は見送るしか出来なかった。

違和感を思い出す。そうだ。ここで二人を見たとき、彼はまったく笑っていなかった。彼女はほころぶように笑っていたというのに。

それから数日後。件の橋から男性が飛び降り自殺したという事件があった。
あの男の人だった。

古典に登場する「橋姫」は橋にまつわる嫉妬深い神様らしい。丑の刻まいりの原型ともなったその神様を私はどうしても彼女と重ねてしまう。以来、私は橋本さんの顔をまともに見ることが出来ていない。

ある日の放課後、忘れ物を取りに戻った教室で、橋本さんと鉢合わせてしまった。無言で目を合わせないように横をすり抜けようとした時に、橋姫がぽつりとつぶやいた。

「密告したりしないんだよね?」

私はそれに答えず、無言でその場を立ち去った。背中に痛いほどの彼女の視線を感じながら。

<了>


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