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【短編小説】腸詰奇譚 4話

奇妙な銀ブラ 

翌日の午後三時過ぎ。

晴海通りと銀座通りの交差点、今はPX(米軍の売店)となっている旧服部時計店前と設定した待ち合わせ場所に到着した乱歩の前には、定子と丸山が立っている。定子はともかく、まさか丸山が来ているとは乱歩は思いもしていなかった。

「丸山くん、君が来るとは思わなかったよ。店の方はいいのかね」

「あら先生、お給金は先生が立て替えてくれるのでなくて?」

「定子くんの分はそう言ったがね。……まあいい。ずいぶんと高い買い物になってしまったものだ」

たのしそうに微笑む丸山を見て、諦めたように乱歩は言う。定子は二人の間で困ったように小さくなっていたが、乱歩に促されてくだん独逸ドイツ料理店へと二人を案内した。

大通りの反対側から店の方を伺うと、大繁盛とまではいかないものの、それなりに客の出入りはあるようだった。ただ確かにボーイの言ったとおり、出入りしているのは米兵ばかりで、日本人の客の姿は全くといって良いほど見られなかった。

「見たところでは普通の店のように見えますけどね」

丸山が店の様子を見ながら言う。乱歩は思案顔で手に持ったステッキでコツコツと地面をつつきながら何故か定子と店を交互にちらちらと見つめている。定子は乱歩の視線にも気づかずにじっと唇を噛みしめながら店を見つめていた。

「ふむ、遠巻きに見ていてもらちがあかんな。裏手へ回ってみるか」

乱歩に促され、三人は大通りを渡ってから遠巻きに店を見つつ、裏路地の方へと回り込む。老人と美少年と女性という奇妙な三人組は目立つのか、すれ違う通行人は彼らを不思議そうにジロジロと見つめてくる。それに気づいた乱歩は迷惑そうに丸山に告げる。

「おい、丸山くん。君がいるとどうにも目立って仕方ない。ただでさえ君の容貌は人目を引くんだ。どうせなら君、店の表に回って気を引いてくれんかね。その間にわしと定子くんで店の裏手の様子を探るのでね」

言われた丸山は悪びれもせずに「これはすみません。私が美しいばかりに」と述べる。

「しかし先生、こう言ってはなんですがご老体の身でそのような危険なことをなさらなくてもよろしいのでは」

そう続ける丸山に乱歩は胸を張るようにして答えた。

「これでも昔探偵のまねごとをやっていたことがあってね。随分と昔、戦前の話だが」

「それは初耳でございました。では私は仰せの通りにせいぜい彼らの気を引くとしますか」

そう言うと丸山は華麗にくるりと一回転すると、優雅な仕草で店に向かって大通りを闊歩かっぽする。それだけで通行人の視線は丸山へと注がれていく。日本人のみならず米兵達も丸山の美貌に目を奪われている様子だった。

乱歩はふう、と一息入れると少し着物を乱して背筋を曲げ、定子に手を取るように命じながらいかにもな老人風で裏路地へと踏み込んでいく。そうしていると爺と孫娘のように見えてくるのは流石だった。定子と乱歩はゆっくりと裏路地を進みながら、店の様子を伺う。偶然にも裏側の勝手口が開いており、二人は通り過ぎつつ店内へと目を送った。店の中の一部しか見えないものの、店内には多数の米兵がおり、その米兵を若い幾人かの日本人女性が相手しているのが見えた。そしてたった一人だけ初老の日本人男性が店の奥でふんぞり返っているのが見えた。

二人はそのまま店の裏を通り過ぎ、路地の反対側へと抜ける。しばらく進んだところで乱歩は立ち止まると、背筋を伸ばして伸びをした。

「……なるほど。軽食屋とは名ばかりで、実態は米兵相手のカフェーということか」

「カフェー、ですか?」

「ああ、定子くんは知らないのかね。戦前にはこの辺りは特殊喫茶、つまり男性相手のサービスを提供する店がのきを連ねておったのだよ」

乱歩の言葉に定子の顔が曇る。それは女性としての嫌悪感からだけではないことを乱歩は察していた。

「あの店に誰か知り合いがいたのかね?」

乱歩の言葉に定子は驚き、目を見開いてまじまじと乱歩の顔を見つめる。どうして知っているのか、という言葉にならない彼女の問いに、乱歩は答える。

「なに、年の功というやつでね。丸山くんから聞いた君の身の上話と、昨日の取り乱した様子から考えれば推測はつく。もしかしてバケツから見えていた手の持ち主は君の知っている人物だったのではないかね」

乱歩の核心を突く指摘に、定子は観念したように話し出した。

「はい。あれは私を銀巴里に紹介してくれた良美よしみ姉ちゃんの手だったと思います。姉ちゃんは手の甲にほくろがあるんです。私が見間違えるはずはありません」

「君の事情はよく分かった。その良美姉ちゃんという女性があの店で働いていたのは知ってたのかね」

「はい。私を銀巴里に紹介するのと入れ替わりに、もっと稼ぎがよいからと姉ちゃんはあの店にいってしまいました。地元に妹が生まれたらしくって、銀巴里での稼ぎだけじゃ足りないからって。でもあそこがそんな店だったなんて私知らなかったです」

「それはそうだろうな。おそらく一人だけいた日本人の男が女衒ぜげんなのだろうが、しかしあの店の状況と君のみた米兵の姿との関わりは不自然だな」

「そうなんですか」

「考えてみたまえ、あの店にとって米兵はただの客なのだから夜に裏から出てくるのはおかしいのだよ。そうするとその米兵は別の目的があったはずだ……ふむ」

そう言って乱歩は黙りこくってしまった。無言でステッキを持ち上げるとコツコツと何度も地面を突いている。老作家は何事かを深く考えているようで、定子から声をかけるのははばかられた。

どれくらいそうしていただろうか。

二人の後ろからソプラノの美声で声がかかる。戻ってきた丸山だった。

「二人ともこんなところにいらしたのですね。非道ひどいじゃないですか、私をほっぽらかして」

丸山の声に乱歩は顔を上げる。その瞳はぎらりと輝きを放っており、何かを思いついたようだった。

「丸山くん。君、悪いが米兵の偉い立場の人間に誰ぞ知り合いはいないかね」

突然の乱歩の問いに戸惑いつつも、丸山は答える。

「え? ええまあ、進駐軍のキャンプ廻りをしているときの上客に確かそれなりの地位の人がいたと思いますが」

「では少しその人物に渡りをつけてもらえないかね。確認したいことがある。定子くんは今日はもう結構。帰りたまえ」

乱歩はそう言うと丸山を連れてどこかへと向かっていってしまった。一人銀座のただ中に取り残された定子は、事の成り行きが掴めずにただ呆然とその場に佇んでいた。折しも夜のとばりが銀座の街へと降りてくる時刻で、そこここにある街灯が灯りだしていた。路地の隅には夜の塊が集まりはじめ、現世うつしよを夢へと沈めていくのだった。


<続く>


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