水と空の境界線


あなたは、雨粒をじっと見上げたことがあるだろうか?


雨の日に空を見上げたことくらいはあるかもしれない。
でも、雨の降りしきる中、横になって空を見上げていることはなかなかないんじゃないだろうか。
水泳部のわたしは今、小雨の降りしきる中で屋外のプールに入り、水に体を預けながらぷかぷかと空を見上げて漂っている。

雨の日のプールはちょっと特別だ。
今みたいに雨に打たれながら直接空を見あげてみるのも楽しい。

暑い夏のさなかに冷たい水に飛び込むのももちろん好きだけど、私はこの梅雨時にプールに浮かんで空を見るのが好きだ。
なにしろどれだけ雨に打たれても、いまさら濡れる心配をする必要がない。
雨が降っていると、プールの水面と空気の境界がなんだかぼんやりと曖昧になっているような気がする。

深く息を吸い込んだのち、ゆっくりとプールの底に沈んでいきながら、
雨粒に打たれてさざ波を受けたように揺れる水面を見るのも面白い。

このぐらいの季節だと外よりもむしろ水の中の方が暖かくて、なんだか柔らかな膜につつまれているような心地になる。
もしかしたら、胎児のときのお母さんのお腹の中はこんな感じだったんじゃないかと思えてくる。
羊水に包まれて、守られているような感覚。
水の中だと外から聞こえてくる誰かの声はとても曖昧で、雰囲気だけを抽出したような音の響きは、わたしをとても穏やかな気持ちにさせてくれる。


私はそのまま、ぼんやりと30分以上も水に浸かっていた。さすがに体が冷えてきた。そろそろ水から上がる頃合いだろうか。

水から体を引き上げるときは、まだもう少し水の中に浸かっていたい気持ちを振り切る必要がある。
それは微睡みのなか、まだ覚醒したくないような、あの気持ちに近い。

生まれてくる時も、もしかしたらこんな気持ちだったのかもしれない。
だから赤ちゃんは泣いているのだろうか。まだ出たくない、あの安らかな空間にまだいたかったと訴えているのだろうか。
けど、それは叶わない。
いつかは目覚めなければ、生まれなければならない。

わたしはプールのふちに手をかけ、体をぐっと引き上げる。
浮力の楽園から出て、重力の支配下に足を踏み入れる。

さあ、水と空の境界線を踏み越えて、世界に踏みだそう。

水から体を引き上げるたびに、
わたしは常に生まれ変わっているのかもしれない。

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