見出し画像

残刀、露と消えて(破)

<(序)より>

 以来、兄と同様に父の仕事の手伝いを任されるようになったものの、長兄とそれ以外の兄弟という立場では自ずとその扱いには差があった。刑場にて父の直接の手伝いを行うのはもっぱら兄の方であり、自分が任されたのはそれ以外の雑務であった。雑務、とはいえ浅右衛門家の収入源としてはいずれも重要なものであったので、特にそれで不満を感じることはなかった。

 例えば薬の調合。山田浅右衛門家の「浅右衛門丸」といえば労咳ろうがい(結核)に効くとの評判で飛ぶように売れていた。丸薬は他にもあったであろうになぜこれが売れていたかといえば別名である「人胆丸」という名前が物語っているであろう。「人胆丸」の原料はその名の示すとおり、人の肝、すなわち人間の肝臓や脳や胆嚢や胆汁を原料としていた。試し斬りに使われた後の死体からそれらの原料を取り出すのが任された仕事であり、誰もがやりたがるものではなかったが、黙々とそれらを解体する作業は人の体の構造について理解を深めるのに役立っていた。骨の付き方、肉の形、筋の張り具合。老若男女それぞれで異なるそれらをつぶさに観察することで、刀を振らずともその斬り方を身につけることが出来るようになっていた。

 加えて任されていたのが遊女の約束用に死体の小指を切り取ることだった。「指切りげんまん」の呼び名に残っているように、愛の誓いの証拠として遊女が自らの手の小指を切って客に渡すということが風習としてあった。しかし実際の所は死体の小指や作り物の小指で済まされることが多く、そのための小指の需要が少なからずあったのだ。死体から小指を切断する際には小刀を使うのだが、なにしろ部位としては小さいため関節部から綺麗に切断することは難しく、結果的にはこれが首を斬るための良い練習となっていた。

 元より自分には人を斬る才能があったように思う。これは自慢という訳ではなく、ただの事実として自らのことを理解した結果、そういう結論に至っていた。
 まず、自分は目が良かった。これは遠くまで見えるという類いの目の良さではなく、ものの動きを正確に捉えられるという意味での目の良さである。幼い頃より飛ぶ鳥や風に舞う木の葉を目で追うのが好きだった。長じて父や兄の刀の稽古を間近で見るうちにその筋肉の動きや視線の向き、つまり刀を振るときの一連の動作を見るだけで理解できるようになっていた。父の所作しょさに比べて兄の動きはだぎこちなく、無駄なところに力が入ってしまっているな、と思うことが多々あった。一度それを無邪気に指摘して、激高した兄にこっぴどく打ち据えられてからはそれを指摘することはなくなっていたが、その思いを拭うことは出来なかった。
 そしてなにより自分にあって兄にないものが、揺るがぬ心だった。動かぬ心、と言ってもよい。それは人斬りとしては得がたき才能であったが、ただ一人の人としては致命的な欠陥でもあった。自分は人を斬ることに対して動揺することがない。何の感慨も、感想もなくただ淡々と人を斬れてしまう。

 それは父に命ぜられ、初めて生きた罪人の首を落とした時に確信へと変わった。幾つの時分だったかは覚えていないが、その罪人は歳の頃で言えばその時の自分と同じくらいのまだ若い男であった。おそらく体格が小さいから自分でも首を落とすことが出来るだろうという単純な考えで命ぜられたのだと思う。
 掏摸すりや追い剥ぎといった小さな悪事を繰り返し、気がつけば重ねた罪の重さで打ち首までに至ってしまった、哀れな男。首を押さえつけられた姿勢のまま、その男はこちらを睨んで言った。

「ちっ。一体どんな奴が俺の首を落とすのかと思えば、俺と同じくらいの餓鬼ガキじゃねえか。おい、テメェにきちんと首が落とせるのかよ」

 投げかけられた悪態に、先に反応したのは横に居た兄の方だった。

「罪人風情が、生意気な口を聞くか!」

 怒りの声と共に、その罪人を打ち据えようと一歩前へと踏み出したところで、向かいに立っていた父に静かに「せ」と制止される。それをいいことにその罪人は悪態を吐き続けていた。

「たかが浪人のくせにお高くとまりやがって。少しでも生まれが違えば、テメェもこうなっていたんだ」

 そう言いながらこちらを睨みつける男の瞳を見ながら、自分はその瞳が思いのほか輝いているな、瞳の輝きの美しさは人の性根とは関わらぬものなのか、などとぼんやりと思いを巡らせていた。そのまま淡々と刀を抜き、決められた所作の通りに刀を振り下ろす。畜生、畜生、俺は運が悪かっただけだ、と男は呟き続けていた。まあそうだろうな、偶々たまたまこの家に生まれただけでおれは運が良かったのだろうな、と返事を返そうかと思った頃には、穴の底に男の首が転がっていた。なんの手応えもなくすっぱりと男の命を絶ち斬ったことに、やはり少しの感慨も湧いてこなかった。

 ふと視線を感じてそちらを見ると、兄が何か得体の知れないものを見る目でこちらを見ていることに気がついた。

「兄上? 何ぞ私に不手際でもございましたか」
「……お主は怒らんのか。この罪人は我らを侮辱したのだぞ」
「いえ、特に怒ることはございません。それで斬首の手元が狂ってもよろしくないでしょう」
「……」

 兄はまだ何か言いたげであったが、「そこまでにしておけ」と父が告げたのをきっかけに無言でその場を去っていった。

(続)


更なる活動のためにサポートをお願いします。 より楽しんでいただける物が書けるようになるため、頂いたサポートは書籍費に充てさせていただきます。