見出し画像

青木理さんの「劣等民族」発言の、どこが差別なのか?知性に劣る批判者達

青木理さんの「一言で終わりそう。(自民党に票が入り続けるのは土人達が)劣等民族だから」という発言が「差別的である」と批判されている。しかし、これは差別的でも何でも無い、単なる批判でしか無い。

何故なら、マジョリティや、権力側への嘲笑は、シニカルなユーモアであり、せいぜい、どこまで拡大解釈しても「ブラックジョーク」程度だろう。

「事実陳列罪」が成立する恐怖

そもそも、「民族差別」「人種差別」という批判は、ナショナリズム的被害妄想である。リベラル文化人はコスモポリタン(地球市民)であり、「民族」や「人種」というアイデンティティに拘らない。RACE(人種・民族)は、ナショナリズムのノリでしか無いからだ。

そして、事実、日本人は生まれながらにして罪を背負った加害者であり、歴史がそれを証明している。リベラル文化人はコスモポリタン(地球市民)であり、世界市民的な俯瞰視点で物事を評価し、その加害者の加害性の無自覚さや、知性の低さを批判し、ただ事実を述べたに過ぎないのだ。

多くの「日本人」と呼ばれる存在は、知的障害者や境界知能が多く、政治が解らない。だからこそ自民党に票を入れ、世界から「劣等民族」と馬鹿にされ、没落の真っ只中にいるのだ。

私はかねてから、「知的障害者や境界知能から選挙権を取り上げろ」と主張している。何故なら、いくら正しい考えを持ち、知能の高い人が立憲民主党や共産党に投票しても、知的障害者の集団投票で結果が捻じ曲げられてしまうからだ。

しかし、差別主義者(レイシスト)や、冷笑主義、アンチポリコレ的主張などの異常な意見が蔓延る『はてな』の村社会では、この記事は「普段から差別を辞めろと言うのに自分は差別をするのか」「リベラル文化人の内部から批判の声が上がらないのはヤバいだろ」など、多くの的外れな批判を受けた。

「ポリコレ」はマイノリティの人々為のものである

基本的人権は、模範的で正しく、人権を守る人々にのみ与えられる物であるように、「ポリコレ」もまた、加害者であるマジョリティの差別から公認されたマイノリティの方々を守る為のものである。

繰り返しになるが、だからこそ、「劣等民族」と言うのは、加害者に対する事実を述べただけに過ぎない。事実に基づいた批判なので、「逆差別」や「ヘイトスピーチ」という批判は的はずれである。

「バカチョン」や「支那人」は差別であり、大問題だが、「劣等民族ジャアアアアッッップwww」という発言はユーモアのある批判である。ただそれだけだ。後者が一度でも問題視された事があっただろうか?

しかし、近年ではマジョリティ側が「ポリコレ」を濫用するケースが後を立たず、体臭で女性を加害する男性への批判も批判の的とされてしまい、女性アナウンサーが逆に解雇されてしまうという悲しい事件も起きた。

悪人による「ポリコレ」の濫用を、何としても辞めさせなくてはいけない。差別をさせないための仕組みは、悪用されてはいけない。私は、差別と戦う者として、今危機感を持っている。

Xをフォロー

この記事に共感したら、Xでフォローしてね。馬鹿共が茶々入れて来やがるので、承認制になっています。怪しい奴でなければ通すよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?