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如月芳美
2024年5月13日 22:39
【あらすじ】 ピアノ界の貴公子・大路詩音、作曲界の一匹狼・大神響。偶々会った彼らは、実は五歳の時にピアノコンペで出会っている。その時以来、詩音は響をライバル視し、響は詩音を崇拝していた。 一緒の仕事が増え、詩音の姉・花音のプロデュースで『よんよんまる』というユニットを組む事に。 だが彼らが有名になる事で、DVの為に母と二人で逃げ出した響の父に見つかってしまう。父は息子の所に金をせびりに来るよ
2024年5月13日 22:57
大路詩音に促されるまま、大神響はステージへと向かう。百八十七センチの長身に加え、ブーツのヒールと帽子で人々より頭一つ分抜き出ている。「なんという偶然、なんという幸運。東のプリンスと西のウルフが、この隅田ジャズフェスティバルにお越しくださっています!」 興奮する司会者のマイク音声よりも、女性たちの黄色い声の方が勝っている。 当人たちは初対面なのであろうか、お互い握手で挨拶を交わしている。「今日
2024年5月13日 22:59
「折角のご縁なんやし、お仕事お受けしてみたらどうなん?」「俺、口下手やし」「ほんならなおさら。ずっと口下手やって逃げるわけにもいかへんやろ。これからもっとテレビの仕事も増えるか知れんのに、どっかで克服しとかな」 安い粉のコーヒーを二つ淹れた響がキッチンから戻ると、母は仕事の手を止めて大きく伸びをした。「あんたはコーヒーを美味しく淹れる才能にも恵まれて、お母さん、あんたを産んでホンマに良かっ
2024年5月13日 23:06
「ご紹介します。東のプリンス・大路詩音さん、西のウルフ・大神響さんです!」 司会の声にぎこちなく足を踏み出す響の前を、詩音が堂々たる貫禄で進んでいく。身長にして約十センチほど小さい筈の詩音の背中が、響にはとても大きく見えるのが不思議だ。 ――女みたいに細っこいな――詩音の背中を見ながら響はそんなことを考える。女性ファンの黄色い声の渦に埋もれて、早くも現実逃避が始まっているのだろうか。 格式高
2024年5月13日 23:30
「やっぱり大神響は只者じゃない」 鳥村楽器のトークショウを終え、帰宅してからもずっと押し黙ったままだった詩音が、不意にボソリと呟いた。「それはそうでしょうね、作曲もやってトランペットも吹いて……」「それだけいろいろこなしているのに、あのピアノ。花音も聴いただろ、あのラヴェル。プロのピアニストとして十分食べていけるだけの技術を持ってる」 革張りのソファに体をあずけながらも気持ちは全く寛いでは
2024年5月14日 00:04
天気予報に傘マークが並ぶ梅雨の中、一日だけ曇マークがついたその日に、詩音のコンサートがあった。 詩音のコンサートと言うと語弊があるかもしれない。京都フィルハーモニー交響楽団の演奏会で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を演奏するにあたり、大路詩音をゲストピアニストとして招いている、と言った方がいいだろう。ラフマニノフは詩音の十八番中の十八番なのだ。 関西で詩音がピアノを弾くと聞けば何を置いても
2024年5月14日 00:10
翌日、響は詩音の入院した病院へ見舞に行った。 途中で花屋に立ち寄ると、「お花の持ち込みが制限されている病院もあるので、ハーバリウムは如何ですか?」と難解な呪文を唱えられ、よくわからないままそれを頼んだ。洒落た瓶にセンス良く花を詰め、オイルで満たしたものらしい。花瓶も水替えも不要なうえに、窓際に置くと光が当たって大層美しく見えるのだとか。 詩音は個室に入院していた。ナースステーションで面会を告
2024年5月14日 02:59
七月に入り、響のコンサートが大阪で開かれた。コンサートと言っても響のトランペットやピアノを聴かせるというよりは、彼の作曲した映画音楽を映画のワンシーンと共に紹介するような趣向の演奏会である。 映画自体がピアニストを目指す少年の物語なので、音楽もピアノをメインとした楽曲が多い。そのため、オーケストラが並んではいるものの、中央にセットされたピアノは響が弾くことになっている。 彼がオーケストラをバ
2024年5月14日 03:18
子供たちが夏休みに入るころ、都内のスタジオで詩音と響は顔を合わせていた。 最近二人そろってゲストとして呼ばれることが増えた。それは詩音の代役として響がラフマニノフを弾いた事も理由の一つには挙げられるが、今回の撮影は明らかに詩音のブログに起因するものである。 先日の響のコンサートでのハプニングについて、そのエンターテイメント性と高い演奏技術に加え、並々ならぬホスピタリティについても触れ、大神響
2024年5月14日 03:20
トーク番組の効果は絶大だった。あれからすぐにチョコレートのCM出演依頼が二人の元に来たのだ。 姉という非常に優秀なマネージャーがついている詩音は、彼女の戦略によって「大神響と一緒なら」という条件を突き付けた。 そして響の方はなんのかんの言ってもまだ駆け出しの作曲家だ、仕事を選り好みできる立場にないのだ。受ける以外の選択肢は存在しない。 それにあの大路詩音との共演である。彼と一緒に出演すると
2024年5月14日 03:26
薄暗い事務所に五十代半ばの男が、弁当屋の袋を下げて入って来た。汚れたTシャツから漂ってくる饐えたような汗の臭いと、袋に入っているらしい唐揚げの匂いに、彼より年上と思われる事務員の女性が一瞬顔を顰める。 彼女はガラガラとわざとらしく窓を開け放つと、冷たい麦茶を出してきて彼の前に乱暴に置いた。「お疲れさん」 明らかに迷惑そうな表情を見せながらも儀礼的に労いの言葉をかける彼女に、彼は礼も言わずに
2024年5月14日 03:31
スタジオは池袋から西武線に乗って数駅の江古田というところにあった。近くに音大があるせいか、音楽スタジオがいくつもあるようだが、ここはオーケストラ用のスペースも完備しているらしい。事前にプロデューサーに聞いたところ、百畳の広さがあるという。約百六十五平方メートル相当だ。ステージに比べたらかなり狭くは感じるが、オーケストラスタジオとしては広い方かもしれない。 ピアノはスタインウェイとヤマハのグラン
2024年5月14日 03:34
翌日は午前中にステージセッティングを終え、午後一番からリハーサルに入った。リハーサルの最中も音響スタッフがステージをうろうろしている。モニタリング作業に余念のないミキシングルームとインカムで連絡し合っているのであろう。特に電子音に頼らない民族楽器のマイク設定に重点を置いているようだ。 パーカッショニストは二人。一人はアフロヘアで一人はスキンヘッド。明らかにこの集団の中で浮いている。この二人も黒
2024年5月14日 03:40
「大路さんっていつもこんなところでご飯食べてはるんですか」「いえ、カジュアルフレンチが多いんですけど、今日は気を張ってお疲れでしょうから畳が落ち着くかなって」 詩音に連れて来られたところは料亭の個室だった。たったの二人で食事をするのに八畳間とは、響の常識では考えられない。自宅の居間ですら六畳間だ。 だが、そのカジュアルフレンチとやらに連行されるよりは良かったかもしれない。和食なら手に持つのは