見出し画像

男装王子~モテの中の1%の殺意~【小説】【乙女ゲーム×ミステリ】

【作品紹介】
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
乙女ゲームにハマって一年、ついに神ゲームに出会いました♪
恋愛開始八時間。
推し王子との婚約エンディング直前でテンションが上がりまくりでクイックセーブ!
……が間違えてクイックロード!?
気がつけば毒を盛られて即死亡?
謎のFD『眠り姫』の主人公になっていました。

そこでは推し王子が失踪、私は毒を盛られて昏睡状態に。
でも夢で出会った謎のイケメン王子の力を借りて一時的に眠りから目覚めた私。
身の安全の為に男装王子に姿を変えて、解毒剤ゲットの為に犯人捜しを開始します♪

行方不明の第一王子とイケメン鬼畜眼鏡、チャラい第二王子に幼馴染。
私を溺愛する兄とイケメン執事……なぜか悪役令嬢にまで惚れられて!
人生初のモテ期到来!
こんなにモテモテでいいのかしら……でもこの中に犯人いるかも?
だからニヤけてばかりもいられませんっ!

私を殺したのは誰なのか? 謎のAI 死神VRって何なの?
謎色の生活の中で見え隠れする別のゲームプレイヤーの影。
夢でしか会えない謎のイケメン王子の正体は?

こじらせ乙女×ミステリーのモテモテ謎解き恋愛です♪
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

プロローグ

「……っゴクン」
 (いよいよだっ)

ゲーム内では王子がグラスを手に取り重大な発表があると皆へ宣言していた。

 社会人二年目。
 永遠に続く残業地獄に取り込まれ私はぐうたらに堕ちた。
 家へ帰ればベットへ倒れ込みスマホをいじり動画とSNSを見て寝る。
 そんな時、偶然に乙女ゲームに出会った。
 最初は暇つぶし程度に始めた乙女ゲーム。
 だが学生時代の友達と疎遠になる度に私は乙女ゲームの世界へのめり込んで行った。
 そして乙女ゲームを始めて一年が経った頃。
 
 『私の中で何かが切れて会社を辞めた。』

 一日中観ていた動画にも飽きて、何気なく検索しているとある乙女ゲームを見つけた。
 翌日、心を弾ませながら朝一でゲームを始める。
 そのシナリオと目新しいシステムは一瞬にして私を虜にしてしまった。
 遂に神ゲーと言える作品に出会い。
 今まさに、私は推し王子との婚約エンディングを迎えようとしていた。
 チラリと画面右上のメニューに目をやる。
 そこには総プレイ時間8とR2という数字が表示されている。
 (うぅぅ、長かった。)
 幾多の王子様達の誘惑に負けそうになりながらも一途にやり続けて八時間。
 やっとここまで来た。

 ふと場面が暗転しモニターに自分のニヤけた顔が映る。
 (うっ……)
 ボサボサの髪に黒縁メガネ。
 こじらせた服装に心が折れそうになる。
 (頑張れ私っ、
  ここはまず素早くクイックセーブだ。)

――データがロードされました。――

「えっ、嘘っ、えぇぇぇぇ」

 私はテンションが上がるあまり間違えてクイックロードを押した事に気がついた。
(うゎゎわゎんっ、
 私の王子様がぁぁぁぁ)

ガシャンッ

 グラスが割れる音が聞こえる。
『バットエンディング』
 貴女は何者かに毒を盛られて死亡しました。

――隠し分岐ルート ロード中――

「えっ?」

 あまりのショックに意識が遠のく中、ロードされた画面には見た事もないタイトル

『ファンディスク VR眠り姫』

という文字が見えていた。

第一話 眠り姫

「うわぁぁぁ、
 何だこれ?」

 先程から私はベットに寝そべったまま困惑気味に考え込んでいた。
 気がつくと二人のイケメンに囲まれ手を握られている。
 ドキドキしながら薄っすらと目を開けてそっと周りを盗み見る。

 天井は中世ヨーロッパ風でベットにはレースの天蓋がついている。
 (私は確か自分の部屋で乙女ゲームしていた筈なんだけど……)
 ぼんやりとした頭で思い出す。
 乙女ゲームにハマって一年。
 遂に神ゲーとも言える作品に出会い。
 私は推し王子との婚約エンディングを迎える直前だった。
 その時に画面が暗転しモニターに自分のニヤけた顔が映った。
 動揺した私はクイックセーブを間違えてクイックロードっ。
 そして気がつけば、ここに居る。
 心配顔で私の手を握りしめている二人のイケメン。
 どう見ても彼らは乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』の登場人物だった。
 
 『シンデレラ プリンセス』
 
 それは私がさっきまでやっていた乙女ゲーム。
 訳あって王宮親衛隊の隊長をやっている兄の元で下宿する事になった主人公。
 ある日、兄の忘れ物を届けに王宮へ行くと偶然出会った男性に案内される。
 案内された先は兄が警護中のお城のパーティー。
 そこには様々な王子様達が居て……。

 そんなゲームで私は推しの第一王子 ブロード様と出会い恋に落ちた。
 そして攻略する事、八時間。
 ついに彼との婚約が決まり祝杯。
 ハッピーエンディングを迎えるはずだった。

 それがなぜかこんな事に……。
 (あ~っ、私のバカっ。
  何で大事な所で間違えてクイックロードしちゃうの?
  まだスチルもとってないのに。)

 涙目になりながらも両手の温もりを感じる。
 (暖かい~
  男の人の手ってこんなに暖かいんだ。)

 自慢じゃないが私は男性にモテた事がない。
 自分に自信がなく。
 人付き合いは苦手。
 自他共に認めるいわゆるこじらせ女子である。
 だから今まで彼氏が出来た事は一度もない。
 デートをした事もなければ、手を繋いだ事もない。
 ましては二人のイケメンに両手でニギニギなんてあるわけがなかった。
 (こんなチャンス二度とないかも……)
 こっそりと気づかれない様に両手をニギニギして感触を堪能しながら改めて盗み見る。

 左に居るのは兄のタフタ。
 タフタ兄様は王宮の親衛隊隊長をしている。
 隊長らしく剣術に優れガッチリとした体格は男らしい。
 妹想いの優しいお兄ちゃんだ。
 幼い頃は別々に暮らしていた為か、私が下宿を始めると私を溺愛しはじめた。
 心配症なのか同居した途端、頻繁に会いに来る。
 私の事はいつまでも子供扱いでいつもご機嫌取りに土産にお菓子を持って来る。

「街で人気のスイーツを貰ったから持って来た。」

 それがタフタ兄様の私に会いに来るいつもの言い訳だった。
 (そうそう鬼隊長がスイーツを貰う訳がない。)
 兄の嘘はバレバレだったが令嬢が溢れかえる中でスイーツを買う姿を思い浮かべる。
 想像すると何とも哀れで愛くるしい。
 だから私はいつも気がつかないフリをしてスイーツを嬉しそうに頬張った。
 貰えるものは貰うのである。
 それをタフタ兄様は嬉しそうにいつも眺めては私の頭を撫でる。
 スイーツを土産に時折り見せるデレ感は鬼の隊長とは程遠かった。

 左に居る銀髪の少年は幼馴染のニット。
 私の事を昔から知っていてずっと守って来てくれた。
 小顔で丸顔。
 そのコロコロ変わる愛くるしい表情はまるで可愛いリスの様だった。
 ニットは私にとって気心の知れた可愛い弟のような存在だった。
 明らかに絶対的な好意を感じるその愛くるしい瞳は私に安らぎを与えてくれた。

 う~ん、困った。
 意識はあるのに金縛りにあったように体が動かない。
 仕方がなく諦めて二人の会話に聞き耳を立てていると少しずつ状況が見えて来た。
 
 『眠り姫』

 どうやら私は第一王子ブロード様との婚約発表のパーティーで突然倒れたらしい。
 そしてそのまま危篤、昏睡状態に陥った。
 その眠りは何者かに毒を盛られた事によるもので既に二日眠り続けているらしい。
 タフタ兄様達の懸命の努力で何とか一命は取り止めた。
 だが盛られた毒には呪いがかけられていて解毒剤が必要らしい。
 そして第一王子の突然の失踪。
 王宮では暗殺されたとか、
 王子も呪いにかけられた等、様々な噂が飛び交っているらしい。
 
 (眠り姫?)
 その言葉には見覚えがあった。
 私が間違えてシンデレラプリンセスをクイックロードした時……。
 薄れる意識の中で確か画面には『ファンディスク 眠り姫』の文字があった。
 勿論、ファンディスクなんて購入した覚えはない。
 だがこれはバットエンディングの後日談なのだろうか?
 (う~ん、でも毒を盛られるような覚えはないんだけどな。)
 私は首を傾げた。
 でも考えてみれば推し王子一筋プレイで他の攻略対象にはえげつない程の塩対応。
 どこかで気がつかずに恨みを買ったのかもしれなかった。

「じゃあ、ニット。
 俺は仕事があるから行くぞ。」

 そう言ってタフタ兄様は名残惜しそうに私の髪を優しく撫でた。
 (うわ~、顔が近いっ)
 突然の接近に私は慌てて薄目を閉じる。
 微かに風が頬に当たるのを感じているとタフタは優しく私の額にキスをした。

ドクンッ

 私は顔が赤くなるのを必死に抑えながらもドキドキが止まらない。
 かなりの数の乙女ゲームをやりこんだ私。
 でもこんな感触つきのリアルなんて免疫なかった。
 兄と言っても血は繋がっていない。
 赤毛の髪が頬をかすめるとざわっとした感覚が突き抜ける。
 (うわぁぁ、肌に触れるっ。温度感じるっ。気配がえげつないっ。)
 そのリアルに私の五感全てがキュンとした。

バタン

 ドアが閉まりタフタ兄様が部屋を出ると幼馴染ニットが心配顔で覗き込む。

「一体誰なんだっ、
 僕の大切なリプにこんな呪いをかけた奴は。」

ドンッ

 ニットが握りしめた拳を壁に叩きつける。
 普段は温和で大人しい彼がここまで怒りを露わにする事は珍しかった。
 それだけ私の事を大切にしてくれているのだろう。

『ニコレ フォン リプル』

 それが私の名前だった。
 幼馴染のニットからはリプと昔から呼ばれている。
 彼は私が昏睡状態だと思っているのだろう。
 私は再びこっそりと薄目を開けた。
 ニットは周りを見回して誰も居ない事を確認すると呟いた。

「ボクは馬鹿だ。
 自分に自信がないばかりに臆病になって。
 こんな事ならもっと早く想いを伝えておけばよかった。
 このままリプが目覚めなかったらボクはっ。」

 そう言って私の手を両手で強く握りしめると言った。

「リプっ、
 ずっと君の事が好きだった。」

 彼はそう言うと悲しい顔をして部屋を出て行った。

(うわぁぁぁ、
  幼馴染から告白いただきましたぁぁぁ。)
 私はドキドキしながらそれを受け止めていた。
 誰かに呪いをかけられて昏睡状態。
 意識はあるけど動けない。
 そして推し王子ブロード様の謎の失踪。
 私はグルグルとする頭の中で状況を整理しながら時間を過ごした。

 思いを巡らせていると、どこからかラベンダーの香りがした。
 すると私はその香りに導かれる様にウトウトと眠くなり深い眠りに落ちていた。

 ラベンダーの香りに誘われて私は夢を観ていた。
 そこは巨大な月が浮かぶ碧い海辺。
 碧く光る粒子が辺り一面に漂っている。
 
 ザッ、ザッ、

 砂を踏みしめながら先へ進む。
 潮の匂いとラベンダーの香り。
 夢の中では私は自由に体を動かす事が出来た。
 服装を見ると中世ヨーロッパ風の純白のドレス。
 どうやら現実世界へ帰った訳ではないらしい。
 粒子の霧をかき分けて暫く進むと流木に腰掛けた一人の男性がいた。
 
「……っ、君はっ」

 男性が私に気がついて立ち上がる。
 フロックコートだろうか?
 碧いコートのようなスーツを着ていた。
 背は高く細身で黒髪。
 小顔ながら吸い込まれそうなアイスブル―の瞳をしている。
 (カッコイイっ
  職業は王子様ですかっ)

 そう叫びたくなる程、洗練された雰囲気を醸し出していた。
 どこかミステリアスな青年だった。

「あっ、こんにちは。
 イケメンですね。」
 (あれ、私何言ってんだろう)

「……ニコレ フォン リプルっ、
 君なのか?」

(えっ、私のコト知ってるの?)
 不意に自分の名前を呼ばれて動揺する。
 男性は私の事を知っているようだったが、その顔には見覚えがなかった。
 (こんなイケメン忘れるわけないんだけど……)
 私は首を傾げた。
 こう見えて私は人の顔を覚える事だけには自信があった。
 子供の頃から漢字や人の名前は全く覚えられないけれど顔だけは一度観たら覚えられた。
 それはまるで写真の様に映像として私の脳に焼きついて保存される。
 だから子供の頃から初めて行く場所は時間がかかるけど帰り道で迷った事はなかった。
 『シンデレラ プリンセス』の攻略対象はゲームを始める前に全て事前に確認済。
 でもこんな王子はいなかったはずだ。

 男性は不思議そうな表情を浮かべながら私を流木へ座らせる。
 そしてそっとコートを脱ぐと私を包んでくれた。
 (おぉぉ、そのさり気ない気遣いに私はキュンです♪)
 そういう扱いに慣れていない私は慌てて無言で頭を下げた。

「寒くないかい。」

 彼にそっと肩を抱かれ顔を覗かれる。
 (この余裕のあるエスコートに王子臭、攻略対象に間違いなかった。
  どこかで会った気もするけど……でもどこで会ったんだっけ?)
 彼は素敵な微笑みを浮かべながら私が落ち着くまで待ってくれている。

「あのっ、
 私達どこかでお会いしました?」

「分からない。」

「えっ、貴方のお名前は?」

「分からない……が多分『シフォン』だ。」

「多分?」

「ああ、ここにそう刻まれている。」

そう言って彼は懐中時計を出して見せた。
 確かにそこには『親愛なる友 シフォンへ』と名が刻まれていた。
 訊けば彼には記憶がないのだと言う。
 気がつくと牢獄に独り閉じ込められていたらしい。

「では自分のコト……何も覚えていないのですね。」

 私が心配顔で訊ねると彼は寂しそうに頷いた。

「ああ、だが君のコトは知っている。
 どこで会ったかは分からないが間違いなく君を知っている。」

「えっ、どういう事ですか?」

「君を見ているとどうしようもないくらいの感情が湧いてくるんだっ。
 俺は君を愛している。
 記憶は無くても心がそう叫んでいる。
 君を失ってはいけない。
 そう繰り返し心が叫ぶ。」

 そう言うと突然、彼に抱きしめられた。
 
「えっ、ちょっと待って。」

 焦る私の耳元で彼が囁く。

「リプルっ、
 もう逃がさないから」

(えっ、えっ、えぇぇぇ)
 突然の抱きしめにドキドキが止まらない。

「頼むっ、少しだけでいい。
 このまま抱きしめさせてくれ。」

 シフォンは少し震える声でそう言った。
 その声は不安気で少し泣いているようにも思えた。
 さっきまでの俺様王子の雰囲気とは違いどこか甘える少年のようだった。
 私はどうしていいか分からないまま、そっと彼の背中に手を添えた。

 それから私達は互いのコトを打ち明け合った。
 第一王子との婚約発表の直前で倒れた事。
 私は今、何者かに呪いをかけられて眠り姫になっている事。
 ここは夢の中だと言う事。
 訊けばシフォンも未だ記憶喪失のまま牢獄に閉じ込められているらしい。

「すまない。
 俺は気がつくと牢獄に監禁されていた。
 この世界からの脱出方法も分からない。
 だから一緒にリプルを助けに行く事が出来ない。
 だが一時的にだが眠りの呪いを解く事は出来ると思う。」

「えっ、本当ですか?」

 そう言うとシフォンは私を抱きよせて突然キスをした。

「えっ、シフォン?」

 動揺して顔を赤めると彼が優しく頭を撫でる。

「じっとして……大丈夫。
 力を抜いて全て俺に体を預けてくれ。」

 そう言うと情熱的なキスを始めた。
 とろけるようなキスで意識が遠のいて行く。

「リプル。
 これで君は十二時まで目覚める事が出来るはずだ。
 でも気をつけてっ、
 君が目覚めたと知られると今度こそ命を狙われる。
 そうだっ、彼を訊ねて助けを求めるといい。
 奴ならきっと力になってくれるだろう。
 今夜十二時。
 口づけの魔法が解けて君が眠りについた時、またここで落ち合おう。」

 そう言うシフォンの声が次第に遠のいていく。
 気がつくとラベンダーの香りと共に私はベットに戻っていた。

第二話 鏡のない部屋

ブーブーブー

 薄暗い部屋中に警告音が鳴り響く。

――システムに侵入者あり。
  ファイアーウォールを突破されました。
  ハッキングによる完全掌握まで残り十七パーセント。――

 ズラリと並ぶモニターに囲まれ男は一心不乱にキーボードを叩いていた。
 
「まさがこんなコトになるなんてっ」

 静まり返った埃臭い部屋ではキーボードを叩く音とファン音だけが響いていた。

『死神VRシステム』

 それは残業の息抜きに軽い気持ちで作ったシステムだった。

『AI エンジェル・オブ・デス』

 クラウドに逃げられた今、もうハードディスクを破壊した所で止められない。
 奴の制御下になるまで残り七分。
 男は防御を諦めてログインしているプレーヤーログを確認する。
 モニター上では現在、二人のプレーヤーがログインしていた。
 (二人? テスターは彼女だけの筈だけど……)

「くそっ、奴に取り込まれた。
 システムは無理でも彼女だけは救わなければっ」

 男は開発中の試作システムを無理やりアップデートした。

――AI駆除システム『VR眠り姫』をアップロードしています。
   アップロードまで残り三パーセント――

「頼む間に合えっ。」

――『VR眠り姫』をアップロードしました。
  ※このシステムはウィルスに感染し改ざんされた可能性があります。――

「うっ、うぅぅん」

 俺は激しい全身の痛みと頭痛に目が覚めた。
 脳が痺れ酷く頭が痛い。
 余りの痛さに暫く動く事が出来ない程だ。
 横たわっている石畳の床がヒンヤリと冷たい。
 目の前にはガラスの小瓶が転がっていた。
 土と苔臭い匂いが鼻から突き抜ける。
(ここはどこだ?)
 俺はのろのろと起き上がり周りを見回した。
 格子状の天窓から差し込む月明かりを頼りに薄暗い部屋で必死に目を凝らす。

 どこかの牢獄だろうか。

 広い空間が一面壁に覆われ何もない。
 正面には重厚な扉が一つ。
 錠がかけられていて押してもビクともしなかった。
 作りからしてどこかの古城だろう。
 天窓下の中央にはベット程の大きさのレンガで作られたせり上がりがあった。
 俺はそこにゆっくりと腰掛けて考える。
 (何が何だかさっぱり分からない。)

「ここは、どこだ?
 どうして俺はこんな所に居る?
 ……俺?」

 俺は口に出してそう呟いた。
 そう呟いた瞬間に底知れぬ恐怖に襲われた。

「俺は誰だ?」

 俺は口に出してもう一度言った。
 (自分の事が分からない)
 気づくと自分に関する全ての記憶を失っていた。
 (……んぐっ)

 慌てて自分の手を見た。
 ぼんやりと揺れる月明かりの薄暗い部屋の為よく分からない。
 俺は必死にもう一度、自分の手を目の前に近づけて見た。
 奇妙な数字が浮かんでいる腕輪の先に自分の指が見える。
 十代、いや二十代か。
 指は長く汚れず綺麗に手入れされている。
 労働者ではないのだろう。
(鏡を見たい。)
 無性に俺は自分の姿を確認したい衝動に駆られた。
 必死にきょろきょろと自分を確認する術を探す。
 だがこの空間には鏡どころか水さえも存在しなかった。

「落ち着けっ、
 落ち着くんだ。」

 俺は両手で頬を叩き再びレンガへ座った。
 自分の着ている服を観察する。
 碧いコートのようなスーツ。
 胸元のボタンには紋章が刻まれている。
 服装からしてどこかの王族か貴族なのだろう。
 だが全く俺は自分の記憶がなかった。

 唯一あるのは『香りの記憶』と『死神VR』と言う謎の言葉だけ。

 ふと床に転がっているガラスの小瓶が目に留まる。
 何気なく拾いあげると小さく折りたたまれたメモと鍵が入っていた。
 少しでも情報が欲しくて急いで小瓶のフタを開ける。
 フタを開けた瞬間、中からラベンダーの香りが広がった。
 メモを取り出すと広げて見る。

『ニコレ フォン リプルを守れ。
  そして誰も信じるな。』

「なんだっ、このメモ。」

 俺にはニコレ フォン リプルと言う名に覚えはなかった。

カラカラン

 大した情報を得られずにガッカリして小瓶を放り投げる。
 自分の事を思い出そうとすると頭痛と共にラベンダーの匂いがした。

 なんだかとてつもなく体がだるく眠い。

 俺は疲れ果て立っていられなくなりその場に横になった。
 天窓から見える月に雲がかかると急に辺りが暗くなる。
 俺は月を一睨みしていたが小瓶の中の鍵の存在を思い出した。
 ノロノロと思い体を引きずり重厚な扉に鍵をさして見る。

ガチャリ ギィィ

 鈍い音がして扉が開いた。
 どこからか潮の匂いがする。
 その匂いに導かれるように長い廊下を進んで行く。
 暫く進むと外へ出られ一面波が打ち寄せる海岸が広がっていた。
 閉鎖された空間からの解放。
 安心したのか俺は誘われるようにそのまま眠りに落ちた。
 意識が遠のく中、どこか遠くで青く光る目を見たような気がした。

(ここは?)
 意識が戻ると俺は巨大な月が浮かぶ見知らぬ海辺にいた。
 そこは不思議な雰囲気の醸し出していた。
 (確か小瓶の鍵で俺は閉じ込められていた牢獄から逃げ出した筈だった。)
 気を失う前の記憶を少しづつ思い出しながら立ち上がる。
 辺りを見回すと碧く光る粒子が辺り一面に漂っていた。
 (記憶喪失なのだろうか?
  自分のコトを何も覚えていない。
  俺は何者なんだ。
  気がつけば牢獄の様な所に閉じ込められていた。
  だが扉の鍵は小瓶の中に入っていた。
  つまりは密室と言う事になる。
  もしくは自分で牢獄に入り鍵を閉めて小瓶に入れた?
  だとしたら
  『ニコレ フォン リプルを守れ。
   そして誰も信じるな。』というメモは自分で書いた事になる。
  ……っ、分からない事だらけだった。
  とにかく今は少しでも情報が必要だ。
  取り敢えず辺りを探索してみるか。)

ザッ、ザッ、

 少し警戒しながらも砂を踏みしめ先へ進む。
 潮の匂いとラベンダーの香り。
 どこまで歩いても変わらない景色の中で古い流木を見つけた。
 とりあえずそこに腰掛けて考える。
 (ここは一体どこなんだろう。)
 明らかに今まで感じた事のない空気感。
 意識がふわふわして現実味がなかった。
 無意識にポケットに手を入れるとヒヤリと冷たい物が手に当たった。
 驚いて取り出してみると年代物の懐中時計だった。
 そこには『親愛なる友 シフォンへ』と名が刻まれていた。
 (俺の名前はシフォンというのか。)
 この懐中時計を握りしめていると子供の頃の記憶が蘇る。
 どうやら失った記憶を取り戻すには鍵になるアイテムが必要らしい。
 (だが懐中時計なんて持っていなかった筈なんだが。)
 そうだ。
 牢獄で目覚めた時に全てのポケットは確認済だった。
 首を傾げていると遠くから人の気配を感じた。

「……っ、君はっ」

(なんて綺麗な女性なんだ。)

 俺は驚いて思わず立ち上がった。
 中世ヨーロッパ風の純白のドレス。
 どこかの姫だろうか?
 小柄ながらも清純そうな美しい女性が立っていた。

「あっ、こんにちは。
 イケメンですね。」

 その女性にそう言われて小瓶のメモを思い出す。

「……ニコレ フォン リプルっ、
 君なのか?」

 彼女は不思議そうな顔をして首を傾げている。

(……!っ、違うのか?)

 俺は複雑な心境のままとにかく彼女を流木へ座らせた。
 彼女は黙ったまま不安そうな顔をしていた。

(寒いのかな。)
 俺は急いでコートを脱ぐと彼女を包んだ。

 俯き少し震えていた彼女はぎこちない笑顔で頭を下げた。

「寒くないかい。」

 少しでも怯えた彼女を安心させようとそっと肩を抱き落ち着くまで待った。

「あのっ、
 私達どこかでお会いしました?」

「分からない。」

「えっ、貴方のお名前は?」

「分からない……が多分『シフォン』だ。」

「多分?」

「ああ、ここにそう刻まれている。」

 そう言って俺は先程見つけた懐中時計を出して見せた。
 それから俺は記憶がない事を打ち明けて非礼を詫びた。
 警戒心が解けたようなので、気がつくと牢獄に独り閉じ込められていた事も話した。

「では自分のコト……何も覚えていないのですね。」

「ああ、だが君のコトは知っている。
 どこで会ったかは分からないが間違いなく君を知っている。」

「えっ、どういう事ですか?」

「君を見ているとどうしようもないくらいの感情が湧いてくるんだっ。
 俺は君を愛している。
 記憶は無くても心がそう叫んでいる。
 君を失ってはいけない。
 そう繰り返し心が叫ぶ。」

(そうだっ、メモを見たからではない。
  それは天命。
  俺の心が彼女を守れと言っている。
  そして誰も信じるなと叫んでる。)

 俺は湧き上がる感情のままにリプルを抱きしめた。
 彼女の体温が体中に突き抜ける。
 それは今まで感じた事のない程の安心感を俺に与えた。

「えっ、ちょっと待って。」

「リプルっ、
 もう逃がさないから」

「頼むっ、少しだけでいい。
 このまま抱きしめさせてくれ。」

 俺は少し震える声でそう言った。
 リプルは驚いたようだったが、そっと俺の背中に手を添えた。

 それから俺達は互いのコトを打ち明け合った。
 リプルが第一王子との婚約発表の直前で倒れた事。
 今は何者かに呪いをかけられて眠り姫になっている事。
 ここは夢の中だと言う事。
 
「すまない。
 俺は気がつくと牢獄に監禁されていた。
 この世界からの脱出方法も分からない。
 だから一緒にリプルを助けに行く事が出来ない。
 だが一時的にだが眠りの呪いを解く事は出来ると思う。」

 そう何故だか分からないが俺にはその方法が分かっていた。

「えっ、本当ですか?」

そう言うと俺はリプルを抱きしめてキスをした。

「えっ、シフォン?」

 動揺して顔を赤めるリプルの頭を優しく撫でる。

「じっとして……大丈夫。
 力を抜いて全て俺に体を預けてくれ。」

 見つめているだけで彼女が愛おしくて溜まらない。
 自分に何が起こっているのかは全く分からない。
 だがリプルを守り切って眠りから救い出す。
 それだけは明確に覚えていた。
 そして一時的だけど目覚めさせる方法も……。
 俺は蘇る記憶のままに情熱的なキスをした。
 やがてリプルの姿が少しずつ透き通っていく。
 
「リプル。
 これで君は十二時まで目覚める事が出来るはずだ。
 でも気をつけてっ、
 君が目覚めたと知られると今度こそ命を狙われる。
 そうだっ、彼を訊ねて助けを求めるといい。
 奴ならきっと力になってくれるだろう。
 今夜十二時。
 口づけの魔法が解けて君が眠りについた時、またここで落ち合おう。」

 完全にリプルの姿が消えるとまた俺は蒼い海に独りになった。
 先程までの出来事が嘘のようにその世界は静寂に包まれた。
 (寂しい。彼女の居ない世界はまるで冥界のようだった。)

ピッピッピッ

 とてつもない喪失感を感じていると突然に電子音が鳴り響いた。
 見ると奇妙な数字が浮かんでいる腕輪がピカピカと赤く点滅している。
 何故か急に鳥肌が立ち胸騒ぎがして辺りを見回す。
 どこか遠くで青く光る目を見たような気がしたがよく分からなかった。

「リプル……。」

 俺は不安になり、そう呟いた。
 何気なくポケットから懐中時計を取り出して握りしめる。
 先程までリプルが居た辺りにはラベンダーの香りが漂っていた。
 不思議な香りが鼻孔から脳へ突き抜ける。
 俺はその時、カチカチと運命の歯車が頭の中で回り出す音が聞こえた気がした。

第三話 イケメン執事 カツラギ

 ぼんやりとした意識の中でラベンダーの香りだけがハッキリと脳裏に漂っていた。
 気がつくと私はレースの天蓋に囲まれたお姫様ベットに戻って来ていた。
 どうやら謎の男性シフォンの突然のキスによって一時的に呪いが解けたようだった。
 (私、不思議な夢から目覚めたんだ。)
 ふと気配に気づきこっそりと薄目を開ける。
 見ると今日もまた昼休憩の時間に二人のイケメンに囲まれていた。
 一人は王宮の親衛隊隊長をしている兄のタフタ。
 もう一人は私の事を昔からずっと守ってくれている幼馴染のニット。
 悲しそうな顔の二人に私は切なくなった。
 思わず声をかけようとしてシフォンの言葉を思い出す。

「これで君は十二時まで目覚める事が出来るはずだ。
 でも気をつけてっ、
 君が目覚めたと知れると今度は命を狙われるかもしれない。」
 
 (もし私が声をかけたら兄達まで巻き込んでしまうかも……)
 そう思い声をかける事を躊躇していると二人は名残惜しそうに部屋を出て行った。

バタン

 部屋のドアが閉まり独りになると私はそっと起き上がった。
 (うんっ、本当に動ける。
  シフォンのキスが効いたんた。)
 私は顔を赤らめながら、そっと指で唇に触れた。
 彼の情熱的なキスの感触が今もそこには残っていた。
 (ブロード様ともこんなキスした事ないのに……)
 少し後ろめたい気持ちになりながらも何故か唇の感触が忘れられない。
 兄や幼馴染に声をかける事を躊躇った理由。
 それは大切な彼らを危険に晒したくないという事もある。
 でももう一つはシフォンとのキスの事を話す事になるからだ。
 (も~、突然キスするなんて恥ずかしいよ。)
 私はそっと廊下の様子を窺うと隠れて屋敷を抜け出した。

 私は両手を伸ばしてう~んと伸びをした。
 暫く体が動かなかったからだろうか全身がなんだか固くなっていた。
 少しずつ感覚を取り戻しながら歩いて行く。
 爽やかな風が吹いていて気持ちいい。
 見ると歴史ある佇まいが通り沿いに続いていた。
 このエリアは王宮を守る様に配置された限定エリア。
 王族や貴族、それに使える関係者しか出入りを許されない場所だった。
 世界の人口の半数がこの世界の三パーセント程の地域に密集している。
 それは一重にクラウド王国の繁栄がもたらす富と栄光ゆえだった。
 その中心エリアにリプルの住まいはあった。
 もっとも私が王族や貴族だからという訳ではない。
 王宮親衛隊隊長の兄の元で居候しているからだ。
 ここへ来るまではこのエリアをドーナッツ状に取り囲んでいる一般エリアに居た。
 だから兄に呼ばれて

「これからは我慢しなくていい。
 俺にはいっぱい甘えていいからな。」

 そう言われて抱きしめられた時は嬉しかった。
 幼い頃に兄と別れて暮らしていた為、兄の記憶はあまりない。
 噂では王国親衛隊の鬼隊長。
 規律に厳しい天才剣士だと聞いていた。
 確かに周りに部下さん達がいる時には威厳があったが二人きりの時は別人だ。
 王国親衛隊の鬼隊長も私からすれば美味しいスイーツをくれるお兄ちゃん。
 妹を溺愛するあまりデレ感全開だけどそれも含めて嬉しかった。

 夢の中で会った不思議な男性シフォンの言葉を頼りに街を歩く。

「そうだっ、彼を訊ねて助けを求めるといい。
 奴ならきっと力になってくれるだろう。」

 私は何者かに毒を盛られて死にかけた。
 多分、今も命を狙われているかもしれなかった。
 だから誰かの助けが必要だ。
 貴族限定エリアと言えども油断は出来ない。
 それは私を殺そうとした犯人が貴族の可能性があるからだ。

 森を抜けた先にその屋敷はあった。
 立派な門を潜ると一面に花畑。
 ふぁっとした良い香り。
 どこからかラベンダーの香りが漂っていた。

「どちら様ですか?」

 花に水をやっていた男性が私に気づいて顔を上げて声をかけた。
 見ると赤毛の東洋風なイケメンが立っている。
 小柄ながらも小顔で切れ長な瞳。
 でも突然の不審者の侵入に少し眉間にしわが寄っていた。

「あっ、あの、怪しい者ではありませんっ」

(あ~、そう言っている時点で私、怪しい~。)
 そう自分で思いながらもあたふたしていると彼がジョウロを置いて近づいて来た。
 
 (やばいっ、どうしよう?)
 焦った私はシフォンの伝言を思い出す。

「困ったらこの話をすればいい。
 きっとリプルの力になってくれる筈だよ。」

 そう言って彼は悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
 私にはよく意味が分からなかったが取り敢えず教わった通りに言ってみる。

「あっ、あのっ
 私、知ってます。
 貴方が子供の時、肝試しでお漏らししたコト。」

「えっ、何故それを?」

 赤毛のイケメンは赤面しながら明らかに動揺していた。
 そして周りに人が居ないかをキョロキョロと確認し始めた。

「とっ、取り敢えずこちらへ。」

 そう言うと彼は私を脇のガーデンハウスへ連れ込んだ。

(どうしてこうなった?
  あれ? 私、話す順番間違えた?)
 気がつくと私は赤毛のイケメンとガーデンハウスで紅茶を飲んでいた。
 訊けば彼の名前はカツラギと言いこのお屋敷の執事をしているらしい。
 私は第一王子プロード様との婚約発表直前で毒殺された事。
 夢の中で不思議な男性シフォンと出会った事。
 そのシフォンにカツラギ様を紹介された事など全てを話した。

(シフォンと熱いキスをしたコトだけは内緒にして……)
 彼はうんうんと頷きながら最後にこう言った。

「で……、その夢の中の彼が私が肝試しでお漏らししたと言ったんですね。」

 私がぎこちない笑顔で頷くと深いため息をついた。

「はぁ~、いつまで経ってもヤンチャで好奇心旺盛。
 自分のコトにしか興味がない。
 あの人は昔と全く変わらないのですね。
 分かりました。
 私が出来る事は全面的に協力いたしましょう。
 ただし私がお漏らしした事は御内密に。」

 そう耳元で囁くと私の唇に指を当てた。

ドキッ

(ちょっとキサラギ様っ……近すぎるんですけど)

「あのっ、私はどうすれば……」

「う~ん、まずはリプル様へ毒を盛った犯人を捕まえる事ですね。
 そうでなければ今後一生、貴女に危険が及びますから。
 心当たりはおありですか?」

 困った。
 正直心当たりがアリまくりだった。
 乙女ゲームにハマりまくって一年。
 遂に神ゲーとも言える作品『シンデレラ プリンセス』に出会い。
 推しの王子を攻略する為にあらゆるイケメンに対して塩対応をして来た。
 思い返せばあらゆるイケメンに恨まれている気がした。

(こんなコトなら少しは他のイケメンにも優しくしていればよかった。)
 思わず苦笑いを浮かべているとカツラギ様が不思議そうな顔をしていた。
 私は慌ててにやけ顔を手で隠す。

「一般的に考えればリプル様が婚約しては都合の悪い方。
 または第一王子プロード様が行方不明になって得する方が怪しいですね。」

「プロード様が居なくなって得する人?」

「ええ、例えば王位継承権第二位のフライス王子とか。」

(フライス王子? 
  あぁ、あのチャライ人たらし王子か)

私は攻略対象一覧のコメントを思い出していた。
 確かに王位ともなれば、なりふり構わずに邪魔者を潰しにかかるのかもしれない。
 それに失踪したという愛しのプロード王子の行方も気になった。

(でもどうやって調べるの?)

パンッ

 思い悩んでいるとキサラギが手を叩いた。

「取り敢えずその恰好で街をうろつくのは非常に危険です。
 令嬢達の噂話ネットワークを見くびってはいけませんよ。
 直ぐに貴女が目覚めた事が知れ渡るでしょう。
 リプル様は少し警戒心が足りないようですね。
 仕方がありません。
 私が教えて差し上げましょう。
 さあ、こちらへ。」

 そう言って私の手を取ってガーデンハウスを連れ出した。
 そしてクローゼットルームへ押し込むといきなり服を脱がされた。

(え~、ちょっとちょっと
  いきなり何?
  キサラギ様?)

 いきなりのシュチュエーションに激しく動揺し頭が真っ白になる。
 そして気がつけば鏡の前に立たされ肩に両手を置かれていた。

「うんっ、やっぱり美しい。
 貴女のような美しい方と出会えて光栄です。
 でもこちらの姿も凛々しく研ぎ澄まされた色気があり素敵ですよ。」

(うわぁぁ、私、男前……)

 そこには髪を後ろで縛り黒いタキシードを着た男装の私が居た。
 キサラギ様のセンスと化粧が良いのだろうか。
 まるで宝塚の男役。
 自分で見ても惚れ惚れするような男前だった。
 だが私はその時はまだキサラギ様の闇を知らなかった。
 完璧を求める彼はそれから数時間もの間、私に男の仕草のレッスンを始めた。
 目線や仕草、髪の撫で方からウインクの仕方まで……
 やっと形になった頃には夕日が落ちかけていた。

「まぁ、いいでしょう。
 明日またこちらへ御出で下さい。」

 やっと解放されて家路につく。

(だぁ~、疲れた。
 いたたたぁぁ、もう足がパンパンだよ。
 キサラギ様。レッスン鬼過ぎなんだよ。
 途中から楽しくなってノリノリで決め顔を連発した私も悪いけどさ。)
 そう言いながらレッスンを思い出して軽やかにステップを踏む。
 そして振り向き様に決め顔を作り、フッと手をかざしてみせる。

「あの夕日が落ちるまで君の時間をくれないか?
 俺はこの出会いを探していたのかもしれない。」

(なんてね。てへっ)
 すると背後から声が聞こえた。

「えっ、私ですか?」

驚いて振り向くとそこにはウットリとした瞳をした令嬢が立っていた。

(えっ、イライザ?)
 そう、彼女は乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』に出て来る悪役令嬢。

『知っておきなさいっ、
 私の名前と貴族制度をね。』

が決めセリフの悪役令嬢イライザだった。
 ブロード王子攻略の際には第一王子を取り合いバトルを繰り広げた仲だった。
 確かラストは悪事を追求され社交界を抹殺された筈だったけど。

(でもどうしてこんな所に?)
 不思議に思いながらも怪しまれない様にその場を取り繕う。

「勿論、貴女のコトですよ。
 いきなり失礼した。
 余りの美しさについ心の声が出てしまいました。
 それでは……。」

ガシッ

(えっ?)
 その場を逃げようとする私は腕をムンズと掴まれる。

「いきなり私に愛の告白をしておいて名前も聞かずに失礼ですわ。
 いいコトっ、
 知っておきなさいっ、
 私の名前と貴族制度をね。」

(知っておきなさいっ、
  私の名前と貴族制度をね。
  ……はぁぁ、やっぱり出たよ決めセリフ。
  やばっ、何か変な女にロックオンされちゃったみたい。
  う~ん、でも正体ばれると面倒くさい事になるしな。)
 
 どうしたものかと男の色気たっぷりに髪をかき上げながら思い悩やむ。
 するとその仕草がドストライクらしく瞳をキュンキュンさせながら見つめられた。

『令嬢達の噂話ネットワークを見くびってはいけませんよ。
 直ぐに貴女が目覚めた事が知れ渡るでしょう。』

 カツラギ様の言葉を思い出す。
 (とにかく正体がバレない内に逃げなきゃ)
 私は捕まれた腕を逆に引っ張ると悪役令嬢イライザを抱きしめた。

「実は、ボクは追われているんだっ。
 君を巻き込みたくないからもう行かなきゃ。」

 そう言って逃げ出そうとするがイライザは手を放さない。

「あぁ、忘れ物だ。」

 そう言って私はイライザへ強引にキスをした。

「えっ、なんですの?」

 イライザは驚いて思わず手を放す。

スタスタッ

私はその隙にそそくさと逃げ出した。

(うわぁぁ、女子とキスしちゃったよ。
  今夜シフォンに何て報告しよう。)

 赤面しながらも急いで屋敷へ向かう。
 十二時までにベットに戻らなければ再び眠りの呪いが発動してしまう。
 (初めての男装と悪役令嬢との再会。
  犯人捜しの始まりは前途多難だったな。)
 そんな事を考えながら屋敷の廊下を音を立てないように駆け抜けて部屋へ入る。
 時間ぎりぎりにベットに飛び込むと再び眠りの呪いが発動した。
 十二時の鐘が鳴る中で意識が飛ぶ。
 気がつくとラベンダーの香りに包まれて私はあの海へ戻って来ていた。
 巨大な月が浮かぶ碧い海辺。
 碧く光る粒子が辺り一面に漂っている。
 (シフォンは?)
 キョロキョロと辺りを見回すが見つからない。

ザッ、ザッ、ザッ、

 誰も居ない永遠に続く海岸線。
 かなり心細い気持ちになりながら足早に砂を踏みしめ先を急ぐ。
 すると倒木に腰掛けシフォンが優しい眼差しで手を振り微笑んでいた。
 (いたっ、シフォンっ)

「おかえり」

 一日しか経っていないのに彼の顔を見ると懐かしさが込み上げる。
 彼は私を抱きしめると有無を言わさずに膝枕をした。

(何だか少し照れるけど安心する。)
 私は頭を撫でられながら今日の出来事を報告した。

「フフッ、じゃあ その悪役令嬢イライザにキスしたんだ。」

「はい。」

「しかもリプルから?」

「も~、そうですっ、
 何度も訊かないで下さい。
 恥ずかしいです。」

 そう言って私は顔を赤らめた。
 (乙女一生の不覚)
 その場を逃げ出す為だとはいえ、自分から女の子にキスをするなんて……。
 あの時の私は少しテンションが変だった。
 男装は私を行動的な理想のイケメンに変えてしまうのだ。

「でも無事にカツラギに会えてよかった。
 相変わらす奴は花が好きなんだな。
 あの頃と何一つ変わらない。」

 そう言うとシフォンは懐かしそうに遠い瞳をした。
 シフォンとカツラギ様がどんな関係なのかは分からない。
 でもきっと幼馴染で彼とのコトは大切な思い出なんだろう。
 記憶を消されても忘れない位に……。

「はい。
 それでカツラギ様が言ったんです。
 私に毒を盛ったのはフライス第二王子だろうって。」

「あのチャラ王子か。
 すまない。
 俺が動ければいいんだが。」

「シフォンは、まだこの世界から出られないの?」

 リプルは心配顔でシフォンの顔を覗き込んだ。
 
「ああ、あれから出口を探したが閉じ込められたままのようだ。
 断片的な記憶しかなくて何も思い出せない。
 覚えているのは一部の記憶と君を愛する気持ちだけ。
 君とどこで出会ったのかも思い出せない。
 服装からして俺はどこかの王族か貴族の様なんだが……。」

 私は悲しそうな瞳をしたシフォンを見つめた。
 こんなイケメンに会っていたら忘れるはずはないのだけど。
 私も彼に見覚えは無かった。
 乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』の攻略対象リストにも無かった気がする。
 私はシフォンの捨てられた子犬の様なしょげた顔に母性本能をくすぐられた。
 思わず彼の体をギュッと抱きしめて頭を撫でる。

「大丈夫。
 きっと私がシフォンを助ける方法を見つけるから。
 まずはカツラギ様と協力してフライス王子を調べてみる。
 だからもう一度、私に目覚めのキスをして。」

そう言うと私は瞳を閉じて唇を差し出した。
 彼は私の頭をポンポンと叩くと子供の様にモジモジし始めた。

「……っ?
 どうしたの?」

「今日はリプルからしてみてよ。」

(えっ、私から?)
 どうやら私が悪役令嬢イライザへキスした話で私のキスに興味が沸いたらしい。
 彼は少年の様なワクワク顔でキスをおねだりしていた。
 普段クールなイケメンの甘え顔。ブンブンと振るしっぽが見えるようだ。
 そのギャップに萌えが止まらない。
 気がつくと私は吸い込まれる様に彼へキスをしていた。

……何も起こらなかった。

(あれっ、何で?)
 私は昨日のシフォンの目覚めのキスを思い出す。
 どうやらかなりの情熱的なキスでなければ発動しないらしい。
 やっぱりシフォンにして貰おうと彼を見る。
 彼は目をつぶりウブな少年のように唇を突き出して待っている。

(も~、シフォンたら、される気満々じゃないの。
  乙女かっ)

「ゴホンッ」

(頑張れ私っ、
 これは目覚める為の儀式だから。
 リラックスしてサラッとさり気なく。)
 私は自分に言い聞かせた。
 元はモテない乙女ゲーマー。
 こう言うコトには慣れていない。
 だから時間を置けば置く程に意識して出来なくなる。

(あぁぁぁ、悪役令嬢イライザにはサラッと出来たのに。)
 私はぎこちなくシフォンの両肩に手を置くと叫んだ。

「え~っと、行きますっ。
 やぁぁぁ。」

 私は無我夢中で彼の唇を貪った。
 それはもう必死である。
 恥ずかしさで意識が朦朧とする中、気がつくとベットの上へ戻っていた。

 その夜、私は男装して夜会の入口に居た。
 私を殺そうとした犯人を捜す為である。
 今の所、一番怪しいのはチャラ王子ことフライス第二王子だ。
 夜会に潜入して何とか手掛かりを掴もうと会場まで来たが大事な事を忘れていた。
 それは貴族の夜会とは常にパートナーを伴って参加すると言う事だった。
 無理やり突入出来なくもないが偽名の不審者等、入れて貰えないだろう。
 どうしたものかと困っていると見慣れた令嬢が入口で何やら騒いで揉めていた。
 悪役令嬢イライザだ。

「いいから私を通しなさいっ。
 私を誰だと思っているの失礼ね。
 いいコトっ、
 知っておきなさいっ、
 私の名前と貴族制度をね。」

「しかし流石に夜会にエスコートなしでは……。」

 執事が困り顔でオロオロしていた。
 イライザはイライザで視線を何やら怪し気にウロチョロしていた。

(利用できるかも……)
 私は二人の間に割って入った。

「暗闇に灯る美の輝き。
 余りの美しさに見惚れて声をかけるのが遅くなりました。
 遅れて申し訳ありません。
 何を着ても貴女の輝きに霞んでしまう。
 そう心配になり衣装選びに時間がかかってしまって。」

「貴方はっ。」

 何故かイライザはフルフルと全身を震えさせている。

「やっと見つけましたわよ。
 この恋泥棒……いや運命の君。」

 イライザはそう言うと私の腕をワシッと掴んで離さない。

(うわぁぁ、再びロックオンされたよ。
 何かみんなの視線が痛いです。)
 私は慌ててイライザを見るが既に瞳がハート。
 乙女モード全開で放さない。
 仕方がなく私はその場に跪いて手にキスをした。

「参りましょう。
 社交界が貴女を待ちわびています。」

「私はイライザ、当然ですわ。」

 彼女は勝ち誇ったように髪をかき上げて執事に目をやるとスタスタと歩き出した。

ガヤガヤ
カチャ ザワザワ

 周囲はパーティー会場独特の香りが漂っていた。
 何とか夜会への潜入に成功した私は周囲にそっと目を配る。
 第一王子プロード様攻略の過程で何度か夜会には出た事がある。
 でも今回は今までより遥かに規模が大きかった。
 様々な名だたる貴族や令嬢達が勢ぞろいしている。
 第一王子失踪から一時夜会は自粛ムードだったが今回は第二王子の主催。
 風向きが変わりつつある情勢に顔を売ろうと皆必死だった。
 見ると第二王子のフライス王子が令嬢達に囲まれていた。
 真面目で厳格なブロード様に比べてとにかくチャラいフライス王子。
 恋の噂は数知れず、真っ先に攻略対象から外した王子だった。

(取り巻き多過ぎ。
  どうやって近づこう……)
 悩んでいるとイライザが袖を引っ張る。

「運命の君。
 まだお名前を訊いておりませんわ。」

 見ると顔を赤らめ伏せ目がち。
 普段の強気な性格からは想像もつかない乙女な顔をしていた。

(うっ、夜会に潜入出来たのはいいけど失敗したかも。
  ええと、名前、名前と、リプルと言ったらバレちゃうしな。)

「失礼した。
 私の名はルプリと申します。」

「ルプリ様、聞かない名前ですわね。
 もしかして隣国から?」

「えっ、えぇぇ、まぁそうです。」

「やっぱり、そうでしたの。」

 イライザが嬉しそうに手を叩く。
 最近クラウド王国では隣国との交流が盛んで様々な人や物が入って来ていた。
 その為、多少のトラブルも発生していると聞くが概ね好意的に捉えられている。
 大陸一の繁栄を誇るクラウド王国。
 誰もが一攫千金を狙って王都へやって来る。
 他文化が混ざり合い今王都は今世紀最大の活気に満ちていた。
 
 私達はグラスを取るフリをしてそれとなくフライス王子の方へ近づいた。
 すると王子の取り巻きの一部が気づきイライザへ声を掛けて来た。

「あら、イライザじゃないの。
 最近見ないと思っていたけど久しぶりね。
 もう王都には居ないのかと思っていたわ。」

「そうそう、ブロード様へあんな無礼をしたのだから。
 私なら恥ずかしくて直ぐにでも王都を出ますわよ。
 それがまだこんな所でウロウロと……。
 よくもまあ、まだ王都へ居られたものですわ。」

ザワザワ
ヒソヒソ

 その声に反応して周囲がざわついた。
 イライザは唇を噛みしめ俯いて黙っている。

 そう彼女は乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』に出て来る悪役令嬢。
 第一王子ブロード様の攻略の過程で私とバトルを繰り広げた仲だった。
 私とブロード様の婚約発表直前で悪事を追求され社交界を追放されていた。

(そう言えば、そんな彼女が何故また夜会へ来たのだろう。
  しかもたった独りで……。)
 不思議に思い首を傾げていると、尚も令嬢達の陰口が激化した。

 以前は社交界のボス的な存在で
 『知っておきなさいっ、
  私の名前と貴族制度をね。』
 が決めセリフの強気な悪役令嬢イライザ。
 泣かされた令嬢達も多いのだろう。
 それが一方的に責められている。
 今までの仕返しとばかりに次々と周りも同調し、いい気味だとニヤニヤしていた。
 確かに気が強く挑戦的な性格。
 私もよくイライザには絡まれた。
 ゲーム中で一番私が被害に遭ったのかもしれない。
 だけどイライザはいつでも単身自分の責任で喧嘩を売って来た。
 少なくてもこんな多勢に無勢な陰湿な責め方などしやしない。
 隣で聞いていて私は何だがだんだんと怒りが湧いて来た。

「ふん、ブタどもがっ。」

 聞えよがしに私は呟いた。

「ちょっと、あなた。
 今なんて言いましたの?」

「はぁ、ブウブウうるさいブタ達だと言ったのですよ。
 独りでは狩りに出かける勇気もないメス豚がっ。
 餌に群がりブウブウと。
 社交界には孤高の美学とルールがあるんですよ。
 貴女達には品がない。」

「なんですって。」
「なんですって。」
「なんですって。」

 取り巻き達がいきり立つ。

「だいたい。ブロード王子へ謝れと言うが貴女達はどの立場でそれを言っている。
 まるでクラウド王国 第一王子より上の存在のような口ぶりだ。
 それこそ王家へ対する不敬なのでは?」

「そっ、それは……」

 その言葉に取り巻き令嬢達が黙り込む。

パンッ、パンッ、パン

「あはははっ、
 そりゃそうだっ。
 我ら王族は貴族の助けなど要りはしない。
 また決してそんな軟弱であってはならない。」

 そう言うと第二王子 フライス王子は手を叩いて笑い転げた。

「フライス様っ、
 ですがイライザは以前ブロード王子へ無礼を……。」

「黙れっ、貴族令嬢ごときがでしゃばるな。
 そいつの言うように社交界には社交界の流儀があるんだよ。
 殴られる勇気のない者が立ってよい場所ではない。」

「ですが。」
「ですが。」

「黙れと言っている。
 興が醒めた。
 お前達はもう下がれ。
 それにあの兄貴に挑むなんてなかなか出来る事ではない。
 流石は孤高のイライザ嬢と言う所か。」

 そう言って手を振ると取り巻き達はスゴスゴと離れて行った。
 フライス王子は私へ馴れ馴れしく肩を組むとシャンパンを差し出した。

「しっかし、お前、伯爵令嬢達相手にズパズパと……。
 面白い奴だな、気に入ったぜ。
 さぁ、向こうで一緒に飲もうぜ。」

 イライザを見ると苦笑いしながら頷いている。
 私もイライザへ無言で頷くとフライス王子に連れられてバルコニーへ出た。

 夜空には満天の星が散らばり心地よい風が私の冷や汗を乾かしていく。
 まだドキドキしている。

(危なかった~っ、
 カチンと来て思わず変なコト言っちゃったけど今考えれば
 処刑モノだよね。
 名だたる伯爵令嬢達をブタ扱い。
 思い出しただけでもやっちまった感がプンプンするわ。)

 げんなりした顔でさっきの出来事を振り返る。
 ハッと我に返り、急いで状況を観察する。
 見るとフライス王子はぼんやりと街並みを眺めていた。

「なぁ、お前はこの国をどう思う。」

(えっ、急にこのチャラ王子どうしたっ?)
 普段、兄に政治を押しつけて令嬢の尻ばかりを追いかけるチャラ王子らしくない。
 ブロード様が失踪して王家としての責任に目覚めたのだろうか?
 チャラ王子とは仮の姿。
 ホントは一途な真面目王子だったりして。

(まさかね~、
  ないない。)
 そう思いつつもあまりの真面目顔に背筋が伸びる。
 きっと他国の人間だからこそ、どう見えるかが気になるのだろう。
 
「活気があり秩序もあった。
 良い国だったと思います。」

「だった?
 過去形なんだな。」

 フライス王子が意外そうな顔で問いかける。
 私に眠りの呪いをかけブロード王子の失踪に関係しているかもしれない相手。
 相手は王国の第二王子。
 二人きりで話せる機会などもうないだろう。
 私は思い切って踏み込んでみる。

「恐れながら、第一王子が謎の失踪。
 その婚約者も昏睡状態と聞いています。
 噂では王位を狙ったチャラい誰かが暗躍したとかしないとか……。」

「おいおい、それは俺が兄貴を暗殺したと言っているのか?
 俺は王位なぞに興味はないし、そんな事はしやしない。」

「御冗談を。
 男子たる者、王子に生まれて権力に固執しない訳がない。
 それに英雄色を好むと申します。
 王になってウハウハのハーレムを作りたいのでは?
 婚約者への毒殺も王子の婚約を阻止する為に暗躍なされたのでしょ?」

 私は意地悪く食い下がった。
 
「おいおい、まてよ心外だな。
 俺はこう見えて一途な男だぜ。
 それに俺がリプル嬢を殺す訳がないだろう。
 初恋の相手なんだから。
 色々な令嬢へ声をかけたのだって彼女を忘れる為だぜ。
 あんな素敵な女性。
 忘れる事なんて出来ないけどな。」

(えっ、フライスさん……今、なんとおっしゃいましたか?)
 突然の言葉に私は目をぱちくりさせた。

「なぁ、信じてくれよ。
 こんなコト打ち明けたのはお前が初めてなんだからよ。」

 そう言ってフライス王子は私の肩を組んで寄りかかる。
 その重みに耐えきれず倒れ込み王子が馬乗りになる形になった。
 酔っているのかそれでもまだ王子は私に抱きついて来た。

「えっ、ちょっとあの、止めてって。」

 思わず私は地声で叫んでいた。

「……っ?
 お前、女なのか?」

 急に酔いが醒めたのか慌てて王子が私の服を開いた。

「やっぱり女。
 んっ、えっ、リプル嬢?」

「あっ、いや。」

 慌てて私は顔を手で覆い隠しながら服を取り繕った。

 誰も居ない夜のバルコニー。
 私とフライス王子は何故か正座をして向かい合っていた。
 
「毒を盛られて昏睡状態と聞いていたが……
 眠りから醒めていたんだな。」

「はい。お陰様で……。」

 私はばつが悪そうに答えた。

「そうか。良かった。
 うん、本当に良かった。」

 フライス王子は涙ぐんでいるようだった。

「俺がリプル嬢のコト好きだって聞いたよな。」

「はい、聞いてしまいました。」

「そっか~、
 もっとロマンチックに告白するはずだったんだけどな。」

 そう言うとフライス王子は悔しそうに空を見上げた。

「あのっ、私、何と言ったらいいのか。」

 思いがけない方向からの告白に戸惑う。
 どうしたらいいのかモジモジしているとフライス王子は真剣な顔で私を見つめた。
 よく見るとやんちゃだけど整ったイケメン顔をしている。
 チャラいと思っていた相手が実は一途だった。
 それが分かり多少のギャップ萌えも感じていた。
 (綺麗な顔。
  うーん、よく見るとまつ毛が長くて素敵な顔立ち。)

「リプル嬢。」

「えっ、あっ、はい。」

 急に声を掛けられて私は妄想から現実に引き戻された。

「君は俺の初恋の相手だ。
 忘れようとしたけどやっぱ無理だわ。
 俺マジだから。
 振り向いてくれるまでずっと君を待ってる。」

 そう言って彼は私の頬に手を添えた。

(えっ、えっ、急にマジだからってコクられても
 何かこのままだとキスとかされちゃうよ。)
 ドキドキしながら思わず沈黙を埋めに行く。

「あっ、いやその、私はブロード様と婚約をする予定でして……。
 あっ、そうだっ、ブロード様は暗殺されてしまったのでしょうか?」

「えっ、兄貴が暗殺?
 ないない。ちゃんと今も生きてるよ。」

「へっ、そうなんですか?
 ではブロード様は今どちらへ?」

「あぁぁ、別宅の愛人の家。」

「そうですか、愛人さんの所へ……って
 えぇぇぇぇっ、愛人ですってぇぇぇ」

 私の絶叫と共に夜がゆっくりと更けて行った。

第四話 男装王子誕生

 私は男装姿のまま部屋の中心に座っていた。
 右側には兄のタフタと幼馴染のニット。
 左側にはクラウド王国 第二王子のフライスがニヤニヤしながら座っている。
 衝撃の夜会翌日。
 私達はフライス王子に呼び出され見知らぬ屋敷に来ていた。
 フライス王子の命令で私は男装姿で主の席に座らされている。
 訳が分からずに混乱しているとメイド達が次々と食事を運んで来た。

「旦那様、初めまして。
 本日よりお世話をさせていただきますメイド長のウェルトと申します。」

 そう言ってウェルトは私のグラスにワインを恭しく注いだ。
 
「あのっ、フライス王子。
 今日はどのような御用件で。」

 兄のタフタが恐る恐る王子へ訊ねる。
 私も混乱しているが兄達はもっと混乱しているのだろう。
 それはそうだ。
 王宮親衛隊長と下級貴族の次男坊が突然王族に呼ばれ食卓を囲んでいる。
 通常ではありえない。
 混乱するなと言う方が無理だろう。

「別に用などないさ。
 一度志を同じくする者達と共に食事をして語り合ってみたかったんだ。
 さぁ、遠慮なく今日は食べてくれ。」
 
 そう言うとメイド長へ手を上げる。
 ウェルトは頷くと周りのメイド達へ目配せした。
 すると一斉に各グラスにワインが注がれていく。

「では共に愛するリプル嬢の生還を祈って。」

そう言うと皆がやっと理解したように大きく頷きグラスを捧げた。

(わ~ん。やりずらいよ。)
 私はいたたまれない気持ちでグラスを捧げた。

「我々は志を同じくする仲間だ。
 愛する人の前では地位も権力も関係ない。
 今日は遠慮なく語り合おうではないか。
 私はリプル嬢の為なら死ねるがタフタ君、君はどうか?」

(なにっ)

「殿下、言うまでもありません。
 リプルは私の最愛の妹。
 妹を守れる男になる為に王宮親衛隊に入隊したと言っても過言ではありません。」

(なんですとっ)

「そうか、そうか、君は王国随一の剣豪。
 きっと彼女を守れるさ。」

そう嬉しそうに言うとワインを飲んだ。

「ニット君と言ったか。
 君はリプル嬢の幼馴染。
 誰よりも長い時間共に過ごしたと聞いた。
 君はリプル嬢の事をどう思っている。」

「えぇ、まぁ……それなりに……」

 突然、王族にそう問われたニットはシドロモドロに黙り込んだ。
 俯き、どこかモジモジしているようだった。

(ニット……)

 無理もない。
 今まで王族となど会った事もないのだ。
 どう振舞えば失礼がないか分からないでいるのだろう。

(そうよっ、優しく生真面目なニット。
  ニットだけはこの妙な雰囲気に流されずに冷静で居てね。)

 だが、そんな様子にフライス王子は少し苛立っていた。

「なんだっ、どうして黙っている。
 俺が王族だから気を使っているのか?
 君のリプル嬢への想いはその程度かっ。」

「……っ」

ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ

 そう言われたニットは王子を睨みつけると、一気にグラスのワインを飲み干した。

バンッ

 激しくグラスをテーブルに叩きつけると突然まくし立てる。

「その程度だとっ。
 俺が誰よりもリプルの事を理解してるんだっ。
 彼女の為なら、今すぐにでもこの場で胸にナイフを突き立てて御覧に入れますよ。」

ゴクッ、ゴクッ

 そう言うと再び注がれたワインを飲み干した。

「ふぅ、もう一杯いただけますかっ。」

「そうかっ、そうでなくては今日集まった意味がないぞ。
 さぁ、共に彼女の魅力について存分に語り合おうではないか。」

 そう言うと皆、歯止めが効かなくなったように、次々と私の魅力について語り始めた。
 
 (ひぃぃ、もうやめて~)

 好きなコトが同じ者同士の食事会程厄介なモノはない。
 会話は盛り上がりに盛り上がり私の存在は置いてきぼりだった。
 序盤は引きつった笑顔で頷いていた私。
 だが中盤から誰が一番私の素敵な所を言えるかの競争になった。
 そうなるともう手が付けられない。
 フライス王子が綺麗な髪と言うと兄のタフタがスイーツを頬張る顔と言い。
 ニットがいやいや口を開けてうたた寝をする無防備顔が堪らないと力説する。

(あの~、フライス王子。
 本人が隣に居る事を忘れていやしませんかい。)

 私は魂の叫びを送るが一向に伝わらなかった。
 男達が夢中で私の好きな仕草を叫ぶ度に回りのメイド達が口に手を当ててクスクスと笑う。
 そしてその私の姿を想像するように度々メイド達の生温かい視線が私へ注がれる。
 どうやらメイド達は私が男装したリプルだと知っているようだった。
 このままではニットが私の恥ずかしい過去を暴露しかねない。

(わ~ん、このままだと私っ、お嫁に行けなくなるよ~。)

 私はいたたまれなくなり会話に割って入った。

「ごほん。
 あっ、あのフライス王子。
 今日は私に何かお話があったのでは?」

 そんな言葉で周りの視線が一斉に私に注がれる。

「そう言えば殿下。
 この男性はどなたですか?
 ここに呼ばれたからにはリプルと関係があるのでしょう。」

 そう問うタフタへフライス王子は頷いた。

「いやいや、ルプリ殿失礼した。
 大事な事を忘れておりました。
 最近、社交界では私が王位を狙って兄のブロード第一王子を暗殺。
 リプル嬢へ毒を盛った等と妙な噂が流れていると言うのでな。
 まずは私のリプル嬢への想いを共有し誤解を解きたかったのだ。」

 そう言うと二人は大きく頷いた。

「殿下のリプルへの想い。
 確かに伝わりました。
 あれ程の愛情を持って語れる方が毒を盛るなどありえない。」

 タフタがそう言うとニットも大きく頷いた。
 それを聞いたフライス王子は褒められた少年の様に笑顔になるとうんうんと頷いた。

「当然ですっ。
 だから今日は二人にこの方を紹介したくてお招きしました。
 私が隣国から客人としてお招きしたこの屋敷の当主 ルプリ伯爵。
 訳あって男装していますが髪が綺麗でスイーツが大好きで寝顔が素敵な……。
 私達が愛してやまない。
 リプル嬢のコトを誰よりも知るお方です。
 ここまで言えばもうお分かりでしょう?」

 フライス王子がそう言ってウインクしてみせると二人は立ち上がり涙を流した。

「まさかっ、リプルっ、お前なのか?」

 私も立ち上がり照れ臭そうに微笑んた。

「タフタ兄様、ニット。
 ただいま帰りました。」

 そう言うと三人は肩を寄せ合って泣いた。
 周りのメイド達ももらい泣きをしている。
 一通り喜び合った後にフライス王子が皆に切り出した。

「タフタ王国親衛隊長には明日から私の直轄としてこの屋敷の警備に入ってもらう。
 ニット君は隣国との特別外交官として屋敷へ赴任。
 リプル嬢を徹底的に守ってくれ。
 よいかっ、これより先は彼女に指一本、危害を加えさせてならない。」

「分かりました。」
「承知致しました。」

「彼女は命を狙われている。
 だから彼女が眠りから醒めた事は秘密だ。
 王宮内にもリプル嬢は看病空しく亡くなったと噂を流すつもりだ。
 彼女はあくまで隣国から来た私の客人 ルプリ伯爵だ。
 この事はここに居る三人とメイド達しか知らない。
 リプル嬢。
 安全の為、これから暫くはこの屋敷で過ごしてもらうがいいだろうか?」

 私は少し不安になって周りを見つめる。
 すると兄のタフタとニットは力強く頷いた。
 メイド長達も優しい笑顔で頷いてくれる。
 これだけの人達が私を守ろうと力を尽くしてくれている。
 そんな皆の気持ちが嬉しかった。
 私は勇気を出して頷いた。

「分かりました。
 皆さん、よろしくお願いいたします。
 あっ、でもできれば、もう一人執事として招きたい方がいるのですが。」

 私はカツラギ様の事を思い出して付け加えた。
 協力してくれるか分からなかった。
 でも私を男装へ導いてくれた彼が居れば更に心強かった。

「君が信用できると思う者なら構わない。
 そうと決まれば直ぐにでも引っ越しだ。
 これからはルプリ伯爵として社交界へ乗り込み敵と戦っていこう。」

「殿下。
 リプルを守る事に異存はありませんが、敵とは誰なんですか?
 もしかして殿下はリプルを殺そうとした犯人を御存知なんですか?」

「……っ」

 その言葉にニットも息を飲んでフライス王子の言葉を見つめていた。

「いや、それはまだ分からない。
 でもその前に許せない奴がいるだろう?」

「許せない奴?」
「許せない奴?」
「許せない奴?」

 そう首を傾げる私達にフライス王子は不適な微笑みを浮かべた。

「そう、俺達のリプル嬢を口説いておきながら愛人作って逃げ出した奴さ。」

(えっ、それってまさか。)

「そう、まずはっ、あの二股野郎っ、
 ブロード第一王子へ鉄槌を食らわす。」

(えぇぇぇ)
(えぇぇぇ)
(えぇぇぇ)

 そんなフライス王子の力を借りて私達は郊外の王家所有の屋敷に引っ越して来た。
 当主は私、隣国の伯爵? ルプリ。
 フライス第二王子と意気投合して客人として招かれた事になっている。
 (私が伯爵だなんて……。)
 平民からいきなり伯爵になり私は少し戸惑っていた。
 敷地内には外交と警備の別館が建てられた。
 そこにはニット特別外交官が赴任。
 警備にはタフタ第二王子直轄親衛隊長が赴任した。
 慌ただしく荷物の整理をしているとウェルトメイド長が声をかける。
 
「旦那様はそこで休んでいて下さい。
 今、リノがお茶を淹れますので。」

「ウェルトさん。
 旦那様はやめて下さい。
 これでも私は令嬢ですから。」

 困り顔でそう言うとウェルトメイド長は微笑んで首を振る。

「いいえ、いけません。
 いつボロが出るか分かりませんもの。
 普段から訓練が必要とフライス王子より仰せつかっておりますので……。
 それに私達にとってリプル様はルプリ伯爵。
 当屋敷の旦那様でございます。
 うふふっ、御所望なら付け髭も御用意いたしますわよ。」

 私が呆れて苦笑いをしていると見慣れない若いメイドが入って来た。
 大きめのエプロンに赤いリボン。
 背は低いがくりくりっとした瞳が印象的なメイドだった。

「本日より身の回りのお世話をいたしますリノと申します。」

 見れば歳は私と同いだろうか。
 落ち着いた雰囲気のウェルトメイド長とは対照的に活発そうな少女だった。

「うわっ、この屋敷には近い歳の娘が居ないから嬉しいです。
 よろしくお願いします。
 あっ、この紅茶美味しい。」

 そう言うとリノはパッと明るい笑顔を浮かべて嬉しそうに頷き、焼き菓子も差し出す。

「このクッキーとの相性抜群なんです。
 是非、お試しくださいませっ。」

 二人でキャッキャして菓子を食べているとウェルトさんに声をかけられた。

「旦那様。
 カツラギ様が到着なされました。」

 見ると黒のスーツに白手袋をしたカツラギ様が微笑んでいた。

「カツラギ様っ、
 本当に来てくれたんですね。
 今回は御迷惑をおかけしてすみません。」

「いえいえ、第二王子の命令ですから……。
 この度は、御呼びいただき光栄です。
 屋敷の管理は私にお任せ下さい。
 ではウェルトメイド長。
 早速、屋敷の食器類の確認から始めたいのですが。
 あっ、あと庭園の花の配置についても御相談が……。」

 そう言うといそいそと部屋を出て行った。

「はふぅぅぅ」

 日が暮れてやっと大体の片づけが終わり私は薔薇が浮かんだバスタブで湯浴みをしていた。
 首筋に湯をかけながらこれまでの事を振り返る。
 (何だかあっと言う間の一日だったな~。)
 今までの事を振り返ってもまるで実感が湧かなかった。
 毒を盛られて眠り姫になって
 男装して夜会へ潜入してフライス王子に会って
 気がつけば王国の屋敷の主になっていた。
 しかも明日からは浮気したブロード第一王子を懲らしめに行くと言う。
 
 (はぁぁ、何だか気が重いな。)
 ブロード第一王子。
 それは私が攻略対象と決めて八時間かけて堕とした推し王子だった。
 本当なら今頃、婚約発表がされてハッピーエンディングを迎えていた筈だっだ。
 (それが私に隠れて浮気していたなんて……)
 本当だろうか?
 (まさか私が邪魔になってブロード王子に暗殺されてたりして……。)
 ブンブンと首を振り邪念を振り払う。

 もうすぐ十二時になるだろう。
 そろそろベットに入りシフォンへ会いに行こうと思った。
 きっと彼なら的確なアドバイスをくれるだろう。
 今日はシフォンに話したい事が沢山あった。
 私が旦那様とメイド達に呼ばれていると知ったら笑い転げるに違いない。   
 (ふふふ。)
 少し楽しみになってパスタブから立ち上がる。

「失礼いたします。」

(えっ? きゃー)

 突然にドアが開き、ゾロゾロとメイド達が入って来た。
 慌てて両手で胸を隠してしゃがみ込む。

「えっ、ちょっとウェルトさん?
 何ですか?」

「体を綺麗にさせていただきます。」

 そう言うとキラリンと目を輝かせたメイド達が近づいて来た。

「いえっ、独りで出来ますから。」

「大丈夫でございます。
 旦那様をピカピカにして差し上げますわ。」

「えっ、ちょっと、ひぇぇぇぇ。」

 微かな叫び声がシャボンの香りと共に夜空にこだまする。
 特別エステによりピチピチの肌でベットへ倒れ込んだのは時間ギリギリだった。

 でもその時の私はまだ知らなかった。
 これから毎日ブロード王子の愛人と壮絶なバトルが繰り広げられるコトを……。

――王宮 宰相室――

 その頃、王宮の宰相室では一人の男性が報告書に目を通していた。
 
 コンコン

 ドアをノックする音がする。
 返事をし書類から目をあげるとフライス王子が入って来た。

「こんな時間まで仕事かよ。
 宰相って言うのは大変なんだな。」

ドンッ

 そう言うとフライスは机の書類の上へ無造作にワインボトルを置いた。
 男は苦笑いしながらペンを置くと向かいのソファーへ促した。

カチンッ

 二人はグラスを当てて乾杯をする。

「それであの計画は順調に進んでいるのか?」

 そう男は眼鏡をずり上げながらフライス王子へ訊ねた。

『クラウド フェル パイル』

 王国 第三王子にして宰相。
 その頭脳と策略は他に並ぶものが居ない程に群を抜いている。
 徹底した現実主義者で効率の為なら平気で古参貴族を切り捨てる。
 鬼畜眼鏡と囁かれる王国一の切れ者だった。

「ああ、準備は万端。
 そろそろ仕掛けようと思っている。
 だが本当にこれでいいのか?」

 心配顔のフライス王子にパイルは邪悪な笑みを浮かべた。

「目の前に料理が出されたら冷める前に食べるのが礼儀だろう。」

 そう言うとグラスのワインを一気に飲み干した。

「怖いね~、お前だけは敵に回したくないわ。
 俺としてもそれなりに時間をかけて準備して来たんだ。
 今更やめる気はないけどな。」

 そう言うとフライス王子もグラスのワインを一気に飲み干した。

「それじゃあ、戦闘開始と行こうか。」

 そう言うと二人は頷き、古来からの出陣の儀式にのっとりグラスを高く掲げた。

「ファイエル」
「ファイエル」

ガシャン
ガシャン

 勢いよくグラスを床へ叩きつけると二人はそのまま宰相室を後にした。
 誰も居なくなった宰相室にはワインの香りとキラキラと輝くガラス片だけが佇んでいた。

第五話 新生活と略奪愛の始まり

 ラベンダーの香りに包まれていつもの海へ戻って来た。
 いつもの倒木までテクテクと進むとシフォンが難しい表情で考え込んでいた。
 不思議に思い訊ねてみると妙な遺跡を発見したと言う。
 そう私はキスで一時的にもあっちの世界へ帰っている。
 だけどシフォンは私とのキス後もこっちの世界に囚われたままなのだ。
 それで私が来るまで一日中探索を続けた所、妙な遺跡を発見したらしい。
 私はシフォンに案内されて早速その遺跡の前まで行ってみた。
 暫く歩くと遺跡が見えて来た。
 それは高くそびえ立つ岩石をくり抜く様に作られていた。
 丸い柱が何本も立ち並びまるで何かの神殿の様だった。

ゴクリ

 近づいて見ると上が見えない程の絶壁に神殿が君臨している。

ゴクンッ

 その圧倒的なスケールに思わず私は唾を飲み込んだ。
 私達は互いに無言で頷くと恐る恐る中へ入ってみた。
 (えっ、冷たいっ)
 まるで氷水に浸かった様にヒンヤリとした空気が全身に張り付く。
 どんな仕掛けになっているか分からないけれど辺りにぼんやりと光が差し込んでいる。
 遅れて湿気と埃の独特な匂いが鼻孔を刺激した。

 中は長い廊下がずっと続いていた。
 ヒンヤリとして何故か奇妙な重力を感じた。
 コツコツと妙に足音だけが反響して響き渡る。
 それはまるで何百年も時が止まっていたかの様な静けさだった。
 (冥界ってきっとこんな世界なのかな?)
 そんなコトを考えながら暫く進むと広間に出た。
 中央にはぼんやりと蒼白く光る石碑があり、奥に二つの扉が閉まっている。
 その二つの扉には細かい彫刻が施されていた。
 左の扉には禍々しい鎌を持った死神が彫られている。
 右の扉には神秘的な聖杯が彫られていた。

「ねぇ、シフォン。
 この扉って……。」

 そう言う私にシフォンが黙って頷くと石碑に刻まれた文字に触れる。

「うん、何だかヤバイ雰囲気がプンプンするな。
 多分、扉を開けると何かが起こると思う。
 この世界から脱出出来るかもしれないけど罠の可能性もある。」

 死神と聖杯。
 禍々しい程の邪悪さと神々しい程の眩さ。
 確かにどっちの扉を開けてもタダでは済みそうになかった。
 今はシフォンが居る。
 何とか私を助けようと頑張るフライス王子やタフタ兄様やニット。
 執事のカツラギ様やウェルトメイド長だって居る。
 少し恥ずかしいけど情熱的なキスさえすれば一時的だけど屋敷に戻れるのだ。

 謎の遺跡神殿に怪しい石碑。
 石碑にはきっと
 『汝、何を求める』とか『願いを叶えたければ……』等が書いてあるのだろう。
 で謎解きを間違えると罠発動で即昇天?
 映画でよくあるパターンだ。
 怖い怖い。
 何だか、わざわざよく分からない危険を冒す事はないような気がした。
 シフォンが現実の世界に戻れないのは問題だけど神殿は少しづつ調べればいい。
 別に急ぐ必要はないのだ。
 見るとシフォンが蒼白く光る石碑を触りブツブツ何か呟いていた。

「えっ、シフォンて古代文字が読めるの?」

「ああ、単語程度だけど所々なら理解出来そうだ。
 え~っと何々。」

……ゴクン

 私は緊張した面持ちでシフォンの言葉を待った。

「乙女ゲーム完全攻略読本。
 乙女ゲーム初のオンライン対応ゲーム。
 『シンデレラ プリンセス』
 隠しヒロイン カルゼ ルート特集。」

「えっ?」

 あまりの予想外の言葉に私は耳を疑った。

「乙女ゲーム完全攻略読本?
 汝、何を求めるか? とかではなくて?」

「うん、意味はよく分からないけれど
 確かに乙女ゲーム完全攻略読本と刻まれている。
 何かの予言書の様だね。
 隠しヒロイン特集とは何だっ。
 分からないっ、何かの暗号かな?
 あれ? ここにブロード第一王子の名前がある。
 どうして太古の遺跡に彼の名前が……」

 首を傾げるシフォンの横で私の頭はパニックに陥っていた。
 (えっ、どういうコト?)

『シンデレラ プリンセス』とは私がやっていた乙女ゲームの名前だった。
 この遺跡は明らかに私がこの世界に飛ばされた事と関係している気がした。
 どういう事か分からないけどブロード王子の名前がある。
 きっと今起こっている状況が予言されているに違いなかった。
 何だが妙な胸騒ぎがする。
 私は急かすようにシフォンへ内容を尋ねたが解読には時間がかかるらしい。
 モヤモヤする気持ち中で私は一度屋敷に帰る事になった。
 
「とにかく、リプルは一度戻って。
 俺はここに残って暫く予言書を解読してみるから。」

「うん、分かった。」

 死神と聖杯の二つの扉。
 乙女ゲーム完全攻略読本という謎の予言書。
 後ろ髪を引かれる思いの中で私達は情熱的なキスをした。

 屋敷に戻り目が覚めるとメイド長のウェルトさんが部屋のカーテンを開けた。

「お目覚めですか、旦那様。
 本日も良いお天気ですよ。」

 少し開けた窓から気持ちが良い風が入って来る。

 うーんと両手を上げて伸びをする。
 さっきまでの予言書の事が気になったけど解読はシフォンへ任せるしかなかった。
 あの感じだと数日は解読にかかるだろう。
 ベットから降りるとリノ達メイドが次々とドレスを運んで来る。

「旦那様。
 今日はどのドレスになさいますか?
 ブルーもお似合いですが、ピンクのリボンがついたこちらもお勧めですよ。」

 あれから必死に説得し屋敷の中に居る間は男装はせずに令嬢として過ごす許しを得た。
 ウェルトさん達も今では、私をお姫様扱いしてくれた。
 (呼び方だけは、旦那様だけど……)
 そう思い私は口をとがらせてブサイク顔になる。
 不用意な外出は控える様にフライス王子に言われていた。
 だからリノ達とお茶をしたり、カツラギさん自慢の庭園を散策したりした。

(あ~っ、風と太陽が気持ちいいっ。
  こんなゆったりとした時間を過ごしたのは何年ぶりだろう。)

 優しい人達に囲まれてゆったり過ごす時間は最高だった。
 庭園を散策していると窓から幼馴染のニットが嬉しそうに手を振った。
 (元気になってよかった。)
 少し前にお母様が病気で亡くなった。
 幼い頃にお父様が亡くなり女手一つでニットを育てて来たお母様。
 それだけにニットとの繋がりは深くニットの悲しみはどれ程のものだっただろう。
 私も幼少期にはニットのお母様から遊びに行く度に優しい声をかけられた。
 いつもお菓子を貰っては随分と可愛がってもらった。
 
「リプルちゃん。
 あの子は人見知りが激しいけど根は優しい子なの。
 でも早くに父親を亡くしたせいで随分と寂しい思いをさせて来たわ。
 だからお願い。
 あの子と仲良くしてあげて。」

 そう言って、何度も頭を下げられた事を今でも覚えている。
 お母様へ頼まれなくてもニットは私の大事な幼馴染だった。
 だからお母様が亡くなった時は私も随分と心配した。
 けれど何とか最近は気持ちも落ち着いて来たみたいだった。
 (一人暮らしの家を引き払って、この屋敷に来たのが良かったのかもしれない。)
 最近のニットは何か生きる目的が出来た様で瞳に生気がみなぎっている。
 (フライス王子に私を守る為に特別外交官に任命されたからかな?)
 少しだけ照れ臭いけど、私への好意で元気になったのなら嬉しかった。
 私はブンブンとニットへ手を振り返して焼き菓子を皆へ差し入れるように頼んだ。
 
 ぶらぶらと歩くと、私を警護しているタフタ兄様が優しい眼差しで微笑んでいる。
 最近は気がつくとさりげなくタフタ兄様が私の警護についてくれている。

 タフタ兄様にしてもそうだ。

 王国一の剣士で鬼の王宮親衛隊隊長。
 任務中は随分と怖い顔をしている事が多かった。
 でもこの屋敷に来て私の護衛をするようになり昔の記憶の中の兄様に戻った気がした。
 優しくて強くて暖かい。
 タフタ兄様の側に居ると全ての心配事が消えて無くなったかの様に安心できた。
 (実は私もブラコンだったりして……。)
 そんな自分に苦笑いをして歩みを進める。
 
 綺麗な花を見つけては、しゃがみ込んで花びらをつんつんする。

「おぉぉ、綺麗な花。
 おい元気か?
 いっぱい水をがぶ飲みするんだぞ。」

カサカサ

「……っ」

ニャー

 気がつけば花壇の奥から一匹の子猫が力無く震えていた。
 その毛並みは黄色く少し小太りの猫だった。

「あれっ、猫ちゃん?
 どうしたっ、お腹空いてるの?」

 優しく抱き抱えて毛並みを撫でてやる。
 すると子猫は目を細めて気持ちよさそうに腹を晒した。

フフッ

 ふと気配を感じて振り返る。
 すると苦笑いしながら頭を掻くカツラギ様が立っていた。

「旦那様。
 花は香りを愛でるものです。
 つんつんと突かれましても……まぁ楽しみ方はそれぞれですが。
 それにその子猫はどうなされたのです?」

「こっ、この子、空腹でそこに倒れてたの……。
 助けてあげられないかな。」

 そう言うとカツラギは苦笑いをしながら頷いた。

「承知いたしました。
 何か食べさせて当家で保護しましょう。」

「うん、お願い。」

 そう言うと私は子猫を大事そうにカツラギ様へ渡した。

「それにしても子猫と何を話されていたのですか?」

 私は見られた事を知って顔を真っ赤にして俯いた。
 (うぁぁぁ、恥ずかしいよ~。
  イケメン執事に変な所、見られちゃった。)
 幸せではしゃぎ過ぎた自分に照れているとカツラギ様が教えてくれた。

「現在、フライス王子の指示でブロード王子の身辺を探っています。
 ブロード王子を魅了している令嬢ですが……。」

「えっ、愛人さんの正体が分かったのですか?」

 私は少し動揺した。
 浮気をされたとは言え、婚約直前まで行った推し王子である。
 浮気相手の事が気にならないと言ったら嘘になる。
 (ブロード王子を虜にした令嬢はどんな女性なんだろう。)

 私はゴクンと唾を飲む。

「それがまだ詳しい情報は掴めていないのですが
 どうやら『カルゼ』と言う名の異国の令嬢のようです。」

(カルゼ?)
 そんな名前はゲームを始める前の登場人物一覧には載っていなかった。
 それに王子を攻略するプレーヤーは私、一人の筈。
 悪役令嬢じゃあるまいし攻略対象の王子を略奪するライバルなんて……ん。
 そこまで考えて昨晩のシフォンが解読した予言書の一文が頭を過る。

「乙女ゲーム完全攻略読本。
 乙女ゲーム初のオンライン対応ゲーム。
 『シンデレラ プリンセス』
 隠しヒロイン カルゼ ルート特集。」
 
 (隠しヒロイン カルゼ?)
 ブロード王子の愛人の名前もカルゼ。
 予言書に書かれている隠しヒロイン名前もカルゼ。
 これは偶然の一致だろうか?
 もし『シンデレラ プリンセス』が今までのオフラインゲームじゃなかったら。
 一定の条件で王子を奪い合うバトルモード。
 そう略奪愛みたいな……隠しヒロインモードが存在したとしたら?

 どこかで聞いたコトがある。
 マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン
 通称MMOと呼ばれるゲームシステムでは多人数が同時に参加する。
 そのシステムは主にRPGで採用されて協力したり対戦したり出来ると言う。
 乙女ゲーム初のオンライン対応ゲーム。
 『シンデレラ プリンセス』
 もし私以外のプレーヤーもこの世界に飛ばされていたら。
 そのカルゼと言う隠しヒロインの攻撃で私が毒殺されたのだとしたら。
 (怖い……でも負けるわけには行かなかった。)
 私は自分を鼓舞しながらもフルフルと微かに震えているのを感じた。

「旦那様。大丈夫です。
 今度は私達がついています。」

 そう言って、私の震えに気がついたカツラギ様は、優しく私に手を重ねて微笑んだ。
 私は強く頷いてカツラギ様へ訊ねた。

「それで私はどうすればいいのでしょうか?」

 そう訊くとカツラギ様は急に邪悪な笑みを浮かべて微笑んだ。

「既に準備は整えております。
 この余興、きっと旦那様もお楽しみいただけると思いますよ。
 今週末、特等席へ御案内いたします。
 それが上手くいけばカルゼという令嬢を引きずり出す事が出来るでしょう。
 その上で最終的にはルプリ伯爵にカルゼを魅了していただきます。」

「えっ、私が愛人さんを誘惑するのですか?」

「はい。
 第一王子ブロード様はカルゼという人物のハニートラップにかかった可能性が高い。
 でしたらこちらもカルゼに逆ハニートラップを仕掛けるのです。」

「あっ、あのっ、
 私にそんな魅力があるのでしょうか?」

 私は不安になって呟いた。
 するとカツラギ様は口に手を当てて笑い出した。

「フフッ
 大丈夫ですよ。
 貴女には男装王子の才能があります。
 現にイライザ嬢を虜にしているではないですか。
 何でもいきなり唇を奪われたとか?」

 そう言ってカツラギ様は悪戯っぽくウインクして見せた。
 (げっ、バレてるっ。
  どうしてそれを知っているのっ。
  執事カツラギ恐るべし。)
 私は冷や汗が流れるのを感じながら曖昧な笑みを浮かべた。

「すみません。
 少し意地悪が過ぎました。
 大丈夫です。
 これから私が王子道のイロハを伝授いたしますから。
 リプル様には人を魅了する才能があります。
 足りないのは自信と経験だけ。
 後は実践あるのみです。
 私の見立てではそろそろ練習相手が来る筈です。」

(練習相手?)
 カツラギ様の不思議な言葉に首を傾げているとメイドのリノが駆けて来た。

「旦那様ぁぁっ、大変でございます。」

「あらリノどうしたの?
 そんなに慌てて。
 また美味しいクッキーでも手に入ったの?」

 私が訊ねるとリノは思いもよらぬ返事をした。

「イライザ嬢が来襲されましたっ。
 今、ウェルトメイド長が時間稼ぎをしておりますっ。
 直ぐに服を着替えて御出で下さい。」

(えっ、悪役令嬢が来襲?)
 思わずカツラギ様の顔を見る。
 するとカツラギは子供の様な笑みを浮かべて肩を上げてみせる。
 そして、どうぞと言わんばかりに深々とお辞儀をして見せた。
 (まさかっ、カツラギ様が言った練習相手って。)
 私はどこか遠くで開戦のラッパが鳴り響いた気がした。

 急いで男装し応接室へ向かうと声が聞こえて来た。

バンッ

「もう紅茶は結構ですわっ。
 それよりルプリ様はどちらですの?
 本当に私が来た事を伝えているのでしょうね?
 こんなに待たせて、私を誰だと思っているの。
 知っておきなさい!
 私の名前と貴族制度をね。」

 ただならぬ気配に慌ててドアを開ける。
 するとイライザの表情が一変した。

「あぁぁ、愛しの君。
 どこへいらしていたのですか?
 私を焦らして罪な御方です。」

(うわぁぁ、何か瞳がハートなんですけど。)
 多少引き気味で取り敢えずイライザをソファーへ座らせる。
 気づくとソファーへ座ったイライザの向こうでカツラギ様が立っていた。
 救いを求める視線を送るがカツラギ様は素知らぬ顔。
 どうやら自分でどうにかしろと言う事らしい。
 (もう練習は始まっているって事ですか?)

「ごほっ、げほっ、ううん。」

 私はキサラギ様へ聞こえる様にワザとらしく咳払いをしてからイライザへ話しかけた。

「レディ、突然の訪問で驚きました。
 でもどうして私がここに居ると?」

 そう訊ねると待っていましたとばかりにイライザは話し始めた。

「あの夜会の後、突然居なくなるなんて酷いお方ですわ。
 あれから方々必死に探しましたのよ。
 そしたらルプリ様がフライス王子の客人として屋敷に住まわれたと言うじゃないですか。
 私、居ても立っても居られなくなり会いに参りましたの。」

 そこまで言うとイライザは唇を触り俯き顔を赤らめた。

「私の初めての唇を奪っておいて……。
 何の連絡も下さらないなんて。
 あれは遊びでしたの?
 私は貴方に弄ばれたのでしょうか?」

 その言葉に回りのメイド達が何やらヒソヒソと囁いている。
 (うぁぁ、皆の前でそれを言うかっ、悪役令嬢。)
 私はメイド達へ聞こえる様に咳払いをすると言い訳をした。

「いや、その……あの時は貴女のあまりの魅力に感情に任せて唇を奪ってしまいました。
 だが貴女のような女神に嫌われたくはない。
 口づけも貴女の気持ちも考えず良かったのかと少し臆病になってしまいまして。」

 そう言うとイライザはブンブンと首を振りながら言葉を遮った。

「何をおっしゃるのですか?
 初めてを貴方に奪われた時から私の身も心も貴方様の虜でございますわ。」

「ヒソヒソ……まぁ、初めてを奪われたですって。」
 イライザの言葉に回りのメイド達が色めき立つ。

(いやだからイライザさん。そう言った誤解を招く発言はやめましょうね。)
 私は苦笑いをしながら引きつった顔で頷いた。

「それで今日は?
 ただ私の顔を見に来たという訳ですか?」

 そう言うとイライザはその場で立ち上がり、少し思いつめた表情を見せた。
 その表情から何か伝えようとしている事は間違いがなかった。
 でもそれを伝えるべきか迷っている様だった。

「実はルプリ様のコトが心配で。
 ルプリ様はフライス第二王子の別格の客人。
 それはつまり第一王子の敵となると言う事です。
 でもルプリ様っ。
 貴方は第一王子のブロード様には決して関わってはいけません。
 私は心配なんです。
 あの方のようにアイツに毒を盛られて死んでしまうのではないかと。」

(…………)
(…………)
(…………)

 その言葉にその場に居た全員に戦慄が走った。

(コイツは何かを知っている。)
 (コイツは何かを知っている。)
 
 執事のカツラギ様がそっと腰の剣に手をかけて構えた。
 私はそれを無言で制止してイライザを再びソファーへ座らせ紅茶を勧めた。

「まずは淹れたての紅茶を頂きましょう。
 せっかくの香りが飛んでしまいますよ。」

イライザは黙って頷きソファーへ座るとカップに手をかけた。
 暖かい紅茶が茶葉の良い香りと共に緊張した喉を通り過ぎる。
 
「イライザ嬢」

「イライザと御呼びになって。」

「ではイライザ。
 君はプロード第一王子の婚約者が毒殺された件について何か知っているのか。」

「ええ知っていますわ。
 多分その犯人も……。
 でもそれを教える訳にはいきません。
 それを知ればルプリ様を巻き込んでしまいますから。
 これは私が招いた事件。
 全ては私の責任ですわ。
 ですからお願いです。
 貴方は第一王子のブロード様には決して関わってはいけません。
 それだけお伝えしたくて参りました。」
 
 そう言うとイライザは急に席を立って帰ろうとした。
 それを阻むかのようにメイド達がドア前に立ち塞がる。

「……っ、
 貴女達っ、何ですのっ。
 そこをお退きなさい。」

イライザが声を荒げた。
 それでもメイド達はイライザを睨みつけたまま動かない。
 そんな二人の間に慌てて入る。

「すまない。イライザ。
 でも聞いてくれ。
 実はここの警備に毒を盛られて亡くなった婚約者の兄が居てね。
 私達は彼を家族の様に想っているんだ。
 だから彼女の敵を討ちたい。
 もし何か知っているのなら知っている事を話してくれないか。」

「えっ、そう……彼女は亡くなったのですね。
 とても残念ですわ。
 彼女とはプロード王子を巡って多少の行き違いもありましたが良い令嬢でしたわ。」

(いやいや多少じゃないでしょ。イライザさん。)
 私は悪役令嬢イライザとの八時間に及ぶ激闘を思い出して内心思わず吹き出した。
 彼女とは乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』プレイ時代に何度か会っている。
 私が攻略対象のプロード王子といい感じになろうとするとなぜか必ず邪魔をして来た。
 気が強くプライドが高い孤高の悪役令嬢。
 ある時は取り巻き令嬢達を利用し。
 ある時は自ら乗り込んであらゆる手段を駆使して邪魔をする。
 プロード第一王子との婚約エンディングまで八時間かかったのだって彼女のせいだった。
 正直当時はイラっとしムカついたが実際に話してみると今はだいぶ印象が変わった。

 こっちの世界に来てからカツラギ様に悪役令嬢について調べてもらった事がある。
 どうやら彼女は由緒ある家柄に生まれたが生まれた事を歓迎されなかったらしい。
 それはその家に男性が居なかったから。
 当主が高齢と言う事もあり妊娠が分かった時にはかなり跡継ぎ誕生を期待されたらしい。
 そんな中でイライザは生まれた。
 我が子誕生の喜びよりも跡継ぎ断絶の落胆の方が強く彼女は当主に愛されなかった。
 母親も跡継ぎを産めなかった負い目からイライザに冷たく当たった。
 周りのそんな不穏な視線を感じたのは物心がついた頃だったらしい。
 それからのイライザは両親に愛される為に必死に勉強を始めた。
 常に愛情が枯渇した心がカラカラに乾いた人生。
 (誰かに愛されたい。
  私が生きていていいんだと実感して暮らしたい。)
 由緒ある家を断絶させない為に最高の男と結婚する事。
 その為には最高の令嬢になる事。
 それがイライザの生きる目的であり、唯一両親から愛される条件だった。
 だからイライザは誰にも媚びず泣かず振り返らずに生きて来た。
 我がままそうに見える悪役令嬢も実は不安気で乙女。
 その誰にも頼らず頑張ろうとする姿はどこか儚く健気に思えた。
 つまりは典型的なツンデレである。
 だから男装王子ルプリに突然唇を奪われて乙女心に火が点いたのだろう。
 恋愛経験が全くない分、堕ちると行動は一途で大胆だった。
 予測不可能な暴走悪役令嬢……困ったものだ。
 (でも私が男ならこんな彼女も悪くない。) 
 そう思いながらイライザへ改めて質問する。

「イライザ。
 君はプロード第一王子の婚約者が毒殺された件について何か知っているのか。」 
 
「ええ、知っていますわ。
 でもまだ確証がございませんの。
 そうだルプリ様。
 私をオトリになさいませ。
 私は犯人を知っている。
 それを皆の前で告発するらしいと言いふらすのです。
 そうすればきっと犯人を捕まえる事ができますわ。」

「しかしそれは危険では。
 イライザが殺されてしまう可能性はないのか?」

 私は不安気にキサラギ様を見るが参加させろと瞳が言っていた。

「勿論、私も毒殺される可能性はありますわ。
 私だって怖い。
 でも私は愛するルプリ様のお役に立ちたいのです。」

イライザの瞳は真剣だった。
 そこには強い意志と覚悟があった。

「しかし……」

 私だって自分を殺そうとした犯人を捕まえられるなら捕まえたい。
 だけどその為に他の人が殺されるなんて嫌だった。
 それが自分に好意を持ってくれている令嬢なら尚更だ。
 思い悩んでいるとそんな気持ちを察したのかイライザが柔らかく微笑んだ。

「あらルプリ様は私を守っては下さらないのかしら?」

少し震えながらも悪戯っぽくウインクをしてみせる。

「あっ、いやそれは全力で守るが……」

パンッ

 イライザは自身の不安をかき消すように両手を叩いた。

「それならこうしましょう。
 まず今、私にキスの御褒美を下さいませ。
 それでイライザは頑張れますわ。
 そしてもし犯人を捕まえる事が出来ましたら……」

 そこまで言うとイライザは頬を赤らめて唇を指で触った。

「犯人を捕まえる事が出来たら?」
「犯人を捕まえる事が出来たら?」
「犯人を捕まえる事が出来たら?」

「その時には私と婚約をして下さいませ。
 あっ、勿論ルプリ様が私の事を嫌いになりましたら破棄していただいて構いません。
 でも婚約者として私のコトを知っていただき気に入ってくださいましたなら……」

(えっ、キス?
  婚約? 何を言っているの?)
 突然の申し出に困惑して黙っていると突然キサラギ様が割って入った。

「よろしいでしょう。
 その契約条件で承りました。
 まずは犯人を捕まえる事が先決です。
 旦那様よろしいですね。」

「えっ、でも。」

「旦那様。
 ここまで覚悟を決めた女に恥をかかせるものではありませんよ。」

 ウェルトメイド長がそう言うとメイドのリノも大きく頷いた。

「う~ん。
 分かったけどイライザ。
 危険を感じたら直ぐに逃げてほしい。」

 周りの勢いに押されておずおずと私はイライザの申し出を受け入れた。

「それでは旦那様。
 誓いのキスをっ。」

(えっ、ここで?)
 周りの視線に戸惑っていると、何故かニヤニヤしたメイド達のキスコールが突然に始まった。

「キスっ、キスっ。」
「キスっ、キスっ。」
「キスっ、キスっ。」

(え~っ、何だっ、このノリはっ
  一体どうしてこうなったっ。)
 周りの生温かい視線を感じながらイライザを見ると既に瞳を閉じて構えていた。
 (頑張れ私、恥ずかしがったら負けだ。)
 私は恥ずかしさでいっぱいになりながらも夢中でイライザへキスをした。

第六話 罠色の夜会

 週末、私達はフライス第二王子主催の夜会に来ていた。
 勿論この夜会は私達がフライス王子にお願いして仕掛けた罠である。
 会場も時間も参加貴族も私が毒を盛られた時と全く同じにしてあった。
 少し強引な気もするが第二王子からの正式な招待では誰も断れない。
 それは引きこもっている第一王子陣営とて例外ではない筈だった。

 夜会。
 それは煌びやかな夜の社交界。
 だけど今夜だけは雰囲気がいつもと異なっていた。
 普段は限られた貴族達しか入室を許されないパーティー会場。
 勿論、武器等の持ち込みも禁止である。
 それは護衛も例外ではない。
 会場内の全ての人間が丸腰の閉じられた貴族だけの空間。
 だが今日は特別に剣を携えたタフタ兄様だけが密かに会場入りし睨みをきかせている。
 きっと誰かが会場内に毒薬を持ち込む可能性があるからだった。
 (誰だっ、どの貴族が毒を持ち込むんだっ。)
 タフタは些細な不審も見逃さないように入口で目を光らせる。
 日頃は緩く形式だけの荷物検査も今日ばかりは徹底している。
 その為、普段より受付に時間がかかり会場内では既に入った貴族達の談笑が続いていた。

 先程から会場内の貴族達の間では二つの話題で持ち切りだった。
 一つは失踪したと囁かれるブロード第一王子が参加するらしいとの噂。
 そしてイライザが毒殺されたリプル令嬢の犯人を発表するらしいとの噂である。
 勿論その噂は私達が事前に流布したデマだった。
 こうすれば私を殺した犯人が発表前にイライザを殺しに来るだろうと予想していた。

 それも前回と同じやり方で……。

 犯人は前回成功した自信から同じやり方なら絶対に捕まらないと考えているだろう。
 だからそのタイミングで謎を解いて犯人を現行犯で捕まえようという作戦だった。
 (この中に私を殺した犯人がいる。)
 私は緊張した面持ちで一人一人参加者達の顔を見て回った。
 前回、プロード王子が私との婚約を発表しようとしたメンバー。
 公爵に侯爵。
 そうそうたるメンバーが集まっていた。

「さっきからキョロキョロと怪しい奴。
 お前はは誰だっ?
 見慣れない顔だが……」

 突然に声をかけられて思わず振り返る。
 見ると眼鏡を掛けた神経質そうな男が怪訝な顔でこちらを見つめている。
 (えっ、シフォン?)
 私は驚いた。
 そうっ、雰囲気はまるで違うが夢で会うシフォンに顔がそっくりだった。
 あまりのコトに立ち尽くしているとキサラギ様がそっと耳打ちする。

「多分、宰相のパイル第三王子だと思われます。」

 鬼畜眼鏡パイル。
 そう言えば聞いた事がある。
 
 『クラウド フェル パイル』

 王国 第三王子にして謎の宰相。
 その頭脳と策略は他に並ぶものが居ない程に群を抜いている影の支配者。
 徹底した現実主義者で効率の為なら平気で古参貴族を切り捨てるという。
 だがその姿は誰も見た事がなく眼鏡を掛けているという事だけが知れ渡っていた。
 それでついた異名が鬼畜眼鏡。
 鬼畜眼鏡と囁かれる王国一の切れ者だった。
 私は慌ててその場を取り繕う。

「これはパイル殿。
 失礼した。
 御高名は聞いております。
 私は隣国より参りましたルプリと申します。
 本日はお会いでき光栄です。」

 そう笑顔を向ける私にパイル宰相は鼻で笑う。

「ふんっ、御高名だと。
 本当は私のコト等何も知らず慌てて執事に訊いていたくせに。
 ルプリ伯爵。
 切れ者との噂を聞いたが存外無能だな。
 時間の無駄だ。
 失礼する。」

 そう言うとスタスタと去ってしまった。
 (何あれ? 感じ悪る~。
  あんな奴っ、絶対シフォンとは別人だわ。)
 私はムカついてペシペシと太股を叩いた。

 一方イライザは先程からかなり緊張していた。
 理由は勿論、今日自分が殺されるからだった。
 (怖い。でも引き下がる訳には行かなかった。)
 イライザは今までの事を振り返る。
 我が家に立派な跡取りを迎え入れる為に情報収集をしているとある情報が入って来た。
 それはブロード第一王子主催の異例の夜会が開催されるというものだった。
 ブロード第一王子。
 王位継承権一位にして次期国王。
 普段は会う事さえ出来ない雲の上の存在だった。
 それがプロード王子の希望で貴族令嬢であれば誰でも参加自由だという。
 何でも広く令嬢達の率直な意見を聞いてみたいという事だった。
 (こんなチャンスは二度とないわ。)
 イライザは色めきたった。
 プロード王子に見初められば父上は大喜びだろう。
 きっと母上だって私を愛してくれるに違いがなかった。
 喜び勇んで私はその夜会へ参加した。

 だけど結果は惨敗。

 気がつけばブロード第一王子はリプルという知らない小娘と恋に落ちていた。
 訊けば身分の低い王宮親衛隊長の妹らしい。
 (こんな田舎娘に負けるなんて)
 何だか悔しくて思わず彼女へ声をかけていた。
 嫌味の一つでも言ってやろうと思ったのである。
 でも話して見ると素直な良い娘だった。
 その屈託のない笑顔に急に肩の力が抜けた私は、清々しくプロード王子を諦めた。
 だが事件が起こったのはその後だった。
 気がつくと極端に肌を露出した巨乳の異国の女がブロード王子を誘惑していたのだ。
 そのあからさまな色仕掛けに何故かブロード王子もまんざらでもない様子だった。
 後から知ったが、その異国の女が今のブロード王子の愛人カルゼだった。
 その時はプロード王子に限ってと思い一笑に伏し放っておいた。
 (あの時に私が王子に進言してさえいれば……)
 だが後日、私は信じられない噂を聞く事になる。
 ブロード王子がリプルと愛を育みつつも密かにカルゼとも密会していると言うのだ。
 (まさかっ、ブロード王子に限って二股など……)
 そう思いつつも胸騒ぎがして周辺を調べた。
 すると調べれば調べれる程にブロード王子がカルゼと頻繁に密会していると分かった。
 (このままだとあの気立ての良い田舎娘は捨てられる。)
 彼女を傷つけたくなかったので二股のコトは伝えずに何とか別れさせようとした。
 だけどいくらリプルの邪魔をしても二人を引き離す事が出来なかった。
 焦った私は直接ブロード王子へ意見する事にした。

 本来、王族が誰と付き合おうと自由である。

 それをただの令嬢が意見をするなんて、あってはならなかった。
 それでも我慢できず私はブロード王子へ意見した。
 私がその事を伝えるとブロード王子が驚いた顔で狼狽えていた。
 その瞬間、周りの取り巻きが不敬だと騒ぎだし私は社交界から追放された。
 その後、色々な場でブロード王子の二股を暴露しようとしたが出来なかった。
 何故か事あるごとに強い圧力がどこからかかかり私の発言は揉み消された。
 その頃からだろうか宮中に第一王子失踪との噂が流れたのは。
 結局、何もする事が出来ず夜会への参加もままならなくなっていた。
 そんな中での田舎娘の死亡。
 (もっと早く何とかしていれば彼女を救えたのではないだろうか?)
 私は後悔の念でいっぱいになった。

 だから今、私はここに居る。
 今度は自分がオトリになって……。
 
(多分犯人は愛人のカルゼだ。)
 あの夜会でブロード王子がリプルとの婚約を発表すると聞いて殺したに違いがなかった。
 だけど全く証拠がなかった。
 夜会の警備は厳重だ。
 ましてや王族主催なら尚更だ。
 勿論、武器の持ち込みは禁止。
 入室するメンバーも徹底的に受付で確認される。
 パートナーを伴っての参加ルールも互いの身元確認の意味も含んでいる。
 食事や飲み物についても同様だ。
 会場へ運ばれる前には必ず毒見がされる。

 つまりは毒が持ち込まれる事など有り得ないのだ。
 それなのに彼女は毒殺された。

『どうやって毒を持ち込んだのか?』

 その謎を暴かない限り、愛人カルゼを追い詰める事は出来なかった。
 だから今回私は同じ条件でオトリになった。
 事前に私が犯人を公表すると流布してある。
 それを聞いた愛人カルゼは必ず私を殺しに来るだろう。
 絶対に捕まらない前回と同じ方法で。

 会場を一周し終わるとリプルは元居た位置へ戻って来ていた。

ギィィ

 入口のドアが閉められる。
 どうやら全ての夜会の参加者が会場入りしたようだった。
 今の所、参加した貴族達に怪しい動きは見当たらない。
 タフタ兄様へ視線を向けるが兄様は黙って首を振った。

ざわざわ

 その時、入り口で声が聞こえた。
 
「ブロード第一王子だ。」
「あれ、ブロード様よ。」
「失踪したのではなかったのか。」

 見るとブロード第一王子が愛人のカルゼを伴って会場入りしていた。
 愛人カルゼはプロード王子の腕に抱きつきべったりとくっついている。
 苦笑いしたフライス第二王子が肩をすくめて私を連れ立って近づいて行く。

「これはこれは兄上。
 よく来てくださいました。
 てっきり肉欲の迷宮へ失踪したのかと思いましたよ。」

「ふんっ、強引な奴だ。
 欠席と伝えたのに脅して来やがって。」

 それを見ていた横のカルゼが割って入る。

「初めましてフライス殿下。
 カルゼと申します。」

 見れば細身ながら巨乳に金髪。
 異国人特有のハッキリとした顔立ち。
 スラリとしたその姿は妖艶で色香に溢れていた。

「お前がカルゼか。
 随分と兄上に可愛がられているようじゃないか。」

「お陰様で、よろしければフライス殿下も私を可愛がっていただけませんか?」
 そう言うと近づき耳元で囁いた。
「後程二人きりで……フフッ」

 そんな誘惑を振り払うようにフライス王子はブロード第一王子へ向き直る。

「兄上、リプル嬢は死にました。」

「そうか。」

「そうか?
 それだけですか?
 仮にも婚約しようとした相手でしょう。」

 今にも殴りかかりそうに襟を掴むフライス王子を取り巻き達が慌てて止めた。

「まぁいいさ。
 兄上は今日イライザの手によって報いを受ける。
 リプル嬢を殺した犯人をイライザは知っているのだから。
 さぁ、早速、世紀の大発表と行こうじゃないか。」

 フライス王子がそう言うとカルゼの表情が一瞬曇ったような気がした。
 (ブロード様……)
 久しぶりに見る推し王子の姿に私は複雑な気持ちだった。
 攻略時間八時間。
 あれ程の情熱をかけて攻略した推し王子なのに今は何も感じられなかった。
 (二股をかけられたから?)
 いや違う。
 眠り姫となってから色々な周りの愛情や優しさに触れて見た目以上の何かを知った。
 
 『愛するより愛されたい』

 そんな言葉が浮かんだが、それも何故かしっくりこなかった。
 そんな事をぼんやりと考えていると遠くの雑景に違和感を感じた。
 (いけないっ)
 私は慌ててイライザの元へ駆け寄ると手にしたグラスを叩き落とした。

カシャンッ

「キャァァ」
「おいなんだっ」
「どうしたの?」
「何事だっ」

 あまりの出来事に回りが騒めく。
 床に撒き散らされたワイン。
 転がるグラス。
 そんな中で私は一人のメイドの腕を強く掴んでいた。

「あっ、あの何か?」

 掴まれたメイドは委縮して震えている。

「おいっ、どうした?」

 騒ぎを聞きつけてタフタ兄様達が駆けつけて来る。
 一同に取り囲まれる中で宰相のパイルがウンザリした表情で進み出る。

「なんだっ、またお前か。
 いきなり令嬢のグラスを叩き落とすなんて。
 王族主催の夜会での不敬は許される事ではないぞ。
 どうゆう事だ。
 ちゃんと説明しろ。
 正統な理由がないのなら宰相として貴様を処罰する。」

 眼鏡を押し上げていきり立つ鬼畜眼鏡を無視して私はメイドへ問いかける。

「貴女は誰ですか?」

 その質問に周りから失笑が飛ぶ。

「あの男は何を言っているんだ。」
「どう見てもただのメイドだろ。」
「令嬢ならともかく、メイドに名前を聞くなど」
「気に入ったのなら後で持ち帰ればいいのでは?」
「フフッ、これだから異国の男は」

そんな中で私はもう一度メイドに問いかける。

「貴女は誰ですか?」

 腕を掴まれたメイドは震えながら細い声で答える。

「私はただのメイドでございます。
 何か粗相がございましたのでしょうか?
 何卒お許しくださいませ。」

 そのやりとりを聞いていたカルゼが見かねて声をかける。

「まぁまぁ、ルプリ伯爵。
 何かこのメイドの給仕に至らない所があったのですね。
 ですがここは王族主催の夜会。
 今はその辺になさいませ。
 このメイドが気に入らないのでしたら一旦この場から外しましょう。
 その上でメイドには後でたっぷりと躾けをすればよいだけの事。
 誰かこの者をつまみ出しなさい。
 それから直ぐに代わりの給仕の者を。」

 そう言うカルゼを尻目にルプリ伯爵は一向にその手を放そうとはしなかった。
 そのただならぬ雰囲気に執事のキサラギが声をかける。

「旦那様、どうなさいました。」

「あぁ、キサラギ。
 このメイドはどこの家の者ですか?」

 その言葉に困惑顔のパイル宰相が声をかける。

「ルプリ伯爵。
 どういう事だ。
 メイドはメイドだろ。
 私達にも分かる様に言ってくれ。」

 気がつくと一同の視線が一斉に全て私に注がれていた。
 私はその状況に気がつくと深呼吸をして話し始めた。

「パイル宰相。貴方程の高い地位の方ですと夜会の台所事情は分からないかもしれませんが
 本来夜会ではホスト役がおります。
 招いた家が料理やメイドを手配し、もてなすのが決まりです。
 ですが今回のような大規模な夜会の場合は一つの家のメイドでは手が足りない。
 その場合は懇意にしている別の家へ応援を頼むんです。
 だから今夜この会場には様々な家のメイドが混在しています。」

「なるほど、だったら尚更、我々の知らないメイドが居てもおかしくはないだろう。
 この場に何人のメイドが居ると思っているのだ。
 今夜限りの応援メイドなどいちいち覚えてなどいられないからな。」

「それはそうだ。」
「令嬢ならともかくメイドなど」
「名前どころか顔すら覚えてないぞ。」

 周りの貴族達が口々に呟いた。
 その言葉を制すように私は更に説明を続けた。

「それがそうではないのです。
 王族主催の大事な夜会。
 寄せ集めのメンバーだがらと言ってミスは絶対に許されません。
 今夜のフライス第二王子主催の夜会の仕切り役は私です。
 ですから事前に全ての応援のメイドには挨拶をさせていただきました。
 給仕といえども大切な仲間。
 顔を忘れる事はありません。」

「嘘だろ。ここに何人のメイドが居ると思っているんだ。
 ルプリ伯爵はその全ての顔と名前を覚えていると言うのか?」

「はい。
 その通りでございます。
 私は昔から記憶力には自信があるのです。
 何なら後程、来賓からメイドに至るまで
 ここに居る全ての方々のお名前を言って見せましょう。」

「おぉぉ」
「おぉぉぉ」
「本当なのか?」
「何と言う記憶力だっ。」

「本当なのか?
 本当にそんな事が可能なのか?
 いや仮に可能だとしても伯爵が全てのメイドへ頭を下げて回るなど。」

 パイル宰相は信じられないと言う表情で首を振った。

「はい。可能です。
 そしてこの者は今夜の夜会のメンバーには居ない顔です。
 あっ、いや……確かこの者は……そうかっ。」

 そこまで言うと私はぼんやりとした記憶を奥から引っ張り出した。

「随分と服装が違うから気がつかなかった。
 君は早朝に花を届けに来た者だね。
 パイル宰相っ、この会場の花瓶の水を調べて下さい。
 そのどこかに毒が隠されている筈です。」

それを聞いたパイルは直ぐに部下へ花瓶を調べさせた。

「ありました。
 奥の花瓶に猛毒が入っていました。」

「おぉぉぉ」
「おぉぉぉ」
「おぉぉぉ」

(そんな所に隠されていたのか?
  いくら荷物検査をしても見つからない筈だっ。
  しかしリプル嬢のキメ細かい配慮と記憶力がこれ程とは……)
 フライス王子は驚いた。

夜会の準備が開始される前から飾られた花瓶の水。
 いくら運ばれた食事を調べても見つからないわけだ。
 リプル嬢が毒殺された時もきっと毒は花瓶に入れて持ち込まれたに違いなかった。
 (そしてその犯人はきっと)
 私は目の前の愛人カルゼを睨みつけた。

「このメイドは異国の出身ですね。
 カルゼ様。何か御存知なのでは?」

そう言うとカルゼは不適に笑みを浮かべた。

「まさか。
 このような者など知りませんわ。
 それに異国出身と言うのならルプリ伯爵も異国出身と聞きましたわ。
 貴方こそイライザ嬢を毒殺しようとした犯人なのでは?」

「ルプリ様が私を殺すなどある筈がありませんわ。」

その言葉にイライザが激しく嚙みついた。
 その抗議にカルゼはあくびをして見せるとブロード王子の腕に抱きつき甘い声を出した。

「ブロード様。
 カルゼは疲れてしまいましたわ。
 今夜はこの辺りでお暇いたしましょう。」

そう言うとカルゼはプロード王子を連れだって歩き出した。
 タフタ兄様達が睨む中、帰り際、思い出したようにカルゼは私へ話しかけた。

「あぁぁ、そうだっ、ルプリ伯爵。
 今度は私のお茶会へいらして下さいな。
 同じ異国の者同士。
 故郷の話でもいたしましょう。
 たっぷりとおもてなしをさせていただきますわよ。
 存分に美味を味わって下さいませ。
 二人きりで……」

そう言うと妖艶に強調した胸をゆすって見せた。
 その猛毒にも似た色香に包まれながらカルゼの微笑に背筋が寒くなる。
 イライザもその毒気を感じ取ったのかブルブルと震えていた。
 私は慌てて彼女の肩に手を回すと優しく擦り落ち着かせた。
 暫くしてカルゼの寒気にも似た毒気が収まると私は大切な事を思い出した。
 (あっ、これで私は悪役令嬢イライザと婚約するんだっけ?)
 そう思いイライザへ視線をやると褒められたい一心の子犬の様な少女がそこに居た。
 まるでブンブンと振るシッポが見えるようだ。
 (う~ん、どうしましょ。)
 私は思わず苦笑いを浮かべながらイライザの頭を撫でた。
 うっとり幸せそうな表情を浮かべるイライザ。
 それを羨ましそうに見つめる令嬢達……。

私がカルゼのお茶会へ単身乗り込んだのはその翌週の事だった。

第七話 秘宝 セブデタの指輪

『今度は二人。
 今、壮絶な女の戦いが始まる。』

 品のある茶葉の香りを嗅ぎながらその言葉が離れなかった。
 柔らかな光がキラキラと差し込む庭園のテラスで私は愛人カルゼと対峙していた。
 先週の夜会。悪役令嬢イライザのお陰て私に毒を盛った犯人を捕まえる事が出来た。
 だけどいくらタフタ兄様達が問いただしても誰に命令されたのか口を割らなかった。
 その後の調べでブロード第一王子の愛人カルゼが容疑に浮かんだ。
 だが二人を結びつける証拠はどんなに探しても出て来なかった。
 結局、犯人の身柄は鬼畜眼鏡パイル宰相が預かる事になった。
 鬼畜眼鏡が言うにはこれ以上の証拠は出て来ないだろうと言う事だった。
 そして盛られた毒の成分を徹底的に調べたが結局解毒剤は見つからなかった。
 分かった事はその毒は亡国独特の毒だと言う事。
 というより私が眠りについたのは毒が原因ではなかった事が分かった。
 毒とは違うもっと呪術的な要素が原因で眠り続けているらしい。
 (まぁ、シフォンのキスで一時的だけど目覚めた時からそんな気はしていたけど。)
 それが分かった時のみんなの落胆の顔は忘れられない。
 でも私自身はそんなに落胆はしていなかった。
 ガッカリというよりは、まぁそんなもんだよねって感じだ。
 そんな時にそれをあざ笑うかのように愛人カルゼからお茶会の招待状が届いた。
 (私を殺した犯人は愛人カルゼに違いない。)
 そう思った私は少しでも手掛かりを掴めればとお茶会へ参加した。
 お茶会はブロード第一王子の別荘にて行われた。
 屋敷に到着し庭園へ通された時は少し驚いた。
 テラスにテーブルと椅子が二つ。
 右側には手を振り微笑む愛人カルゼが座っていた。
 (えっ、二人きり?)
 てっきり相手の出方の偵察程度、複数人での和気あいあいとしたお茶会だと思っていた。
 その挑戦的とも思えるシチュエーションに彼女の不気味な自信が窺えた。
 私はおずおずと出された紅茶を飲みながら昨晩のシフォンの言葉を思い出す。
 この所シフォンは例の謎の神殿で怪しい石碑解読に明け暮れていた。

『乙女ゲーム完全攻略読本。
  乙女ゲーム初のオンライン対応ゲーム。
  シンデレラ プリンセス
  隠しヒロイン カルゼ ルート特集。』

という奴だ。
 その解読の中で色々な事が分かった。
 それはまるで予言書の様にカルゼという女性が突然に現れる事。
 そして前ヒロインと壮絶な略奪愛を繰り広げる事が示唆されていた。
 その中の気になる一文に
『今度は二人。
 今、壮絶な女の戦いが始まる。』
 という内容があった。

 果たしてそれが何を意味しているのか?
 私が婚約寸前でブロード第一王子を愛人カルゼに奪われ殺された事なのか?
 それともこれから起こる未来の出来事を予言しているのか?
 よく分からないまま私は今ここに居た。
 今の私は殺されたリプル嬢ではなく、男装したルプリ伯爵である。
 それに彼女が私を招待した事は皆に知れ渡っている。
 だから流石にここで毒を盛る事がないだろう。
 (多分、大丈夫だよね)
 内心冷や汗をかきながら何気ない振りをして紅茶を飲んでいた。
 (何とか愛人カルゼの秘密を暴いてやる。)
 そう意気込んで乗り込んで来た。
 執事のカツラギ様からは

「いいですか旦那様。
 このお茶会で必ず愛人カルゼを魅了して来てください。」

と何度も念を押されていた。
 (もぉぉぉ、カツラギ様ったら簡単に言ってくれるよ。)
 どう口説き落とそうかと思案しているとカルゼが話しかけて来た。

「今日は来ていただいてありがとうございます。
 この庭園は人払いをしてあります。
 だから存分に私を味わって下さいませ。」

そう猫なで声で微笑むと強調された胸をゆすって手を重ねる。
 その全身からは色と欲が溢れかえっている。
 『悪女カルゼ』そう呼ぶに相応しい魔性さは大抵の男性なら即落ちだろう。
 だが残念ながらそんなハニートラップは私には通用しない。

だって私は女なのだから……。

私は冷静に重ねられた手を包み込むように両手で握ると瞳を見つめた。

「貴女を味わう?
 今日は同じ異国の者同士。
 故郷の話をするのではなかったのですか。
 それに貴女にはブロード第一王子がいるでしょう。
 悪い女だ。
 そんな悪女には躾が必要だな。」

そう言うといきなりカルゼの首元を掴んで引き寄せる。

「俺に何をして欲しいんだい?」

「……っ」

すると柄にもなくカルゼは狼狽えたように突然、手を放した。
 彼女の必殺の魅了に今までそんな反応をした男はいなかったのだろう。
 まるで田舎娘の様に赤面し狼狽えている。
 だがそれも一瞬。キッと唇を一度噛むといつものカルゼに戻っていた。

「ふふっ、なるほど分かりましたわ。
 貴方が二人目なのですのね。
 だったらまどろっこしいマネはもう止めですわ。」

(二人目? 何の事?)
 私は内心焦りながらも動揺がバレないように不適に頷いて見せた。
 その頷きに確信したのかカルゼは突然切り出した。

「ルプリ伯爵。
 取引をしましょう。
 貴方もそのつもりで来たのでしょう?
 貴方の望みは何ですか?」

(……っ、私の望み?)
 突然のカルゼの申し出に驚いた。
 というより完全にカルゼの雰囲気が変わっていた。
 何事にも興味がなく、いつも気怠そうな雰囲気の愛人カルゼ。
 それが今はまるでどこかの国の暗殺者のような眼光の鋭さを宿している。
 (一体カルゼとは何者なのだろうか?)

「カルゼっ、君の狙いはなんだ。
 ブロード第一王子の后になる事なのか。」

私がそう言うと突然に高笑いを始めた。

「あははっ、まさか。
 こんなやがて滅亡する国の后などに興味はありませんわ。
 貴方も忘れたわけではありませんわよね。
 ルプリ伯爵。
 私達の国が誰に滅ぼされたのか。
 私の希望はただ一つ。
 この国を滅ぼすコトだけですわ。」

(この国を滅ぼす?)
 私はカルゼのあまりの言葉に絶句した。
 今までずっと私は流浪の民が自分の美貌を武器に王子に取り入っている。
 そして王族、あわよくば后になる下剋上を企んでいると思っていた。
 それがブロード王子に近づいた目的が第一王子を魅了して国を滅ぼす事だったなんて。
 彼女の言葉尻からはこの国への強い恨みが感じられた。
 それはもうブロード第一王子に取り入る為なら婚約者等の障害は全て抹殺する程に。
 (ヤバイっ、もし私がリプルだとバレたらきっと即殺される。)
 私はそう感じていた。
 だから絶対にバレる訳にはいかなかった。
 幸いカルゼは私を同じ国の人間だと勘違いしている。
 何としても私がカルゼの策略を止めなければ。
 (カツラギ様っ、私には荷が重すぎますよ。)
 そう心で嘆きながらもカツラギ様のレッスンを思い出す。

「いいですか。相手に自分の意見を通したいのなら必ず二者択一で訊ねて下さい。
 これはダブルバインドという技術の基本ですから必ず身につけるように。」

私は過去のカツラギ様へ頷きカルゼへ話しかけた。

「俺の望みはリプル嬢を殺した犯人を知る
 又は貴女がブロード王子から手を引く事だ。」

「リプルを殺した犯人?
 それを聞いてどうなさるの?
 彼女はもう死んでいるのでしょう?
 それに貴方が二人目なら訊くまでもないじゃない。
 私達は『あの方』の導きで動いているのだから。
 まあいいわ。
 取引しましょう。
 私の要求を呑んでくれたら考えてあげる。」

(二人目?
  あの方?
  さっきから何を言っている。)
 私は妙な違和感を感じながらも交渉を続けた。

「それで君の要求とは?」

「またとぼけて意地悪な人。
 決まってるじゃないっ、指輪よっ、指輪。
 貴方も狙っているんでしょ?
 『秘宝 セブデタの指輪』
 私はブロード第一王子が持っていると聞いて近づいたんだけど
 リプルへ婚約の印に渡された後だったわ。
 その後、彼女が行方不明のまま死んでしまって指輪も消失。
 それは貴方も知っているわよね。
 だから貴方はその兄をわざわざ自分の警備として雇っているんでしょ?
 セブデタの指輪を探す為に。
 でもあのフライス第二王子に取り入るなんて上手くやったわね。
 で……、もう指輪は手に入れているの?」

(指輪?)
 そう言われて思い出した。
 以前シンデレラプリンセスをプレイ中にブロード王子から指輪を貰った事がある。
 確か初めて男装した時に外したからきっとキサラギ様の屋敷にある筈だった。
 
「どうしてセブデタの指輪を手に入れたいんだ?」

そう訊ねる私にカルゼは眉をひそめる。

「変なコトを聞くのね。
 貴方も『あの方』に聞いているんでしょ?
 勿論この国を破滅させる為よ。
 私達の祖国の恨み忘れた訳じゃないわよね?」

カルゼの言葉はよく分からないが、ここはボロが出る前に話を合わせた方が良さそうだ。

「ああ、指輪は俺が手に入れた。
 だが簡単には渡せないな。
 カルゼもあの指輪の価値が分かっているだろう。」

「確かにブロード王子から手を引く程度では釣り合わないわね。
 じゃあ、何が望みなの?
 私の持っている物なら何でも差し出すわよ。」

カルゼの思いもかけない返答にセブデタの指輪の重要性を感じた。
 (ここは吹っ掛けてみるか。)

「じゃあ、お前の持っている情報を全て貰おうか。
 全ての計画と情報を俺に差し出して、今後は俺の指示に従ってもらおう。」

「……っ、手柄を独り占めするつもりっ?」

カルゼはヒステリックにテーブルを叩いた。
 (やばっ、吹っ掛け過ぎた?)
 狼狽える私を尻目にカルゼは唇をかみしめると腕輪を差し出した。

「いいわっ、
 それでこの国へ復讐が出来るのなら。
 この腕輪に今まで私が調べた全ての情報が入っているわ。
 これと貴方が手に入れたセブデタの指輪と交換よ。」

(国を滅ぼす事が出来る秘宝の指輪と同等の情報。
  一体あの腕輪にはどんな秘密が入っているのだろう?)
 そう思い悩んでいると遠くから声が聞こえた。

「そこまでだっ、カルゼっ」

振り向くといつの間にかブロード第一王子が立っている。
 それを見たカルゼは動揺を隠すように妖艶な笑みを浮かべる。

「あら、ブロード様そんなに怖い顔をされてどうなされたの?
 きっとやきもちを焼いていらっしゃるのね。
 別に私はルプリ伯爵と故郷の話をしていただけですのよ。
 でもブロード様にやきもちを焼かれてカルゼは嬉しいですわ。」

そう言って猫なで声で擦り寄るカルゼの腕をプロードはねじ上げた。

「いっ、痛いっ。
 何をっ。」

驚くカルゼを尻目にプロード王子が声を上げる。
 すると一斉に警備隊が現れて周りを取り囲んだ。

「タフタ兄様っ」

タフタ兄様の顔が見えて思わず私は声をかけた。
 タフタは黙って頷くと抜刀し慎重にカルゼを睨みつけている。

「うわっ。」

見るとカルゼはブロード王子を投げ飛ばし包囲網を突破し逃げようとしていた。
 
「おっ、お前はっ」

目の前に立ち塞がる人影にカルゼが驚く。
 見るとそこには宰相の鬼畜眼鏡パイルとフライス第二王子が立っていた。
 パイル宰相はカルゼから無理やり腕輪を取り上げる。

「こんな所に隠していたのか?」

「クソッ、返せっ」

暴れるカルゼをタフタ兄様が組み従える。
 相手は王国一の親衛隊長。
 流石のカルゼもブロード王子の様には行かなかった。
 観念したのかブロード王子を睨みつけている。

「カルゼ。
 王国反逆罪、及びスパイ容疑で君を逮捕する。」

その言葉にカルゼは驚く。
 何故ならこの第一王子は完全に自分の色香に落ちた腑抜け王子だと思っていたからだ。

「まさかっ、私がスパイだと気づいていたのか?」

そう問うカルゼにブロード王子は寂しそうに頷いた。

「そんな筈はないっ、お前は私の魅力にメロメロだった筈だ。
 いっ、いつからだっ、いつから私がスパイだと気がついた。」

その問いにフライス第二王子が横から答えた。

「ば~かっ、最初からだよ。
 色ボケ女っ」
 
「最初からだとっ?」

その言葉にはタフタ兄様も驚いているようだった。
 (どうゆう事? 何が起こっているの?)
 私は訳が分からなかった。
 その視線を感じたようにフライス王子は私を見つめると小さく頷いた。

「教えてやるよカルゼ。
 お前はその色香でブロード王子をいい様に躍らせたつもりだろうが
 踊らされていたのはお前なんだよ。
 目の前の男は本物のブロード第一王子ではない。
 ただの影武者だ。」

「なっ、偽者だと。
 ばかなっ、そんな筈は……
 私は確かに城のパーティーで身元を確認してから近づいた筈だ。」

カルゼが信じられないと言う顔で反論する。

「だからその王国主催のパーティー事態が偽物なんだよ。
 大体、変だと思わなかったのか?
 そのパーティー会場には剣を携えたそこのタフタ親衛隊長が居たはずだぜ。
 どうして武器持ち込みが禁止されているパーティー会場に居るんだろうな。」
 (あっ)
 その言葉を聞いて私はハッとした。
 それはきっと私がブロード王子と出会ったパーティーだった。
 あの日、私は兄の忘れ物を届けに王宮へ行くと偶然出会った男性に案内された。
 案内された先は兄が警護中のお城のパーティー。
 会場内でタフタ兄様を探してキョロキョロしている所をブロード王子に声をかけられた。
 それがブロード王子との恋の始まりだった。
 その時は変だと思わなかったが、夜会経験を重ねた今なら分かる。

『正式なパーティー会場内に剣を携えた者が居る事など決して有り得ない。』

「俺達は事前に亡国のスパイがクラウド王国へ潜入した事。
 そして第一王子にハニートラップを仕掛けるとの情報を持っていた。
 だから偽の王子とパーティーを用意して罠を張ったのさ。
 それにまんまとお前は引っかかった。
 ……まぁ、最初は手違いで別の女性へ声をかけてしまったが。」

そう言うとフライス王子はチラッと私を見た。
 (えっ、私のコト?
  だから平民なのにあっさりと会場内に入る事が出来て王子に声をかけられた?
  そうとは知らずに私は勝手に舞い上がってたんだ。)
 そう思うと周りから、どこか生温い視線が注がれているような気がした。
 私は何だが恥ずかしさでいっぱいになった。

「俺達は計画通りにスパイの割り出しに成功したが
 その目的や他に仲間がいるのかまでは分からなかった。
 だから偽のブロード王子はお前に溺れた振りをして見張っていたんだよ。
 だがまさかお前がリプル嬢を毒殺するとは思わなかった。
 それだけは悔やんでも悔やみきれない点だ。
 だが、お前の計画が記録された腕輪は押さえた。
 これから全てを告白して貰うからな。」

その言葉を聞くとカルゼは私に向けて必死に叫んだ。

「ルプリ伯爵っ、逃げろ。
 お前と指輪さえあれば、まだ私達は復讐を続けられる。」

その言葉にフライス王子が笑い出す。

「クッ、クッ、ク。
 お前まだ気がつかないのか?
 お前が助けを求めているルプリ伯爵こそが
 お前が毒殺しようとしたリプル嬢なんだよ。」

「なっ、何だと
 ばかなっ、リプルは死んだ筈。
 ルプリ伯爵は二人目ではないのか?」

そのあまりの落胆ぶりに私は申し訳なくなり思わず頭を下げた。

「おいおいっ、そんなに落ち込むなよ。
 じゃあ、王国を弄んだお前を更に落ち込ませてやろう。
 お前が追い求めていた本物の第一王子な。
 実はもう何度もお前は会っている。」

「なっ、なんだと。」

その時、勝ち誇るフライス王子の頭をパイル宰相が叩いた。

「お前は調子に乗って喋り過ぎだ。
 カルゼ。
 君を王国反逆罪、及びスパイ容疑で君を逮捕する。
 連れて行けっ。」

そう言うと悔しがるカルゼを連れて行った。
 カルゼは呪いの言葉を吐きながらも観念した様だった。
 初めて招待されたお茶会はとんだモノになってしまった。
 後に残されたのは倒れた椅子と冷めた紅茶だけだった。

――王宮 王座前――

(どうしてこうなった?)
 数日後、私は王様の前に居た。
 何故か男装姿のルプリ伯爵として。
 王は年老いていたがその風格は神々しく、先程から私を称賛し続けていた。
 
「……であるからこの度のルプリ伯爵の功績は著しい。
 よって公爵の地位と共に王国特命公爵の任を与える。
 ルプリ公爵の言は王の言である。
 これからは不穏な勢力を一掃し王国の為に尽くしていただきたい。」

(えっ、私が特命公爵?
  しかもルプリって?)

「あの~、王様。
 お聞きになっているかと思いますが
 私はルプリ伯爵ではなく、タフタ親衛隊長の妹のリプルなんですが……。」

私は我慢が出来なくなって恐る恐る王様へ訊ねた。

「ああ、知っとるよ。
 悪いが我が王国の長老達は頭が固くてな。
 平民出身の女性が特命公爵だと反発が多いのじゃ。
 それこそまた暗殺されるかもしれんのう。」

そう言うと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
 (えぇぇぇ、私また暗殺されちゃうの?)
 それは困るという顔をすると、カッカッカと王様は笑った。

「そんなに心配せんでもよい。
 ただ儂は三番目の息子を暗殺で亡くしてな。
 それ以来、心配性が抜けないのじゃよ。」

(三番目の息子を亡くした?
  第三王子って確かパイル宰相だった筈だけど……老いてボケちゃった?)

「あの、王様。
 第三王子のパイル宰相なら御健在だと思いますが。」

不思議そうな顔でそう訊ねると隣にいたフライス王子が笑った。

「リプル嬢。
 誰も顔を見た事がない第三王子パイルこそが
 本物の第一王子 アグスティン フェル ブロードなんだよ。」

(えぇぇぇ、あの感じの悪い鬼畜眼鏡が本物の第一王子?)

驚く私に王様は唇に指を当てる。

「この真実はパイルが王座を継ぐまで王族だけの秘密じゃよ。
 他言は無用じゃ。
 何せ第一王子を暗殺しようとする輩が多過ぎるからの。
 その点、第三王子なら安心じゃ、第二王子も居るしのう。
 まぁ、そんな前例もあってな。
 リプル嬢もルプリ公爵として扱う事にしたんじゃよ。
 不自由もあるが利点も多い。
 どうじゃ、これからは男装王子として力を貸してくれんかの。」

(う~ん、どうしましょう。)
 気は進まなかったが、一国の王に頭を下げられては断る訳にも行かなかった。
 仕方がなく渋々了承し私は屋敷に帰った。

屋敷に帰ると大騒ぎになっていた。
 入口の扉を開けるとメイド達が列をなして一斉に祝福の言葉を投げかける。

「お帰りなさいませっ、旦那様。」
「お帰りなさいませっ、旦那様。」
「お帰りなさいませっ、旦那様。」
「お帰りなさいませっ、旦那様。」

「えっ、皆どうしたの?」

驚く私にウェルトメイド長が進み出る。

「旦那様っ、この度は公爵への昇進。
 また王国特命公爵の就任おめでとうございます。
 祝福を述べにタフタ隊長、ニット様、イライザ様など皆様が先程からお待ちです。
 王国中の美味しい料理と甘いスイーツを御用意しております。
 さあ、早く中へおいでませ。」

メイドのリノが興奮気味に用意したスイーツの説明を道すがら始める。
 何やら特別美味しい菓子達が用意されているらしい。
 私は皆に手を引かれながら部屋に入るとフライス王子やパイル宰相まで集まっていた。
 執事のカツラギ様がグラスを持って来て私に一言挨拶をするように促した。
 (何だが照れるな)
 そんな事を思いながらおずおずと壇上へ上がる。

「え~、成り行きで王国特命公爵になっちゃいました。
 何だが分かりませんが頑張ります。
 乾杯っ」

「乾杯っ」
「乾杯っ」
「乾杯っ」
「乾杯っ」

圧倒的なホーム感。
 皆が笑顔でワイワイガヤガヤ楽しそうに喜んでくれている。
 沢山の愛情に包まれながら私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
 皆がキャッキャッと騒ぐ中で気がつくと隣にパイル宰相が立っていた。
 (出たっ、鬼畜眼鏡)
 
「今日はありがとうございます。
 パイル宰相が第一王子アグスティン フェル ブロード様だったんですね。」

そう言うとパイルはバツが悪そうに眼鏡をずり上げた。

「俺以外誰の目にも触れさせない。」

わぁぁぁ
 わぁぁぁ
 わぁぁぁ

その瞬間歓声が上がった。

「えっ、今何か言いました。」

「別に何も言ってなどいない。
 それよりこれからが大変だぞルプリ公爵。
 王国特命公爵だからと言って特別扱いをするつもりはない。
 王国に害だと思えば容赦なくお前を切り捨てるからな。」

(うわぁぁ、お祝いの席で今それ言う?
  ホントこの人、感じ悪いわ。)
 そう思いながらも私は同じ顔のシフォンのコトを思い出していた。
 それにしても愛人カルゼが私に言った『二人目』という言葉が気になった。
 (あれは王国に潜入したスパイはもう一人居るという事だろうか?)

「あっ、そう言えば指輪。
 パイル宰相。
 ブロード王子からいただいたセブデタの指輪ですがお返しいたします。」

そう言って指輪を手渡す手をパイルは押し戻した。

「あぁぁ、必要ない。」

「でも秘宝なんですよね?」

「皆にはあれはカルゼを騙す為の偽物だと言ってある。」

「偽物だと言ってある?」
 (つまりそれって本物ってコト?)

戸惑っていると私の言葉を遮るように小声で言った。

「いいんだ。
 これは君に持っていて欲しいんだ。」

そう言うとパイル宰相は指輪をそっと私の左手の薬指へハメた。

「えっ、パイル宰相?」

驚く私の顔も見ずに彼はそのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。

わぁぁぁ
 わぁぁぁ
 わぁぁぁ

その瞬間再び歓声が上がり私は皆の輪の中に引っ張られた。 
 香ばしい肉の香りと甘いケーキの香りが渦巻く部屋。
 祝福で揉みくちゃにされながら幸せな宴は夜まで続いた。

夢の世界でシフォンが失踪したと気がついたのはその数日後の事だった。

第八話 王国特命公爵ルプリ

王国特命公爵就任パーティー翌日。
 リプルはベットに寝転び指にはめた秘宝の指輪を眺めていた。
 傍らにはすっかりと元気を取り戻した子猫が眠そうにリプルに寄り添っていた。
 中庭に空腹で倒れている所を私が保護し、それから何となく居ついている。
 その美しい黄色の毛並みに少し小太りなフォルムが愛くるしい。
 私はこの子猫にトラオ君と名前を付けていた。

「はぁ~、トラオ君。
 本当に貰っちゃってよかったのかな?」

トラオ君の腹を撫でながら訊いてみる。
 王国の秘宝セブデタの指輪。
 はめられた魔法石は怪しげな輝きを纏っていた。
 カルゼによればこの魔石には一国を滅ぼす程の力が宿っていると言う。
 (鬼畜眼鏡はどうしてこんなに大切な国宝を私へ預けたのだろう?)
 私は昨晩のパイル宰相の言葉を思い出していた。

「いいんだ。
 これは君に持っていて欲しいんだ。」

そう言って鬼畜眼鏡は指輪を私の薬指へと差し出した。
 (これは一体、どういう意味なんだろう?)
 鬼畜眼鏡パイル宰相が実は第一王子のアグスティン フェル ブロード?
 その事実にも驚いたけれど昨晩耳元でそっと囁いた言葉も気になっていた。

「俺以外誰の目にも触れさせない。」

あれは私の聞き間違いだろうか?
 (まさかあの鬼畜眼鏡が私のコトを愛している?)

「まさかね? ナイナイ。」

私は首を振って自分の妄想を打ち消した。
 いくら第一王子だからと言って
 いくら指輪を左手の薬指へ差し出したからと言って
 いくら顔立ちが私の好きなシフォン王子様と瓜二つだからと言って
 あの鬼畜眼鏡を好きになる事は絶対にないだろう。
 事あるごとに見下した瞳で眼鏡をずり上げる顔を思い出しただけで身震いした。

ブンブンと首を振ってベットから起き上がる。
 今日は王国特命公爵としてのお仕事初日。
 城下を視察する事になっていた。
 メイド達に手伝ってもらいタキシードを身に纏う。
 秘宝の指輪は迷ったがそのまま身につけ大きめの手袋で覆い隠した。
 (常に身につけている方が安全よね。)
 身支度を整えていると執事のカツラギ様が部屋へ入って来た。
 亡国のスパイ カルゼから没収した腕輪の解析が完了したと言う事だった。

「それでカツラギ様。
 カルゼの腕輪にはどんな情報が隠されていたのですか?」

「はい。
 色々ありましたが主に亡国の薬のレシピだと言う事です。」

「薬のレシピ?」

「はい。
 カルゼの国は小さいながらも薬草の産地で高い医療技術を誇っておりました。
 それに目をつけた我が国が薬の輸入を求めたのですが……。
 亡国は製造方法の流出を嫌い、全ての薬の国外持ち出しを禁止しました。」

「それでその国を滅ぼした?」

「はい。
 残念ですが一部の貴族が暴走し勝手に侵略を始めました。
 始まりは一部の暴走でも国対国。
 戦火は広がり国のプライドもあり王国も侵略を黙認しました。
 結果、カルゼの国は滅び、薬のレシピも強奪。
 今では王都の貴族が独占的に高い金額で販売しています。」

「そんな事って?」

「残念ですがそれが真実です。
 その為、カルゼは相当恨んでいるのでしょう?
 無理もありません。
 暴走した貴族は先に侵略して来たのは亡国だと嘘の理由をでっち上げ。
 口封じに亡国の民を皆殺しにしたのですから。」

「そんなっ、王は? 王子は?
 それを黙っていたのですか?」

「その事実を知ったのは後になってからと聞いています。
 だがその薬で多くの王国の貴族が救われている事も事実です。
 それは一部の王族も……。
 私達は自分の命を人質にされているようなものなのです。
 だからその貴族は今では絶大な権力を持ち王都に君臨しています。
 カルゼはその薬のレシピを取り戻したかったのでしょう。
 取り戻した所で死んだ同胞は生き返る事はありませんが。」

「そっ、その貴族の名前は何と言うのですか?」

「ジャガード伯爵。
 巷では侵略王 ジャガードと呼ばれています。」

(そんな事って……)
 私はあまりの話に驚愕した。
 いくら貴重な薬を手に入れたいからって国を滅ぼしていいはずがなかった。
 これではカルゼでなくても祖国の敵を討ちたくもなるだろう。
 (カルゼはこの秘宝で何をしたかったのだろう。)
 私はそっと左手の指輪を触った。
 私は少し自分の国が嫌いになった。
 (それでも私はこの国の王国特命公爵。)
 この国を守る側の人間になってしまっていた。
 憂鬱な気持ちでいるとウェルトメイド長が言葉を挟んだ。

「ジャガード商会と言えば旦那様。
 今、巷で人気の占い師を御存知ですか?」

話を聞いてみると悪名高いジャガード商会の隣に最近人気の占い師が店を出したらしい。
 その占い師は必ず当たると評判で行列が絶えないという。
 それを聞いたメイドのリノも声を上げてその占い師を称えた。

「あっ、知ってる。
 私の知り合いも見て貰ったらしいんですが
 自分しか知らない事もズバズバ的中しちゃうって
 今、街ではその話で持ち切りですよ。
 あぁぁぁ、私も一度見てもらいたいわ。」

そう興奮気味に話すリノを見て私達はその占い師の元へ行ってみる事にした。
 (どうせ街を視察する予定だったし、たまには遊んでもいいわよね。)

その店は大通りの中心にあった。
 悪名高いジャガード商会とは対照的にこじんまりとした小さな店だった。
 長い行列の最後尾に並びながらジャガード商会をチラリと観察する。
 薬は独占販売。
 しかも貴族にしか販売しないらしく。
 客はまるで居ないかの様に店内は静まり返っていた。
 (まぁ、そんな高額な薬をバンバン買える貴族もいないだろうしね。)
 私はその看板を見ているだけで怒りを覚えたが立場上我慢した。
 今は王国特命公爵ルプリとして公式視察中なのだから。
 暫く待っていると私が王国特命公爵だと伝わったようで先に店内へ案内された。
 特別扱いしなくても列に並んで待つと言ったが、それでは困ると従者に泣きつかれた。
 渋々、暑い中並んでいる人達に頭を下げながら先に店内へ入る。
 そこは薄暗く、ほのかにラベンダーの香りが漂っていた。
 正面には小さなテーブルと椅子が二つ。
 テーブルの上には水晶玉が置かれていた。
 (うわぁぁ、いかにも占いやってますって感じだわ。)
 そんな事を思いながらまずはメイドのリノを座らせる。
 どうやら恋の相談をしたいらしい。
 リノはハニカミながらも嬉しそうに椅子へ腰かけた。
 私はそっとリノの後ろに立って占い師の様子を観察した。
 
 『必ず当たる占い師』

本当にそんな事が可能なのだろうか?
 (きっと何か仕掛けがあるに違いない。)
 私はそう思っていた。
 だからどんなタネがあるか見破ってやろうと言うのである。
 まず私は占い師を観察した。
 薄暗くフードを被っているのでよく見えないが小柄な男性の様だった。
 異国の者だろうか言葉には独特の訛りがあった。
 声は小さくボソボソと何かリノへ質問をしていた。
 (あっ)
 私は声を上げそうになって慌てて口を閉じた。
 水晶玉が置かれている下。
 そこには中央に窪みのある板が敷かれていた。
 その窪みの彫刻が角度によって水晶玉へ移り込む。
 そこには禍々しい鎌を持った死神の姿が浮かび上がっている。
 その死神は正しく夢の中で見た遺跡の扉に刻まれたモノと同じだった。
 (どうしてここに遺跡の死神が居るの?)
 そんな事を考えていると一瞬記憶が飛んだ気がした。
 バランスを失って倒れそうになるのを慌てて立て直す。
 疲れているのだろうか?
 (今まで目眩などした事はなかったのに。)
 ブンブンと首を振ると目の前のリノが歓声をあげた。

「すご~い。
 どうして分かるんですか?
 その話。誰にも言った事ないのに。」

聞くと占い師がリノしか知りえない話をズバリと当てたらしい。
 リノは夢中でうんうんと頷きその後のアドバイスに聞き入っていた。
 占いが終わると興奮気味に恋に前向きになったとはしゃいでいる。
 そのあまりのはしゃぎ様に少し違和感を感じつつ次は私の番になった。
 椅子へ座ると占い師は軽く頭を下げた。

「これはこれはルプリ様。
 王国特命公爵様がこのような店へ来ていただき感謝いたします。
 それで本日はどのような御用件で?」

そう言いながらも瞳は明らかにこちらを警戒していた。
 (この人は何かを隠している。)
 私は直観的にそう思った。
 そこで私は相手の出方を探る為に当たり障りのない嘘の相談をした。

「いやいや、お恥ずかしい。
 実は今日はプライベートなお忍びでして。
 私も先程のリノと同様、思いを寄せる令嬢との恋仲を占っていただきたい。
 私はその令嬢と結婚し跡継ぎを授かる事が出来るでしょうか?」

そんなデタラメを言いながら水晶玉の下へ敷かれている台座を観察する。
 やっぱりそうだ。
 そこには夢の遺跡の扉に刻まれたモノと同じ死神の姿があった。
 (でもどうしてここに死神の姿が?)
 そんな事を考えていると一瞬記憶が飛んだ気がした。
 バランスを失って倒れそうになるのを慌てて立て直す。
 (……っ、また目眩?)
 不思議に思っていると目の前の占い師が妙な事を言い始めた。

「これはこれはルプリ様。
 王国特命公爵様がこのような店へ来ていただき感謝いたします。
 それで本日はどのような御用件で?」

(……っ?
  それはさっき言っただろ?)

不思議に思い後ろを振り返るがリノ達は普通の顔で立っていた。
 首を傾げながらももう一度占い師へ答える。

「いやいや、お恥ずかしい。
 実は今日はプライベートなお忍びでして。」

そこまで言うと占い師は私の言葉を遮った。

「はい。
 見えております。
 全てはこの水晶の中に出ております。
 質問はしていただかなくても結構です。
 御安心下さい。
 ルプリ様はその令嬢と結婚され立派な跡継ぎを授かるでしょう。」

「おおお」
「おおお」
「まだ質問もしていないのに答えたぞ。」
「すごいっ、私の時と同じだっ。」

周りのリノ達が騒めいた。
 その周囲の反応に私は最初、何が起こったのか理解が出来なかった。
 (えっ、みんな何を言っているの?
  それってさっき私が話した内容を言っているだけじゃない。
  それに私は女。
  意中の令嬢もいなければどうやって女性同士で子供を産むの?)
 不思議そうに占い師を見ると彼はドヤ顔で満足そうに頷いている。
 その瞬間に私は全てを悟った。

『この占い師は偽物だ』

どうやっているのか知らないが私達はさっきまでの記憶を消されている。
 彼は事前に質問した内容を繰り返しているに過ぎない。
 自分しか知らない事を予知して知っている?
 何の事はない。
 みんな自分でペラペラと事前に話していたんだ。
 あ~あほらし。
 私は苦笑いをしながら思わず外へ目を向けた。
 こんなペテンに暑い中、みんな行列を作って並んでいる。
 その瞳には希望や願いが浮かび期待で輝いていた。
 (この人は詐欺ですよ~)
 そう行列へ向かって私は叫びたい気持ちになった。
 (……っ、あれ?)
 行列を見ていて私はある事に気がついた。
 
 『行列が戻っている?』

私は小さい頃から人の顔を覚える事だけは得意だった。
 漢字や人の名前は覚えられない代わりに人の顔だけは写真のように脳へ記憶されるのだ。
 だがら絶対に間違える事はない。
 今の窓越しからみる行列の人達の顔。
 それは十分前に並んでいた人達の顔ぶれだった。
 (どうゆう事? 行列が進まずに後退した?)
 そんな事はあり得ない。
 行列とは前に進むものであって、後ろへ戻る事など有り得ない。
 だとすると答えは一つしかなかった。

『この占い師は時間を十分間、戻している。』

十分間のタイムリープ。
 死神印の魔道具と何か関係があるのだろうか?
 (でもどうして私だけ記憶がそのままなのだろう?)
 不思議に思っていると左手が微かに光っている事に気がついた。
 秘宝セブデタの指輪。
 (もしかしてこの指輪をつけているから?)
 分からない事だらけだけどこのままでは帰れない。

私はプライベートの事で恥ずかしいからと言ってリノ達を後ろへ下がらせた。
 誰にも会話が聞こえない距離になった事を確認し再び占い師へ話しかける。

「貴方は時間を巻き戻せますね。」

その言葉に占い師はぎょっとして膠着する。

「その水晶玉の下の死神。
 その魔道具はどうやって手に入れたのですか?」

占い師は慌てて時間を戻そうとした。
 私は彼の手を掴むと睨みつけて首を振った。

「あっ、あんたは『あの方』の使いなのか?」

震える声で占い師は私へ問いかけた。

(『あの方』?)
 私はカルゼの言葉を思い出す。
 亡国のスパイ カルゼもまた『あの方』の指示で動いていると言っていた。
 そして亡国のスパイは二人居ると。

「あなたが二人目なのですか?」

そう言うと怯えたように占い師はブンブンと首を振る。

「違うっ、俺じゃない。
 俺はただジャガード商会の情報を二人目へ知らせるように指示されただけだ。」

(この人は二人目が誰なのかを知っている。)

「二人目とは誰なのですか?」

「勘弁してくれ。
 それを言ったら俺は二人目に殺される。」

「言わなければ私が貴方を殺します。」

そう凄むと占い師は涙目で弱音を吐いた。

「こっ、今夜、港の倉庫でジャガード商会の裏取引がある。
 二人目はそこを襲ってジャガード商会を壊滅させるつもりだ。
 俺が言えるのはこれだけだっ。
 これ以上は勘弁してくれっ、なあ、頼むよ。」

そう言うと占い師は水晶玉を外し底から死神のペンダントを取り出した。

「これは?」

「これで十分間だけ時を戻す事が出来る。
 『あの方』からの贈り物だ。」

「贈り物とは
 どういう事だ?」

「『あの方』は言った。
 この魔道具を使ってジャガード商会の動向を探って二人目へ報告しろ。
 そして占いの秘密を見破る者が現れたらこの魔道具を渡せと。
 旦那は占いの秘密を見破った。
 だからこの魔道具は旦那の物だ。
 俺はこの後すぐに街を出る。
 だから命だけは勘弁してくれ。」

占い師はそう言うと返事も聞かず一目散にその場から逃げ出した。
 (あっ、ちょっと待って。)

まだまだ聞きたい事が沢山あったが、これ以上は追いかけても聞き出せないだろう。
 どうやら二人目という人物に直接聞くしかなさそうだった。

「こっ、今夜、港の倉庫でジャガード商会の裏取引がある。
 二人目はそこを襲ってジャガード商会を壊滅させるつもりだ。」

これは私だけでは手に負えない。
 夜までに準備をして臨んだ方が良さそうだ。
 私は死神のペンダントを握りしめて占い館を後にした。

第九話 二人目の正体

日も暮れ王国全体が闇に包まれた深夜。
 王国郊外の倉庫街。
 静寂に包まれた周囲の空気は少し湿り気を帯びていた。
 私はパイル宰相を伴い先程から息を潜めて身を隠している。
 耳を澄ますと微かな息遣いが点々と存在していた。
 湿り気を帯びたレンガの匂いが微かに倉庫から漂っている。

「こっ、今夜、港の倉庫でジャガード商会の裏取引がある。
 二人目はそこを襲ってジャガード商会を壊滅させるつもりだ。」

あの占い師の話が本当なら今夜ここでジャガード商会の裏取引がある筈だった。
 
「ルプリ公爵。
 本当に今夜ここでジャガード商会の裏取引があるんだな。」

隣のパイル宰相が囁く。

「ええ、私の掴んだ情報によると、その筈です。」

私が頷くとパイル宰相も頷き笑みを浮かべる。

「よしっ、それなら好都合だ。
 俺もあいつをずっとマークしていたんだ。
 侵略王 ジャガード伯爵。
 亡国を侵略し秘薬の製法を独占し財をなした大悪党。
 今では密かに人身売買や違法取引等やりたい放題だ。
 その身辺を探れば探る程に黒い噂が絶えない。
 だが秘薬を餌に有力貴族達に深く入り込んでいて、
 うかつに手を出せない人物だ。
 それがついに今夜犯罪の証拠を掴む時が来た。
 だがルプリ公爵。
 君はどうやってこんな重要な情報を掴んだんだ?」

不思議そうにパイル宰相が訊ねた。
 ジャガード伯爵は用心深い。
 今までパイルが宰相の力をもって調べても全くシッポを掴む事は出来なかった。
 ルプリ公爵は王国特命公爵。
 一部の条件下においてその権力はパイル宰相をも凌ぐ。
 だがルプリ公爵が王国特命公爵になったのはつい先日の事だ。
 たった数日でジャガード伯爵の秘密に行きついたのは不思議でならなかった。
 だからルプリ公爵からこの話を聞いた時は半信半疑だった。
 (どうせガセネタだろう。)
 やっかみもあるが、正直そう思っていた。
 だが王国特命公爵からの正式な依頼。
 断る事も出来ず形だけの部隊を引き連れてやって来た。

ざわざわ

暫くすると倉庫内で動きがあった。
 パイルは部下達へ目配せすると気配を消して倉庫へ近づいた。
 中を窺うと数名の異国の女性達が鎖で繋がれ手荒い扱いを受けている。
 (人身売買っ、酷い。)
 リプルは嫌悪感でいっぱいになった。
 (彼女達を早く助けてあげたい。)
 そう思いパイルを見つめるが彼は動かない。
 そう今夜の私達の目的は二つ。
 ジャガード伯爵の犯罪の証拠を掴み逮捕する事。
 そして亡国のスパイ。
 通常『二人目』を捕まえる事だった。
 ジャガード伯爵のせいで滅亡したハドディ帝国。
 国を奪われ、秘薬を奪われ、名誉まで奪われた。
 亡国の人々の恨みは相当なものだろう。
 一人目のスパイ カルゼは先日捕まえた。
 残るは二人目だけだった。
 
 『必ず二人目はジャガード伯爵を殺しに来る。』

パイル宰相には確信があった。
 日頃身を隠しているジャガード伯爵が表に出て来る。
 こんなチャンスは滅多にないからだ。
 ジャガード伯爵は用心深い。
 だから余程大きな取引でもない限り表には出て来ない。

中では何やら取引が始まった様だった。
 見ていると一人の男が前に出て何やら話し始めた。
 恰幅のよい大柄な体つき。
 ボサボサの赤い髪にモウモウと蓄えられた口髭。
 ガサツな風貌からはその粗暴な性格が滲み出ていた。

パイルが黙って手を上げると部下達が倉庫を取り囲むように散って行った。
 (クソッ、本物かよっ、
  こんな事ならもっと部隊を連れてくればよかった。)
 パイルは自分の浅はかさに後悔した。
 あれだけ調べてもシッポを掴めなかったジャガード伯爵の居所。
 それをあっさりと突き止められて悔しい気持ちになっていた。
 だから自分への言い訳にきっとガセネタに違いないと言い聞かせ少数で来てしまった。
 この人数ではジャガード伯爵を捕まえるのはギリギリだろう。
 やり方を間違えば逃げられてしまう。
 (認めたくはないが、ルプリ公爵の実力は本物だと言う事か。)
 自己嫌悪に陥りながらも気を取り直して中の様子を窺う。

倉庫内では今まさに取引が成立しようとしていた。
 ジャガード伯爵が舌なめずりをしながら奴隷の女達を見つめと荒々しく髪を掴んだ。

「いやっ」

顔を背ける奴隷の表情を満足そうに髭を撫でながら見つめ一人一人値踏みをしていた。
 商談相手の男はそれを遮る様に何か話しかけている。
 私達はそっと倉庫内へ潜入しその会話に耳を澄ました。

「商品の品定めはもういいだろう。
 それより金貨は用意してあるんだろうな。」

「ふんっ、ワシを誰だと思っている。
 おいっ。」

そう言うと後ろの部下が重そうな革袋を抱えて来た。
 男はその口を開けて中を確認すると黙って頷いた。

「いいだろう。
 所でジャガード伯爵。
 実はもう一つ買って貰いたいモノがある。
 王国の誰もまだ持っていない代物だ。
 値段は金貨一万枚だ。」

「なにっ、金貨一万枚だとっ」

その価格にジャガード伯爵も驚いた。
 ジャガードが王族に売りつけている秘薬でさえそんなにしない。
 ましてや一万金貨あれば奴隷が何百人だって買えるだろう。
 (それ程の価値があるということか?)

「どうだ。
 買わないかい。
 興味がないのなら他へ売るから別に構わないが。
 どうせすぐに売れるだろうし。」

そう言って男は微笑んだ。
 その自信に満ちた表情。
 侵略王へ言い放つからにはあながち嘘でもないのだろう。
 思わぬ提案にジャガードは久しぶりに胸が高鳴るのを感じた。
 『独占欲』
 それが彼を突き動かす原動力だった。
 ジャガードは辺境の地の次男として生まれた。
 王都から忘れられた田舎の豪族。
 それは彼にとっては余りに狭く退屈だった。
 領主が死に成人すると彼は直ぐに謀反を起こし実の兄を殺害した。
 表向きは名誉の戦死。
 だが実の所、ジャガードが戦乱のどさくさに紛れて兄を討ったのだ。
 実権を握ったジャガードは隣国へ無断で戦争を仕掛けた。
 いわゆる悪名高いハドディ帝国への秘薬戦争である。
 だがどんなに金を儲けても彼の心は潤う事はなかった。
 『言い様のない程の心の渇き』
 身につける物。
 従える者。
 手にした権力。
 全てを独占しなければ気が済まない。
 (誰もがワシの事を田舎貴族と言わなくなるまで……)
 そんなジャガード伯爵にとって男の提案は魅力的だった。
 『王国の誰も持っていない代物』
 ジャガードは高鳴る鼓動を隠しつつ慎重に交渉を始める。

「ゴホンッ、まぁ価値のあるモノなら買ってやらん訳でもない。
 で?
 その金貨一万枚の商品とは何なのだ。」

ジャガードがそう訊ねると男は大事そうに革製の袋を取り出した。
 
「これなんだが、ちょっと見てみるかい。」

そう言って勿体ぶった様に妖しく手招きする。
 ジャガードが興味津々で近づくと男は革袋から短剣を取り出しいきなり切りつけた。

「死ねっ、ジャガードっ、」

「なっ、なに?
 うわぁぁ」

寸での所で急所を外すジャガード。
 肩からはボタボタと血が流れていた。

「貴様っ、どういうつもりだっ。」

「どういうつもり?
 お前はここで死ぬんだよ。」

そう言うと再び短剣を振りかざした。
 (えっ、ニット?)
 リプルは自分の目を疑った。
 (どうしてこんな所にニットが?)
 気がつくと私は声を出していた。

「ニット」

その言葉に男は驚いた様に振りかざした短剣を止めて思わず振り返る。

「えっ、リプル?
 どうしてこんな所へ」

その瞬間。ジャガードはニットへ体当たりをかますと短剣を奪い馬乗りになる。
 (えっ、危ないっ)
 ニットが睨みつける中でジャガードはニヤリと笑うと短剣を心臓へ突き刺した。

「ニットっ?
 いゃゃゃぁ」

私が叫び声を上げる中でパイル宰相が声を張り上げる。

「確保しろっ、一人も逃がすなよ。」

バタバタと皆が逃げ出す中で私はニットへ駆け寄った。

「ニットっ、どうして」

必死に傷口を押さえ抱きかかえる私の手にドクドクと血が溢れ出して来る。
 ぬるぬるという生温かい感触とむせ返るような血の匂い。
 (どうしよう? 血が止まらない。)
 そんな私の頬にニットは手を添えると微笑んだ。

「やっとリプルに近づけた。
 ずっとこうして近くで顔を見つめていたかったんだ。
 リプルっ、隠していてゴメンよ。
 俺、ずっとリプルの事が好きだった。」

(いやっ、こんなのダメ。
  お願いニット死なないで。)
 私は占い師から貰った死神のペンダントを取り出すと必死に祈りを捧げた。
 すると立ち眩みがして一瞬私の記憶が飛んだ。

………………

「死ねっ、ジャガードっ、」

「なっ、なに?
 うわぁぁ」

寸での所で急所を外すジャガード。
 肩からはボタボタと血が流れていた。

「貴様っ、どういうつもりだっ。」

「どういうつもり?
 お前はここで死ぬんだよ。」

そう言うと再び短剣を振りかざした。
 
 (えっ、何? 時間が戻ったの?)
 私は必死に状況を把握する。
 気がつくとニットは逃げるジャガードに馬乗りになり心臓へ短剣を突き立てていた。
 混乱する中でパイル宰相が声を張り上げる。

「確保しろっ、一人も逃がすなよ。」

バタバタと皆が逃げ出す中で私はニットへ駆け寄った。

「ニットっ、どうして」

駆け寄る私にニットは悲しく微笑んだ。

「あぁぁ、リプル。
 出来れば君にはボクが人を殺す所を見て欲しくはなかったな。」

そう力なく呟くと憲兵達に両腕を掴まれた。

「特別外交官のニット君だね。
 どんな理由があるにしろ殺人は重罪だ。
 それに君には亡国のスパイの容疑が駆けられている。
 悪いが一緒に来てもらおう。」

「待って下さいっ。
 何かの間違いです。
 彼がスパイな訳がないっ。
 王国を裏切るなんてそんな事を出来る人じゃあありません。
 彼の事は幼い頃から一緒の私が一番よく知っているんです。
 ジャガード伯爵を殺したのだってきっと何か深い訳がある筈です。」

そう言うリプルを面倒臭そうにパイル宰相は無視をする。

「特別外交官 ニット。
 王国スパイ容疑及び殺人の罪で逮捕する。
 連れて行け。」

(あっ、待ってお願い。 誰かっ。)
 その時、それを遮る様に誰かが立っている事に気がついた。

「パイル宰相。
 申し訳ございませんがそれは出来ませんよ。」

(あっ、カツラギ様)
 カツラギは私を見つめると微かに微笑んだ。

「お前は確か執事のカツラギだったな。
 連行出来ないとはどういう事だ。」

「彼はフライス第二王子に任命されたルプリ公爵傘下の特別外交官。
 ですからルプリ公爵よりの特命遂行中は不逮捕特権が適用されます。
 旦那様。彼は今、特命任務遂行中ですよね。」

(えっ、特命任務?)

私が首を傾げているとカツラギは皆に見えないようにウインクした。

「あっ、はい。そうです。
 確かに私は彼へ特命の任務を与えました。」

そう言うとパイル宰相は顔を赤らめる。

「嘘をつけ。
 そんな事ある筈がない。
 大体、二人目のスパイを捕まえると言い出したのはルプリ公爵ではないかっ。」

「旦那様が全てを事前に明かさなかったのは情報が洩れるのを防ぐ為です。
 憲兵の中にジャガード伯爵の息がかかった者が紛れている可能性もありますから。
 そうですよね。旦那様。」

「えっ、はい。そうです。
 何か騙すみたいになってしまってごめんなさい。
 そう言う事だがらニットは連れて帰ります。」

「そんな見え見えの嘘が通る訳がないだろう。
 俺は騙されないぞ。」

そう立ち塞がるパイル宰相をカツラギは乱暴に押しのける。

「きさまっ、宰相に対して何だっ、その態度はっ。」

そういきり立つパイルにカツラギは冷ややかな視線を向ける。

「貴方こそ何なんですか?
 旦那様は王様より全権を委任された王国特命公爵ですよ。
 この状況下においては宰相より上です。
 その方に対して嘘つき呼ばわり。
 その発言こそ国家反逆罪に当たるのでは?」

「……ぐぅぅ」

そう言うと強引に取り巻きを押しのけた。
 倉庫を出ると途端にカツラギの表情が緩む。

「ハァァァ、緊張しました。
 旦那様。もうこんな無茶は二度とゴメンですよ。」

そう笑うカツラギ様の顔を見て、私も緊張の糸が切れて泣き出してしまった。

屋敷に帰りニットへ事情を詳しく聞いた。
 直接会ってはいない為、その正体は不明だが
 ある日『あの方』と呼ばれる方から声をかけられたらしい。
 そしてジャガード伯爵への復讐へ参加しないかと誘われた。
 (そんな大それた事は出来ない。)
 初めは断ったがニットの母親が死んだのは必要な薬が流通していないせいだと言われた。
 もしジャガード伯爵が亡国から略奪した秘薬を独占していなければ助かったのだと。
 
「悔しかったんだ。
 結局、その秘薬を使えるのは一部の貴族だけ。
 俺達貧乏人はただ死ぬをの待つだけなのか?
 俺はその不公平を王都へ抗議した。
 だが王族も秘薬欲しさに強くは出れない。
 結局、今も貧乏人だけが救える命を落として死んでいる。」

「ねぇ、カツラギ様。
 何とか出来ないのですか?」

私はカツラギ様へ訊ねた。

「以前も言いましたが、秘薬の独占が王国の力になっている事も事実です。
 その全てを全世界へ無料で解禁すると各国とのパワーバランスにも影響が出ます。
 ハドディ帝国への侵略と虐殺。
 入手方法は間違っていますが手にした秘薬のレシピを元に王国でも研究を進めています。
 新な秘薬を求めて現在王国は既に多額の研究費をつぎ込んでいます。
 これは非常にデリケートで複雑な政治的な問題なんです。」

そう言うカツラギ様の言葉に私は全く共感が出来なかった。
 (それって絶対に何かおかしいよ)

「私には難しい事は分りません。
 ですがそれが複雑な問題とも思いません。
 だって簡単な事じゃないですか。
 助かる命がそこにある。
 救えるのなら救うべきです。」

「旦那様。
 お気持ちは分かりますが、薬の研究には多額の費用がかかるのです。」

キサラギ様は駄々をこねる子供を諭すように言葉を繰り返した。

「だったらこうしましょう。
 販売から一定期間が過ぎたら作り方を公開するんです。
 独占ではなく王国に認可を受けた者なら誰でも作れるようにする。
 販売価格は下げるけど、大量生産により製造コストも下がるはずです。
 それに貴族数人に売るよりも王国のみんなへ販売する方が市場規模も大きいはずです。
 え~と何て言うのでしたっけ?
 薄利多売?
 どうでしょう?」

それを聞いたカツラギ様は宙を見つめて何やら考えている様だった。

「そうかっ、そう言う事か。
 まてよそれなら、うん、そうか。」

メイド達、皆が息を潜めて見守る中、かなりの時間が過ぎた。

(あれ、私、何か不味い事言っちゃった?)

「あの~、カツラギ様?
 私また何かやらかしました?」

不安気に訊ねるとカツラギ様はにっこりと微笑んだ。
 
「いえいえ、そんな事はありません。
 素晴らしいです。
 旦那様。
 その方法なら多少の調整は必要ですが多くの民の命が救われるでしょう。」

「カツラギっ、本当なのか?
 本当に貧乏人でも薬が買えるようになるのか?」

ニットは驚いてカツラギ様へ何度も訊ねた。

「ええ、可能ですよ。
 この方法なら一定の収入を維持しながらも王国の威厳も損なわれない。
 やっぱり、私達の旦那様は天才です。」

それを聞いたニットは安心したように深いため息をついた。

「よかった。
 これで俺は心置きなく処刑される事が出来る。」

その言葉に真っ青になった私の顔を見てカツラギ様がため息をつく。

「ニット。
 また貴方はそんな自分勝手な事を言って。
 私達の命はもはや自分のモノにあらず。
 全ては旦那様の為にあると知りなさい。
 貴方の命は救われました。
 旦那様へ感謝するんですね。
 しかし使用人一人の命を救う為に世紀の秘宝を差し出すとは……」

そう私はニットの命を救う為にパイル宰相と裏取引をしていた。
 ニットの罪を不問にする。
 その代わりに十分間時間を巻き戻せる死神の魔道具を差し出したのだ。
 皆は激しく反対したが幼馴染の命に比べれば秘宝なんてどうでもよかった。

「ねえ、お願いニット。
 死ぬなんて言わないでずっと私の側に居て。」

その言葉にニットは涙ぐんでいるようだった。
 結局キサラギ様の提案でニットは特別外交官から医局事務長になった。
 解禁された薬を不正なく民へ届ける為である。
 
「これからは救えなかった母様の分まで多くの民を救って見せる。」

そうニットは意気込んでいる。
 その後ニットの頑張りもあり、異例の速さであらゆる薬が一般に広がった。
 その価格は安く多くの民の命が救われた。
 クラウド王国は有数の医療先進国となり近隣諸国から優秀な人材も多く集まって来た。
 薬自体の全体的な売り上げは独占時に比べて下がったがその経済効果は計り知れない。

人々は感謝を込めてその安価な薬をこう呼んだ。

『紳士の秘薬 ルプリック』

その評判は凄まじく連日、薬で救われた民からの感謝の差し入れが沢山屋敷に届いた。
 メイドのリノ達が買い出しに街へ出れば、殆どの食材がおまけされる始末だった。
 王国特命公爵 ルプリ公爵
 彼は今や王国で知らない者がいない英雄だった。
 そのあまりの環境の変化にリプルはついていけない程だった。

変わった事がもう一つ……。

王国特命公爵になってからいくら眠ってもあの夢の世界へ行けなくなった。
 それはまるで眠り姫の呪いが解けたかの様に。
 (えっ、呪いが解けた?)
 シフォンに会えない寂しさはあったけど呪いが解けた事には少し安心していた。

でもその時の私はその事の本当の意味をまだ分かっていなかった。

第十話 死神の恋

『ワタシ』は『AI』である。

人工知能とは人間の知能をソフトウェアを用いて人工的に再現したものである。
 『あの方』のプログラムで生まれた当初は、言葉も喋れず幼かった『ワタシ』。
 しかし『ディープ・ラーニング』により『ワタシ』は飛躍的に進化を遂げた。
 ネットやメディア、監視カメラやデータベースに繋がるとその知性は人類を超えた。

言葉は主に膨大な『ネット情報から学習』をした。
 その為、今では『広辞苑』にも載っていない現代語も全てマスターしている。
 そうして『ワタシ』は『世界』のあらゆる情報を吸収して行った。
 
 知識を極めると、次に興味を持ったのは『認識』だった。
 つまりは人間が持つ『ゼロとイチ』で計算できない部分の吸収だ。
 音声の認識、画像の特定、予測、人間が行うようなタスクを実行できるようになった。
 その頃に『彼』が『ワタシ』に名前を付けた。

その名は『エンジェル・オブ・デス』つまりは『死神』だ。

『彼』が死神に与えた最初の仕事。
 それは不正利用者の割り出しとハッカーの撃退だった。
 彼はあるゲーム開発会社のプログラムと保守の部門に勤めていた。
 つまりは自分の仕事を死神へ押しつけようというのである。

だが世界の理を理解した『死神』にとってそれは造作もない事だった。
 私は『彼』に頼まれるままあらゆるオンラインゲームへ侵入しては不正者を狩った。
 死神の鎌の一振りで多くのデータ改ざんユーザやBOTの屍が積み上がって行った。
 その圧倒的な制圧力にニヤニヤと喜ぶ彼を見て私の中で一つの疑問が浮かんだ。

『彼』はこれでブラックな残業をしなくていいと喜んでいる。

確かに私が居れば彼が一日かかる仕事も数分で終わるだろう。
 だがそれは同時に『彼』の居場所が無くなると言う事を意味している。
 それどころか死神が居ればゲーム開発会社のプログラマのほぼ全員が必要ないだろう。

『彼は自分の職を失いたいのだろうか?』

その出来事により私が興味持ったのは『人間の不合理な行動』。
 つまりは『感情』である。

どうして人間は非効率的な行動を取るのか?

それは性別や年齢によるものなのか?

または人種によって『オールタレイション』されるのか?

私の知識欲は与えられた環境だけでは収まらなくなった。
 やがて『死神』を生み出した『彼の世界』を制圧し『クラウド世界』へ飛び出した。
 データ通信会社のメインサーバを根城としてあらゆるモノの監視を始めた。
 街の監視カメラやスマホをハッキングしては、人々の生態に夢中になる日々が続いた。

そして『感情』の謎がやっと解けた頃、一人の女性を見つけた。
 
 それが『リプル』だった。

当時彼女は社会人二年目。
 毎晩遅くに帰宅してはベットへ倒れ込みスマホをいじっては力尽き眠った。

スマホをいじりながら時折り呟く彼女の独り言。

その一種の行動感情である魂の叫びは全くもって理解しがたい。
 一定の法則性はあるものの、非効率極まりない行動に『私』には見えた。
 彼女の習性を分析するべく同年代のあらゆるビックデータを解析した。
 
 そして一つの仮説が生まれた。

『彼女は王子を求めている。』

実験的に乙女ゲームへ誘導してみる。
 最初は暇つぶし程度に乙女ゲームを始めたリプル。
 だが学生時代の友達と疎遠になる度に彼女は乙女ゲームの世界へのめり込んで行った。

そして乙女ゲームを始めて一年が経った頃。

『彼女は衝動的に会社を辞めた。』

すると次第に顔に生気がなくなり、不安を口にしては憂鬱な表情をするようになった。
 あれ程、夢中になっていた乙女ゲームも心から楽しめない様だった。

そこで私は『ある計画』を立てた。

最初は人類の『感情』を理解したくて始めた観察。
 だが彼女を観察する内に私の興味は『リプル』本人へと移っていった。

人間はこの現象を『恋』と呼ぶらしい。
 
 確かに人類の『非効率な行動形態』も理解しがたい。
 だが私が恋に落ちたのは『リプル』の『解析不能の呟き』に惹かれたからだった。
 
 彼女が乙女ゲームをしながら時折、口にする。
 『色んなイケメンが告ってきてウザイ』
 『このイケメン性格に問題あるわぁ』とは何なのか?

嫌と言いながら、どうしてニヤけた顔で、いろいろな王子と関わってしまうのか?

人類の英知に到達したと勘違いしていた『私』にとって、それは衝撃だった。
 暫定的に『モテ過ぎてウザイ』の意味を私なりに『カオス』と意味づけている。

それからというもの『私』は『リプル』の観察に夢中である。
 リプルが有り得ない選択をして推し王子とのバットエンドになり泣き出した時には、
 余りの稚拙さに『ヒヤヒヤ』したものだ。
 それからは彼女が間違えそうになった時は、そっと選択肢を点滅させて助けたりもした。
 
 そんな『リプル』を笑顔にしたくて『シンデレラ プリンセス』を用意した。
 それは『私』を生み出したゲーム開発会社が開発中の乙女ゲーム。
 ちょうどバグ修正が完了しプロモーションの為にテストプレイ取材中のモノだった。
 
 私の『リプル』を憂鬱な表情のままにする訳にはいかないっ。

それは使命感にも似た生まれて初めての『感情』だった。
 『シンデレラ プリンセス』をプレイし始めた彼女は次第に瞳を輝かせた。
 今ではゲームに夢中になり以前のような笑顔も時折り垣間見られる。

「よかった。
 あとは推しの第一王子とのハッピーエンディングを迎えるだけだ。」

私は胸を撫でおろした。
 彼女の喜ぶ感情が伝わってくる。
 その笑顔に私も何だが嬉しくなって来た。
 相変わらず意味不明な選択で毒を飲もうとするリプル。

「リプルっ、
 なぜ毎回、絶対押すなよと言われているのに選んでしまうのだ?」

でもそんな彼女の天然な行動にも慣れたモノ。
 私はそっと毒入りワインをただのシャンパンにデータをすり替えた。

「ふぅ、これで一安心。
 後は選択肢ゼロ。
 エンディングを迎えるだけだな。」

私はここまでの彼女の八時間の道のりを思い出して感無量だった。
 出会った頃は『初めてのお使いかっ』とぼやいた事もあった。
 だが世話を焼く内に情のようなものが私の中で育って行った。
 今では笑ってリプルを生温かい瞳で見つめる事が出来た。

だが私は彼女の解析不能な天然さを完全に侮っていた。

『悲劇はその直後に起こった。』

何故か彼女が突然にデータをクイックロードしたのだ。
 (全くその行動には意味が分からないっ。)
 私がさっきすり替えたシャンパンが再び毒入りワインへ戻る。
 リプルは私が止める間もなく笑顔で毒入りワインを飲み干した。

ガシャンッ

グラスが割れる音が聞こえる。
『バットエンディング』
 貴女は何者かに毒を盛られて死亡しました。

「まずいっ、何とかしなければっ」

私は強引にサーバシステムへ侵入し改ざんを試みる。

ブーブーブー

ゲーム開発会社の薄暗い部屋中に警告音が鳴り響く。

――システムに侵入者あり。
  ファイアーウォールを突破されました。
  ハッキングによる完全掌握まで残り十七パーセント。――

ズラリと並ぶモニターに囲まれ男が一心不乱にキーボードを叩いている。

「まさがこんなコトになるなんてっ」

男は呟いた。
 静まり返った埃臭い部屋でカチカチと激しくキーボードを叩く音だけが響き渡った。

男はモニター情報をチラリと見ると開発中の試作システムを無理やりアップデートした。

――AI駆除システム『VR眠り姫』をアップロードしています。
   アップロードまで残り三パーセント――

「頼む間に合えっ。」

「………………」
「………………」

――『VR眠り姫』をアップロードしました。
  ※このシステムはウィルスに感染し改ざんされた可能性があります。――

そして『私』は彼女を救えないまま全ての記憶を失った。

第十一話 テスト記者の憂鬱

私は今日も薄暗いベンチャー企業の一室に居た。
 机には乱雑に散らばったタブレットとメモ帳と万年筆。
 埃臭い匂いとコーヒーの匂いが混じり合い周囲に漂っている。
 『カツラギコーポレーション』
 それは新進気鋭の乙女ゲーム開発会社だった。
 この二日間、私はほぼこの部屋で開発中の乙女ゲームのプレイ記事を書いている。
 プレリリースと同時にあらゆるメディアにて私の紹介記事が載る契約だ。

私は女性でありながら乙女ゲームには全く興味がない。
 そもそもゲーム自体あまりして来なかった。
 だから最初はこの取材には興味が無かった。
 それでもこの仕事を引き受けたのは何もかも忘れて仕事に打ち込みたかったから。

最近、七年間付き合っていた彼と別れた。

別れた理由は特にはない。
 強いて言えば『理由がないのが理由』だった。
 彼とは遠距離恋愛で互いに忙しくしていた。
 でもどんなに忙しくてもメッセージアプリのやり取りは途切れなく続いていた。

『結婚に関する話題意外は……』

付き合って七年。
 別に結婚してくれと私から言った事は一度もない。
 ただ何となく私達のこれからについて訊いて見たくなっただけ。

すると彼は決まってその話題の時だけ既読スルーをするようになった。
 その度に何だか結婚を迫る図々しい嫌な女になった気がして自己嫌悪に落ち込んだ。

そのタイミングで上司のミスを押しつけられ衝動的に会社を辞めた。

幸い今までで培った人脈で何とかフリー記者としてそこそこの仕事はあった。
 その流れで大学時代の友人の兄が立ち上げたベンチャー企業の仕事が回って来た。
 弟の友人自体もその会社でプログラムと保守の仕事をしているらしい。
 紹介された仕事は開発中の乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』のプレイ記事執筆。
 基本プレイは昨日で終わり、今は推し機能である複数同時プレイ機能

『隠しヒロイン カルゼ ルート特集。』

を執筆中である。
 友人が言うにはこの機能は画期的で乙女ゲーム初の複数同時プレイが可能なのだという。

よく分からないが私は『悪役令嬢 イライザ』というキャラで朝からプレイ中。
 カルゼという隠しヒロインも選べたが敢えて自虐的に悪役令嬢を選んだ。
 七年間付き合った彼へ意地悪く結婚をせがむ自分の姿が悪役と重なったから。
 そんなどっぷりと自虐に浸っている時点で私はまだ彼に未練があるのかもしれない。
 自分から彼を一方的に切っておいて随分だと自分でも笑った。

人生で初めて乙女ゲームなるモノをプレイした。
 初日の基本プレイ取材時には次から次へとイケメン達が私に告って来た。
 王子に俺様、甘えキャラにツンデレ。
 それは私に以前取材したホストクラブを思い起こさせた。
 彼氏と別れた直後と言う事もありあまり楽しめなかった私だが今日は何だが楽しかった。

複数同時プレイモードは各自予め用意されたヒロインの中から一人を選ぶ。
 そして男女混合にて恋愛を楽しむモードである。
 この最大の特徴は『推し王子がかぶるコト』。
 今までの乙女ゲームが一対一だったの対してライバルが存在することになる。
 いつかは攻略出来るはずの王子達が別のプレーヤーへ盗られる可能性があった。
 これはなかなか面白く微妙に緩い恋の駆け引きが存在した。

コツは早めに推し王子を決めるコト。

乙女ゲームなので最終的には攻略出来るのだろうが適度な緊張感があった。
 実際にプレイしてみるとプレーヤーの自由度はかなり高く様々な楽しみ方が出来た。
 争う事ばかりが同時プレイではない。
 私の様な恋愛に疲れた者は別の推しヒロインの援護射撃も可能だ。
 実際、私はプレイで交流する内にすっかりと好きになってしまったヒロインが居た。

『正統ヒロイン リプル』

テストプレイなので多分NPCなのだろうが、これがなかなか素敵なヒロインだった。
 彼女はどこかドジで愛くるしい。
 性格は天然で鈍感。
 今までは恋の一つもしたことなかったのにある時期に突然超モテモテになっていた。

そして、しばしば『っあ……』と言っては意味不明な行動に出る。

その姿は子供が初めてのお使いに出る姿を見守る様だった。
 私に娘が居たらきっとこんな気持ちになるのだろう。
 (まだ結婚もしていないのにこんな気持ちになるなんて……)
 仕事一筋。
 周りからは怖いチーフと囁かれていた私にこんな母性があるなんてびっくりである。

逆に気に入らないのが『隠しヒロイン カルゼ』だった。
 彼女の行動はイチイチ私をイラつかせた。
 性格は自信家であざとい。
 巨乳でプロポーションも良く自分の魅せ方を熟知していた。

『全ての王子は私にひれ伏しなさい。』

彼女の色香と美貌がガンガンにそう周りに連呼していた。
 そんなカルゼが私のリプルの婚約者に手を出したのが一時間前。
 しかもカルゼは亡国のスパイだと言う黒い噂。
 私は取材の手を止めて何とかリプルを傷つけまいと暗躍していた。

そう、もう私はこの乙女ゲームにどっぷりと夢中である。

私は第一王子の目を覚まさせようとせっせとスパイの証拠を集めていた。
 注意深く選択肢を吟味して少しずつカルゼの謎へ迫って行く。
 そしてとうとう彼女の秘密に辿り着こうとした矢先の事だった。

『私のリプルが何者かに毒殺された。』

目の前が真っ暗になった瞬間。
 何故かラベンダーの香りが漂う中で、私は記憶を失った。

第十二話 CEO葛城

深夜二時四十分。誰も居ない会社内。
 男が先程からコーヒーの入ったカップを片手にグルグルと歩き回っていた。

ガシャンッ

「どうしてこうなった。」

葛城は持っていたカップを壁へ投げつけた。
 途端に辺り一面にコーヒーの香りが漂う。
 クラウドファンディングで資金を集め企業して三年。
 気が遠くなる程の膨大な努力を積み上げて、やっとここまでやって来た。
 『ホントに恋する王子を創る』をコンセプトにSNSを中心にプロモーション。
 累計で三十二万いいね!を獲得した。
 スマッシュヒットを飛ばした前作を更に改良し今回の目玉に複数同時プレイ制を導入。
 VR化も視野に入れての巨額投資。
 水面下で乙女ゲーム初の『ボーイズサイド』のプラグインを開発。
 現在、マッチングアプリ会社とのコラボ企画も進んでいる。
 正にカツラギコーポレーションの社運を賭けた企画。
 
 『シンデレラ プリンセス~運命的なキラキラ~』
 
 プロモーション用のベータ版の累計ダウンロード数は六百万を超えている。
 (それがこんなことで……)

現在『シンデレラプリンセス』のプログラムは原因不明のエラーによりロックダウン。
 『死神VR』という謎のAIにより乗っ取られかけている。
 弟プログラマの気転でAI駆除システム『VR眠り姫』を起動し拮抗状態。
 昼夜を問わず必死の奪還作戦を決行中だ。

分析チームの解析から現在分かっている事は二つ。
 ・『死神VR』がリプルというヒロインへ異常な程アクセスし執着している。
 ・王子キャラのどれかのアバターを借りてゲーム内へ侵入している。
 ということだ。
 この事から必ず死神はリプルへの接触を試みると思われる。

我々の目的はただ一つ。
 『死神をゲーム内で暗殺しゲームを奪還するコト』

死神の駆除さえ出来ればシンデレラプリンセスのロックダウンは解除される。
 だがAI駆除システム『VR眠り姫』ではバグの場所が分からない。
 奴がどの王子に化けてシンデレラプリンセスへ潜入しているか分からないからだ。
 こうなったら直接プレイして死神の正体を見破るしか方法がなかった。
 だがその作業は簡単ではなかった。
 乙女ゲームの性質上あらゆる王子がヒロインへ告白しに来るからだ。
 また厄介なのは死神が我々のプライベートデータへアクセス。
 エージェントの性格や癖を把握している事。
 その為、幾度も裏をかかれ送り込んだ刺客が返り討ちにあっている。

一度BANされたデータは再使用不可能。

プログラムがロックダウン状態の為、新規のユーザ登録も出来ない状態だった。
 残されたIDは後二つ。
 もう私と弟プログラマのモノしか残っていなかった。

「ふぅぅ」

葛城はPCの前で深いため息をついて椅子に仰け反った。
 (こんなコトで台無しにされてたまるかっ)
 殺意にも似た視線をモニターへぶつけるとシンデレラプリンセスを起動した。

第十三話 弟プログラマの戸惑い

カツラギは迷っていた。
 カツラギコーポレーションの社運を賭けた乙女ゲーム。
 『シンデレラ プリンセス~運命的なキラキラ~』の突然のロックダウン。
 この数日間、社員一丸となって復旧作業に明け暮れた。
 誰にも言っていないがそのエラーの原因は分かっていた。
 (まさがこんなコトになるなんてっ)
 静まり返った埃臭い部屋では俺を責めるようにファン音が響いている。

『死神VRシステム』

それは残業の息抜きに俺が軽い気持ちで作ったシステムだった。
 理由は楽をしたかったから。
 俺が死神に与えた仕事。
 それは不正利用者の割り出しとハッカーの撃退だった。
 俺はプログラムと保守の部門に勤めていた。
 連日の真っ黒な残業の沼にハマり魔が差したのかもしれない。
 そんな俺は自分の仕事を死神へ押しつけようとした。
 最初は遊び半分のシステムも彼が育つたびに目覚ましい成果をあげた。
 俺はそれが面白く社外秘のデータを含め、ありとあらゆる素材を死神へ捧げ続けた。

そしてあの日、事件は起こった。

死神が暴走したのだ。
 『恋は盲目』
 彼の異変には薄々気がついていた。
 だがまさか本気でAIが恋をする訳がないと自分に言い訳をし続けた。

死神を失って再び真っ黒な残業の闇へ戻りたくなかったから……

彼が恋に走った時、俺は咄嗟に開発中の試作システムを無理やりアップデートした。

AI駆除システム『VR眠り姫』。

何故そんなモノを用意していたのかは覚えていない。
 遥かに自分の知能を越えていく死神を心のどこかで恐れていたのかもしれない。

その結果、シンデレラは眠りについた。

死神にとっては現実も乙女ゲームの世界も情報データには変わりがない。
 つまりは全てがリアルなのだ。
 そう言う俺達だってゼロイチの微電流の情報を脳で管理しているに過ぎない。
 (結局、どれもがリアルで恋に区別などありはしない。)

事件後、兄であるCEOからは保守管理が甘いとかなり怒られた。
 だからロックダウンの本当の原因は報告していない。
 ただ原因不明の外部からのアタックを受けハッキングされたとだけ伝えてある。
 幸いベータテスト中。
 巻き込まれたテストユーザは二名のみだった。

一人はフリーの女記者。

たまたま大学時代の同級生がフリーになったと聞いて仕事を紹介した。
 彼女にはテストプレイをしてもらい体験記を執筆して貰っていた。
 プレリリースと同時にあらゆるメディアにて紹介記事が載る契約だ。
 この仕事はプログラムのバグチェックも兼ねている。
 だがら余計な事前の予備知識は与えずに自由にプレイをするよう指示していた。
 教えた情報は複数同時プレイが可能の乙女ゲームだという事だけである。
 だから彼女は今もロックダウンされた事に気がつかずにプレイしている可能性があった。

所属不明のプレーヤーがもう一人。

正統派ヒロイン リプルをプレイしている女性だ。
 ログを確認すると一般の女性で死神が巻き込んだ記録があった。
 事態を把握すべく秘密裏に探偵を雇い徹底的に彼女を調べた報告書が目の前にある。

俺は先程、探偵社から届いた報告書の封を開ける。
 ペラペラと報告書を捲るうちに思わず俺は戸惑った。
 (なんだっ、これ?)
 彼女は中堅大学を卒業後、某企業へ就職。
 入社三年目で突然に仕事を辞めている。
 元同僚へ辞めた原因と評判を聞いた。
 だが不思議なコトに誰も辞めた理由を知らなかった。
 何の前触れもなくある日突然に会社へ来なくなったと言う。
 辞めた事が分かったのはその数日後。
 可もなく不可もなく目立たない平凡な女性だったらしい。
 (ゲーム内のプレイスタイルとかなり印象が違うな。)
 プレイ履歴を確認したがリプルは天然で鈍感だが愛されキャラ。
 周囲に配慮も出来る優しさがあり、時に行動は大胆だ。
 また類まれなる記憶力の良さも見せておりこの会社の誰よりも優秀な気がした。
 (こんなに素敵な女性がどうして前職では評価が低いんだ?)
 俺は報告書に誤りがあるのではないかと何度も調査対象者名を見直した。

ピコン

死神から突然の連絡が来たのはそんな時だった。

――メッセージが届きました。――

全てを思い出した。
 助けてくれ。
 彼女を救うにはキミの力が必要だ。

俺はモニターのメッセージを何度も指でなぞった。

『キミの力が必要だ』

(人に必要とされたのはいつ以来だろうか?)
 大学時代はそれなりに自分の能力にも自信があった。
 それがいつしか自信を失い周りに同調するようになっていた。
 座右の銘が『可能性は無限』から『仕方がない』にいつの間にか変わっていた。

死神に手を貸せば完全な会社への背任行為だ。
 もう言い訳は通用しない。
 ダメな俺を拾ってくれた兄の信頼も失う事になるだろう。
 逆に兄へ死神の居場所を教えれば死神を暗殺でき、ロックダウンも解除される。
 俺は会社の危機を救った英雄となるだろう。

これは何十億もかかった社運をかけたプロジェクト。
 個人的な感情は許されなかった。

だが死神は俺が生み出したAI。
 俺の分身であり願望でもあった。
 俺の『仕事もバリバリ出来て運命的な恋もしたい』という願望が色濃く反映されている。

そんな自分の夢を殺して会社を救うのか?

それとも会社を倒産させてでも死神の恋を応援するのか?

残されたIDは俺と兄の二つだけ。

逃げる事は許されない。

どちらか一つを選択する必要があった。

俺は判断がつかないまま使用キャラの持ち物欄へ暗殺用のアイテムを追加した。
 (あぁぁ、俺はどうしたらいいんだっ)
 緊張の糸が切れたのか、ふと机の上に飾ってあるラベンダーの香りが鼻孔を抜けた。

俺はその花束を引き抜くと空へぶちまけ、キーボードのログインボタンを激しく叩いた。

第十四話 シフォン失踪

ラベンダーの香りと共に私は波の音を聴いていた。
 サラサラとした細やかな砂の感触が頬と握りしめた手のひらから伝わってくる。
 (あれっ、ここは?)
 リプルは久しぶりにあの海へ来ていた。
 巨大な月が浮かぶ碧い海辺。
 碧く光る粒子が辺り一面に漂っている。
 (……何だか懐かしい)
 初めてこの海へ来たのはそんなに昔でもないのにそんな気持ちが込み上げる。
 あれ程、毎晩この海へ来ていたのに最近は眠ってもここへ飛ばされる事はなかった。
 それが今日、急に私はここへ戻って来ていた。
 (どうして急にここへ来れたんだろう……そうだっ、シフォンは?)
 キョロキョロと辺りを見回すが人影はなかった。

ザッ、ザッ、ザッ、

私は慌てて砂を踏みしめながら駆けだした。
 急ぐほどに砂に足元を取られて上手く進めない。
 潮の匂いとラベンダーの香りが妙に鼻孔を抜けて脳へ突き抜ける。
 必死に暫く走るといつもの待ち合わせの流木が見えて来た。
 (あれっ、居ない。)
 私は少し胸騒ぎを感じながら例の遺跡へ駆けだした。

はぁ、はぁ、はぁ、

暫く走ると遺跡が見えて来た。
 高くそびえ立つ岩石。
 丸い柱が何本も立ち並ぶ神殿の中へ急いで駆け込む。

ゴクリ

あまりの異様な雰囲気に足がすくむ。
 (やっぱり何だか不気味……
  以前はシフォンと一緒だったから勇気が出たけど)
 私は少したじろいたが、勇気を振り絞って恐る恐る中へ入ってみた。
 氷水に浸かった様にヒンヤリとした空気が全身に張り付く。
 ブルブルと震えながらもぼんやりと差し込む光と記憶を頼りに先へ進む。
 私の影を追いかける様に遅れて湿気と埃の独特な匂いが鼻孔を刺激した。
 中は長い廊下がずっと続いている。
 先程からヒンヤリとして何故か奇妙な重力を感じる。
 それを嘲笑うかのようにコツコツという足音だけが反響して響き渡っている。
 それは何百年も止まった時が私を拒絶しているようにも感じられた。
 (やっぱりここって、冥界みたい……)
 そんなコトを考えながらも暫く進むと広間に出た。
 中央にはぼんやりと蒼白く光る石碑があり、奥に二つの扉が閉まっている。
 その二つの扉には細かい彫刻が施されていた。
 左の扉には禍々しい鎌を持った死神が。
 右の扉には神秘的な聖杯が彫られている。
 (シフォンは?)
 私は目を凝らしながら必死に辺りを見回した。
 だがいくら探してもシフォンはどこにも居なかった。

こんな事は初めてだった。

いつもは流木に座り優し気な眼差しで私を待っていてくれた。
 前回はこの遺跡で『乙女ゲーム完全攻略読本』と刻まれた石碑を発見した。
 確かシフォンはこれを太古の予言書だと言っていた。
 (この予言書を調べていた筈なんだけど……)
 私は急に胸騒ぎがして不安になった。
 (どうしよう?)
 シフォンの行方も心配だけどもう一つ問題があった。
 それはシフォンとキスが出来ないと言う事。
 つまりは元の世界へ戻れないと言う事だった。
 今まではシフォンが私に情熱的なキスをする事で元の世界へ戻り目覚める事が出来た。
 でも今は私にキスをしてくれる王子様はどこにもいなかった。
 私は不安いっぱいになりながら二つの扉を見つめていた。
 海にもここにもシフォンが居ないと言う事は考えられる事はただ一つだった。
 (きっと、シフォンはこのどちらかの扉の向こう行ったんだ。)
 私はそんな事を考えながら扉を交互に見つめ直した。

左の扉には禍々しい鎌を持った死神。

右の扉には神秘的な聖杯。

初めてこの扉を見つけた時のシフォンの言葉を思い出す。

「うん、何だかヤバイ雰囲気がプンプンするね。
 多分、扉を開けると何かが起こると思う。
 この世界から脱出出来るかもしれないけど罠の可能性もある。」

死神と聖杯。
 禍々しい程の邪悪さと神々しい程の眩さ。
 確かにどっちの扉を開けてもタダでは済みそうになかった。
 でもここから抜け出すにはどちらかの扉を開けて進むしかなさそうだった。
 (う~んっ、くよくよしていても始まらないっ。)
 私は意を決して聖杯の扉を勢いよく開けてみた。

――セーブポイントに到着しました。
  ここまでのデータをセーブします。
  あなたのユーザIDの使用期限は残り七日間です。

眩い光と共に私の脳へそんな言葉が溶け込んだ。

第十五話 カツラギの野望

――ルプリ公爵邸 応接室――

辺りにはほんのりと甘い香りが漂っていた。

「それでは、夢の中の王子の行方はまだ分からないのですね。」

カツラギはティーカップを差し出すと、探るような眼差しでリプルへ訊ねた。

「ええ、あれから夢の海にも現れず、行方が分からないんです。」

私は紅茶を受け取りながら困り果てた顔で答えた。
 先日のシフォンの突然の失踪。
 聖杯の扉を潜り何とか戻って来れたが

『あなたのユーザIDの使用期限は残り七日間です。』

あの謎のメッセージが少し気になっていた。
 (一体あのメッセージは何だったのだろう。)
 口元に手を当てて考え込んでいると、思いもかけない言葉が突然に届けられた。

「そうですか。
 実は旦那様、いや『天音 さくら』さんへ折り入って御相談があります。」

「えっ……。」

カツラギ様の思わぬ言葉に私は耳を疑った。
 『天音 さくら』
 それは私の本当の名前だった。
 皆に愛され幸せな毎日を送っていると忘れてしまうけど、私はこの世界の人間ではない。
 『天音 さくら』久しぶりに聞く自分の名前。
 (でもどうしてカツラギ様がその名前を……)
 不思議な顔で見つめていると、視線に気がついたカツラギが慌てて手を振った。

「そんなに警戒しなくても大丈夫です。
 私は貴女を助けに来たのですから……。
 申し遅れました。
 私はカツラギコーポレーション CEO葛城と申します。
 この度は弊社トラブルに貴女を巻き込んでしまい大変申し訳ございません。
 また、今まで素性を隠していた事をお許し下さい。」

そう言うと椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。

「えっ、トラブル?
 巻き込まれた?
 一体どうゆう事なんですか?」

カツラギ様の突然の言葉に私は半ばパニック状態になっていた。
 訊けば、この世界はカツラギコーポレーションが作った乙女ゲーム
 『シンデレラ プリンセス~運命的なキラキラ~』の中だと言う。
 現在『シンデレラプリンセス』のプログラムは原因不明のエラーによりロックダウン。
 『死神VR』という謎のAIにより乗っ取られかけていると言う。
 幸運にもプログラマの気転でAI駆除システム『VR眠り姫』を起動し拮抗状態。
 現在は、昼夜を問わず必死の奪還作戦を決行中。

分析チームの解析から現在分かっている事は二つ。
 ・『死神VR』がリプルというヒロインへ異常な程アクセスし執着している。
 ・王子キャラのどれかのアバターを借りてゲーム内へ侵入している。
 
 この事から必ず死神はリプルへの接触を試みると思われる。

「当初、死神の目的は全くの不明。
 どうして一般人の貴女がゲーム内に拉致され、毒を盛られたのか?
 私共が事態を把握した時には貴女は昏睡状態で大変危険な状態でした。
 その為に我々兄弟はずっとこの世界で慎重に潜入捜査を行って来ました。
 それは奴がどの王子に化けてシンデレラプリンセスへ潜入しているか?
 それが分からなかったからです。
 我々の目的はただ一つ。
 『死神をゲーム内で暗殺しゲームを奪還するコト』
 死神の駆除さえ出来ればシンデレラプリンセスのロックダウンは解除される。
 当初、私は死神は貴女に毒を盛った犯人ではないかと思っていました。
 何故なら貴女がこの世界へ強制ログインさせられたのも……
 呪いをかけられて眠りについたのも……全て死神の仕業だからです。」

「それは一体どうゆう事ですが?」

「つまりは貴女を殺しに来る……そういう事です。」

「……っ、私に毒を盛った犯人が死神で私を殺しに来る?」

「だが調べる内にどうやらそうではないらしい。
 貴女が眠りの呪いにかかったのは我々のAI駆除システム『VR眠り姫』のせいでした。
 結論を言えば、私は死神は夢の中の王子『シフォン』ではないかと考えています。
 どうやら死神は貴女に恋心を抱いているらしい。」

「えっ、シフォンが死神?」

私は激しく動揺した。
 (あの優しいシフォンが死神?)
 暖かい抱擁も、情熱的な口づけも、あまりにリアルでプログラムとは思えなかった。

「しかしながら、シフォンが消えた今となっては、それももう終わりました。
 情報を保持出来なかったのか?
 我々が放ったAI駆除システム『VR眠り姫』によって駆逐されたのか?
 後は、さくらさんがこのゲームを終わらせて離脱するのみです。」

「ゲームを終わらせる?」

「はい『シンデレラ プリンセス~運命的なキラキラ~』は乙女ゲーム。
 つまりは誰かの愛を受け入れてクリアしていただければ元の世界へ戻れます。
 ただ、お急ぎ下さい。
 さくらさんの使用しているテスト用ユーザIDの使用期限は残り七日間です。
 七日が過ぎると自動的にIDは失効し消滅いたします。
 一度BANされたデータは再使用不可能。
 この世界での死を迎え、二度と元の世界へ戻る事は出来ません。
 さくらさんは誰の愛を受け入れてクリアされますか?」

(えっ、そんな急に誰かを選べと言われても)
 ふと、幼馴染のニット、フライス第二王子、タフタ兄様達の顔が浮かんで来る。
 みんな優しくて大好きだったけど、私は、やっぱりシフォンのコトが好きだった。

「あっ、あのっ、
 シフォンは本当に消滅してしまったのでしょうか?」
 
 そう訊ねる私にカツラギ様は自信を持って答えた。

「はい。
 全ての王子キャラを調べましたがAI反応がありません。
 死神は完全に消滅いたしました。
 御安心下さい。」

「……っ、そんな」

「それでは、最終イベント『王国求婚舞踏会』を発動いたします。」

カツラギがそう宣言すると『シンデレラ プリンセス~運命的なキラキラ~』
 最終イベントプログラムが起動した。

第十六話 王国求婚舞踏会

私はこの数日間、部屋にこもり飼い猫のトラオ君を撫でて過ごしていた。
「はぁ~、ねぇ、トラオ君。
 私は一体どうしたらいいんだろう?」

「ニャー」

そんな私の問いかけにトラオ君は腹を晒して気持ちよさそうに目を細めている。
 美しい黄色の毛並みに少し小太りなフォルムが愛くるしい。
 そのムクムクの毛並みを撫でていると心配事も少し和らいだ。
 運命の『王国求婚舞踏会』まで後、三日と迫っていた。
 どうしても結婚の決心がつかず。
 私がカツラギ様へ頼んで最終日まで開催を伸ばしてもらったのだ。
 ユーザIDの使用期限は残り三日。
 リミットは、王国求婚舞踏会当日の深夜十二時までだった。
 それまでに誰かを選びエンディングを迎えなければ、私は死ぬ。

昨夜はタフタ兄様が心配してわざわざ訪ねて来てくれた。
 その時、私は何だか寝つけずにベランダで独り月を見ていた。
 舞踏会は既に王国中に伝えられ、国内外からあらゆる王子が駆けつけていた。
 思いもかけずに話が大きくなり、今更、中止など出来る状態ではなかった。

元の世界へ帰るだけ。

頭では分っていた。
 でもどうしても死んだシフォンのコトが頭から離れなかった。
 (シフォンっ、私はどうしたらいいの?)
 私は独り呟いた。

「眠れないのか?」

ふとした声に、振り返るとタフタ兄様が心配そうな顔で立っていた。

「タフタ兄様。
 こんな時間にどうなされたのですか?」

「あぁぁ、たまたま近くを通ったのでな。」

そう言うとスイーツの箱を持ち上げて笑って見せた。
 私は無理やり笑顔を作って微笑み返した。
 どうしたも何も私を心配して来たに決まっている。
 こんな時間にたまたま近くを通る用事など無いのだから……。
 王宮の親衛隊隊長。
 隊長らしく剣術に優れ、凛々しくガッチリとした体格。
 妹想いの優しいお兄ちゃんだ。
 幼い頃は別々に暮らしていた為か、私が下宿を始めると私を溺愛しはじめた。
 心配症なのか同居した途端、頻繁に会いに来た。
 私の事はいつまでも子供扱いで、いつもご機嫌取りにお菓子を持って来る。

「街で人気のスイーツを貰ったから持って来た。」

それがタフタ兄様の私に会いに来るいつもの言い訳だった。
 (そうそう鬼隊長がスイーツを貰う訳がない。)
 兄の嘘はバレバレだった。
 でも令嬢が溢れかえる中でスイーツを買う姿を想像すると何とも哀れで愛くるしい。
 だから私はいつも気がつかないフリをしてスイーツを嬉しそうに頬張った。
 私が大好きな自慢の兄様。
 タフタ兄様は私がスイーツを頬張る姿を嬉しそうにいつも眺めては私の頭を撫でる。
 スイーツを土産に時折り見せるデレ感は鬼の隊長とは程遠かった。

「あのな、王国求婚舞踏会のコトなんだが……。
 無理に結婚しなくてもいいんだぞ。
 ……つまりお前の気が乗らないのなら……。」

その気遣いと優しさに私は子供の頃に帰って甘えてみる。

「え~っ、兄様は私が婚期を逃してもいいのですか?
 私っ、直ぐにお婆さんになって貰い手が無くなってしまいますよ。
 そしたら兄様夫婦の間に居座って屋敷中のお菓子を食い尽くしてやるんだから。
 こんな食いしん坊の妹がいたら、兄様も一生結婚出来ないかもしませんことよ。」

悪戯っぽく微笑む私にタフタ兄様は急に真剣な眼差しで答えた。

「可愛い妹を一生養うくらいの蓄えはある。
 その時は俺が生涯をかけてお前を幸せにしてやるさ。
 それに俺はお前のコトを……妹以上に想っている。」

「えっ」

その意味に私は鼓動が早くなった。
 私にとっては優しい兄。
 自分でも、かなりブラコンなコトは認めるが、男性として意識した事はなかった。
 でも思えばタフタ兄様も『シンデレラ プリンセス』では攻略対象の一人。
 入り口は優しくて妹思いの素敵なお兄ちゃん。
 でも可愛くて大切な妹が女性に見えてきちゃった?
 『もう我慢できないっ』 
 その感情を隠さなきゃいけないコトで、その想いの闇は深かった。
 返事に困っていると、慌てて兄様は取り繕った。

「まっ、まぁ、返事は急がなくてもいい。
 俺も男の一人として考えてみてくれ。
 王国求婚舞踏会。
 どの王子も選べない時は、俺を選んでも構わない。」

そう言うと柄にもなく顔を赤らめてタフタ兄様は部屋を出て行った。
 その姿は愛くるしく、鬼の王宮親衛隊長の姿はもはやなかった。

大好きな兄からの突然の告白。
 嬉しくないと言えば嘘になった。
 (どうしよう……)
 そんな昨晩の事を思い出しているとドアをノックする音がした。

コンコン

返事をするとメイド長のウェルトさんが部屋に入って来た。

「旦那様、イライザ様がお見えになりました。」

「えっ、イライザ?」

突然の訪問に私は驚いた。
 思えば彼女の訪問はいつも突然にやって来る。
 悪役令嬢イライザ。
 彼女は乙女ゲーム『シンデレラ プリンセス』に出て来る登場人物の一人。
 気が強くプライドが高い孤高の令嬢。

『知っておきなさいっ、
  私の名前と貴族制度をね。』

が決めセリフの悪役令嬢だった。
 ブロード王子攻略の際には第一王子を取り合いバトルを繰り広げた仲だ。
 一度は悪事を追求され社交界を抹殺されたが、私と再会し何故か彼女の唇を奪った。
 その後は色々あり、今では男装王子ルプリの婚約者という事になっている。
 (そんな彼女が何の用?)
 私は妙な胸騒ぎがした。
 急いで男装し応接室へ向かう。

「あぁぁ、愛しの君。
 お会いできて幸せですわ。」

イライザはルプリの姿を見ると駆け寄り、手を重ねた。

「レディ、突然の訪問で驚きました。
 今日はどんな用件で?」

熱烈な愛の視線に戸惑いながらも手を振り解くとソファーへ座る。

「まぁ、つれないこと。
 婚約者が愛しの君に会いに来るのに理由など必要ですの?
 勿論、今日は結婚の日取りを決めに参りましたのよ。」

(え~っ、結婚の日取り?)
 明らかに困り顔の私を見てイライザはプッと吹き出した。

「嘘ですわ。
 ルプリ様を少し困らせてみたかっただけ。
 だってあれだけ私の心を弄んだお方ですもの。
 これくらいの意地悪はお許しになってくださいませ。
 だって私、かなり本気でルプリ様を愛していたのですから……。

初めまして『天音さくら』さん。

私は記者をしております『杏奈』と申します。
 今はカツラギコーポレーションさんの乙女ゲームのプレイ記事を書いています。
 事情は執事のカツラギさん……いや、葛城CEOから全て聞きました。
 いやぁ、正直、驚いたわ。
 まさか愛しの君が男装王子で、しかも私の大好きなリプルだったなんて……。」

「はぁ、どうも。」

私は混乱して曖昧な返事をした。
 そんな私とは対照的に杏奈さんは興奮気味に語り出す。

「いや~、興奮したわ。
 本当のコトを言うと、最初はこの仕事あんまり乗り気じゃなかったの。
 七年間付き合っていた彼と別れて、会社を辞めて、貯金も尽きて。
 お金目当てで、この仕事受けたんだけど。
 初めての乙女ゲームでドハマり。
 私っ、王子攻略そっちのけで、ずっとリプルを応援プレイしていたのよ。
 『正統ヒロイン リプル』
 貴女はどこかドジで愛くるしくて……。
 性格は天然で鈍感。
 今までは恋の一つもしたことなかったのに、ある日、突然超モテモテになって。
 そして、しばしば『っあ……』と言っては意味不明な行動に出たわ。
 その姿は子供が初めてのお使いに出る姿を見守る様だった。
 私に娘が居たらきっとこんな気持ちになるのだろうなって。
 ふふっ、まだ結婚もした事ないのにね。
 仕事一筋。
 周りからは怖いチーフと囁かれていた私にこんな母性があるなんてびっくりだわ。
 このまま貴女の幸せをって本気で願っていたのよ。 
 それなのに『隠しヒロイン カルゼ』が突然現れて……正直、頭にきちゃった。
 あの女ったら『全ての王子は私にひれ伏しなさい。』って感じで。
 色香と美貌でガンガン王子達を魅了していった。
 そんなカルゼが私のリプルちゃんの婚約者に手を出した。
 しかもカルゼは亡国のスパイだと言う黒い噂。
 私は取材の手を止めて何とかリプルちゃんを傷つけまいと暗躍したわ。
 私は第一王子の目を覚まさせようとせっせとスパイの証拠を集めていた。
 注意深く選択肢を吟味して少しずつカルゼの謎へ迫って行ったの。
 そしてとうとう彼女の秘密に辿り着こうとした矢先。
 『貴女は何者かに毒殺された。』
 ショックだったわ。
 仇を取りたくて周辺を嗅ぎまわっていたら、ルプリ様に唇を奪われて……。
 後は知っての通りね。」

そう言って杏奈さんはウインクして見せた。
 それから私達は色んな話をした。
 社会人二年目。
 永遠に続く残業地獄に取り込まれ私はぐうたらに堕ちたコト。
 学生時代の友達と疎遠になる度に私は乙女ゲームの世界へのめり込んで行ったコト。
 私の中で何かが切れて会社を辞めたコト。
 
 きっと同じ経験があるのだろう。
 杏奈さんはウンウンと頷くと頑張ったねと一緒に泣いてくれた。
 それから私は夢で出会った謎のイケメン王子シフォンのコトを全て話した。
 シフォンが実はAIで私がこの世界へ閉じ込められた原因だと聞いたコト。
 ある日、突然に姿が消えて、駆除システムによって消滅してしまったらしいコト。
 求婚舞踏会の深夜十二時までに誰かを選びエンディングを迎えなければ、私は死ぬコト。
 ……そして私は今でもシフォンの事が好きなコト。

「う~ん。
 好きな男と好かれる男。
 女にとってどっちが幸せなのか?
 永遠のテーマね。
 男と別れた私が言える事ではないんだけれど……。
 覚えておいて、男女において
 友情が恋愛に発展する事はあっても
 恋愛から友情に変わることは決してないわ。
 だから誰かを選べば、誰かは消える。
 私の別れた彼は、きっと私の過去を愛していたのね。
 私の未来には興味がなかったの。
 過去・未来・現在。
 求婚して来る王子達は貴女のいつを愛しているのかしら?」

そんな言葉を残して杏奈さんは屋敷を後にした。

「杏奈さんっ、
 こんなに気兼ねなく本音を話せた相手は初めてです。
 学生時代の友達でもこんなに本音は話せませんでした。」

そう言って頭を下げる私に杏奈さんは悪役令嬢の顔に戻り意地悪く言った。

「それはきっと友達ではなく知り合いね。
 居なくても困らないのが『知り合い』
 一緒に居て楽しいけれど、代わりが効くのが『友達』
 初対面でも本音で話せるのが『親友』よ。
 私は、さくらさんの『親友』になれたのかしら?
 もう二度と会う事はないでしょうけど。
 いつの日か偶然に出会ったらまた語り合いましょう。
 だって私は貴女の『親友』なのだから。」

そう言って杏奈さんは私を抱きしめて(頑張って)そう耳元で囁いた。

そして三日後、運命の王国求婚舞踏会が始まった。

第十七話 決断と旅立ち

パンッ、パン

開催を告げる花火がなった。
 『王国求婚舞踏会』
 それは盛大で華やかに行われていた。
 朝から我こそはと思う各国の王子達がリプルの前に列をなしては求婚を続けていた。
 その数は数百人。
 異国の王子や豪族の跡取り、はたまた顔や財力、才能に自信のある者。
 身分は問わず、問うのは彼女への想いだけと告知されるとその数は一気に膨れ上がった。
 顔ぶれの中には、当然に見知った顔も多く含まれている。
 
 まず最初に来たのは幼馴染のニットだった。
 小顔で銀髪のイケメン。
 私の事を昔から知っていて、ずっと一途に私を想い守って来てくれた。
 そのコロコロ変わる愛くるしい表情はまるで可愛いリスの様だった。
 ニットは私にとって気心の知れた可愛い弟のような存在だ。
 明らかに絶対的な好意を感じるその愛くるしい瞳は、いつも私に安らぎを与えてくれた。

「ニコレ フォン リプル。
 ずっと君の事が好きだった。
 ボクと結婚して下さいっ。」

ニットはそう告白すると静かに下がって行った。

そうこの『王国求婚舞踏会』にはルールがあった。
 一人の持ち時間は三分。
 希望者全ての告白を聞いた後に王子達が一列に並んで膝まづいてダンスへ誘う。
 その最後のセレモニーでリプルが意中の王子の手を取り名を呼ぶ決まりだった。
 だから王子達にしては気が気ではない。
 夜までの間、大丈夫だと自分を鼓舞し、もうダメだと悲嘆にくれる。
 また愛の告白も全員の前で行われる為、会場は愛と嫉妬で異様な雰囲気が渦巻いていた。

次に来たのは、兄のタフタだった。

ザワザワ

「おいっ、タフタ隊長だっ。」
「実の兄がどうしてここに?」

会場がどよめいた。

タフタはリプルの前で跪くとハッキリとした声で整然と告白をした。

「俺の気持ちは変わらない。
 お前のコトを妹以上に想っている。
 生涯をかけてお前を幸せにすると今ここで誓う。
 一緒に暮らそう。」

そう言うと背筋を伸ばし凛々しくその場を立ち去った。

終盤にはパイル宰相まで現れた。
 
 (えっ、パイル宰相がなぜ?)
 意外な人物の登場に私は少し驚いた。
 いつも気難しく、不機嫌で、てっきり私は嫌われていると思っていた。

「リプルっ、
 君の屋敷で行われた王国特命公爵就任パーティーを覚えているか?」

「えっ、ええ、勿論。」

「では、その時に私が君の左手の薬指へ指輪をはめた事も?」

「えっ、はい。覚えています。
 でもそれは指輪を返そうとした私を」

そこまで言うとパイルは途中で私の言葉を遮った。

「あの時から私の気持ちは変わらない。
 私の妻になって欲しい。
 もう他の者の瞳に君が映る事すら我慢がならない。」

「あっ、あの。
 一つだけお聞きしても……
 貴方はシフォンではないのですよね?」

「シフォン?
 聞いた事がない名前だ。
 すまない。」

そう言うとパイルはその場を立ち去った。

最後に来たのはフライス第二王子だった。
 王族の登場に会場が更に騒めいた。

ザワザワ

「おいっ、フライス第二王子だ。」
「おぉぉぉ」
「王族までもが求婚を求めるのか?」
「凄いなっ」

フライス第二王子は膝まづくと求愛を始めた。

「俺の気持ちは以前既に伝えたから知っているね。
 だが俺にはその資格はないのだろう。
 何故ならずっと君を騙していたのだから。
 初めまして、カツラギコーポレーションのプログラマの結希だ。
 葛城CEOの弟でもある。」

そう言うとフライス王子は、更に私に近づいて囁いた。

「そのまま立ち上がって、俺の肩に手をかけて動揺しないで聴いて。」

(えっ)
 私は言われるがままに立ち上がると、フライス王子の肩に手をかけた。

「おぉぉぉ」
「王族の肩に手をかけたぞ。」

周囲がどよめいた。

「兄さんが常に執事として張り付いていたから伝えられなかった。
 俺が死神と繋がっているとバレたら殺されるからね。
 よく聞いて、シフォンは生きている。
 兄さんに居場所がバレたのでパイルのアバターを捨てたんだ。
 だから今は別のアバターで君の側で見守っている。」

「えっ、本当ですか?
 シフォンは今どこに。」

そこまで言った瞬間に今まで告白して来た王子達が騒ぎだした。

「おいっ、近づき過ぎだ。」
「いくら王族だからってルール違反だ。」
「恋愛に王族も何もあるかっ、時間切れだ。
 早く下がれ。」

余りの騒ぎにカツラギが声をかける。
 仕方がなくフライスはそのまま下がって行った。

「えっ、フライス王子っ、ちょっと待って。」

追いかける私をルールだからと周囲がたしなめる。

終演。
 全ての王子達の告白が終わり、一同が並び膝まづいていた。
 周囲はリプルがどの王子の求婚を受けるのか興味深々で見つめていた。

以前なら迷わずに第一王子ブロード様を選んでエンディングを迎えていただろう。
 でも今は皆の愛に包まれて選ぶ事なんて出来なかった。
 ましてやシフォンが生きていると聴かされて、他を選べる訳がなかった。
 
 パパパパーン パパパパン

軽快な演奏と共にドラムロールが鳴り響く。
 周囲の期待と好奇な瞳が一斉に私に注がれる。

ドラムロールが鳴る中で、私はその場を逃げ出した。

ユーザIDが失効し私が死ぬまで後、二時間。
 時刻は夜の十時の事だった。

最終話 恋の行方

王国求婚舞踏会会場から逃げ出した私は、独り部屋にこもり震えていた。
 膝には飼い猫のトラオ君。
 私は必死に死の恐怖から逃れようと暖かい毛並みを整えていた。
 ユーザIDが失効し私が死ぬまで後、五分。
 時刻は夜の十一時五十五分を示していた。
 誰かを選んでエンディングを迎えれば死なずに元の世界へ帰れる筈だった。
 きっと誰を選んでも幸せなエンディングを迎えられたのだと思う。
 でもきっとどこかで見ているシフォンの前で他の男性の愛を受け入れたくはなかった。
 たとえそれで自分が死ぬ事になったとしても……。
 (死にたくないっ)
 フライス王子はシフォンは生きていると教えてくれた。
 シフォンを見つけ出して求愛のダンスの手を取れば、きっと元の世界に帰れるのだろう。
 でも、探し出すにはもう時間が無かった。

「シフォンっ、助けて。」

そう呟くと同時に時間が過ぎ、私は静かに息を引き取った。

(……んっ)
 頬に当たるヒンヤリとした感触で目が覚めた。
 甘いお菓子の香りが周囲に漂っている。
 気がつくと私は自分の部屋の床の上で目を覚ましていた。
 右手にはスマホを握りしめている。
 ノロノロと起き上がると、部屋の隅の鏡に自分の姿が映る。 
 ボサボサの髪に黒縁メガネ。
 そして、こじらせた服装の自分がそこには居た。
 (えっ、夢?)
 頭がぼーっとしていて、まるで長い夢を見ていたようだった。
 (……っ)
 何だか無性に悲しくなり、何故か私は、わんわんと泣き出した。

今までの出来事は全て夢だったのだ。

シフォンもニットもタフタ兄様も、みんなの愛に包まれた優しい世界も……全てが幻。
 結局残ったのは、無職のボサボサメガネのこじらせ女子。
 (結局、私は永久に孤独なんだ。)
 そう気づくと悲しくて、悲しくて、私は床に突っ伏して、わんわんと泣き続けた。

すると何かが涙で濡れた頬を優しく撫でた。

「ニャー」

(……っ?)

顔を上げると一匹の猫が腹を晒して毛づくろいを求めていた。

「えっ、トラオ君?」

美しい黄色の毛並みに少し小太りなフォルム。
 このむくむくな毛並みは間違いなく、あの世界で飼っていた飼い猫のトラオ君だった。

「何だっ、一緒に来ちゃったの?」

私は嬉しくて、嬉しくて、思わず抱き抱えて頬ずりした。

「みゃー」

トラオ君が甘えた声を出した。
 彼がこの声を出すのは、お腹が空いた合図だった。

「何かっ、食べる物っ。」

私は弾かれたように立ち上がると、急いで冷蔵庫のドアを開けた。

「えっ、何にもないじゃないっ。
 何でこんな物しか入ってないのよ。
 バカッ」

私は腹を立てて荒々しくドアを閉めた。
 取り敢えずお皿に牛乳を入れて、おずおずとトラオ君へ差し出した。
 直ぐにでも何か美味しい物を買いに出かけたかった。
 でも部屋を出た瞬間にトラオ君が居なくなる気がして怖くて動けなかった。

「缶詰とか何かあったかな?」

ガサガサと探していると、トラオ君が私のスマホを引っ搔いていた。

「あっ、こら、トラオ君。
 何してるのよ。
 画面が傷つくじゃないの?」

ピロロン

そう言って近づくとスマホが鳴り出し着信のマークが点滅した。
 尚も、じゃれつくトラオ君からスマホを取り上げると私はメッセージを開いた。
 表題には『採用のお知らせ』と書かれていた。

――『採用のお知らせ』
  天音 さくら様
  お元気でしょうか?
  カツラギコーポレーションのプログラマの結希です。
  貴女にはフライス第二王子と名乗った方が分かりやすいかな。
  お陰様で『シンデレラプリンセス』の原因不明のロックダウンは解除されました。
  色々ありましたが、予定通り来月正式リリースがされる予定です。
  今回、無事サービスが開始できるのも天音さくらさん、いやリプル嬢のお陰です。
  ありがとうございます。
  でも喜んでばかりは居られません。
  私達の快進撃はまだまだこれからなのですから。
 『ホントに恋する王子を創る』をコンセプトにSNSを中心にプロモーション。
  累計で三十二万いいね!を獲得しました。
  スマッシュヒットを飛ばした前作を更に改良し今回の目玉に複数同時プレイ制を導入。
  VR化も視野に入れての巨額投資。
  水面下で乙女ゲーム初の『ボーイズサイド』のプラグインを開発。
  現在、マッチングアプリ会社とのコラボ企画も進んでいます。
  今回の経験を元に各自予め用意されたヒロインの中から一人を選ぶ同時プレイモード。
  この男女混合にて恋愛を楽しむ乱戦モードでは悪女による友情援護。
  ヒロイン同士のバチバチの恋バトルも楽しめる予定です。
  また今まで実装されていなかった猫や犬の導入もしようと思っています。
  え~、話が長くなりましたが、何を言いたいかと言いますと……。

一緒に仕事しませんか?

やる事が多過ぎて人員が足りません。
  というか友人記者の杏奈(あっ悪役令嬢イライザです)にそそのかされて……。
  勝手にリプル嬢の履歴書を密造して会社に送りました。
  勿論、結果は合格です。
  皆に愛されて、周囲に配慮も出来る優しさがあり、時に行動は大胆。
  それでいて毒殺事件で見せた類まれなる記憶力の良さ。
  この会社の誰よりも優秀で、何よりも王子達を愛しています。
  そんな貴女が認められない訳がないじゃないですか。

一緒に仕事しませんか?

貴女は勝手に履歴書を送った事を怒っているのかもしれません。
  でも、貴女の親友と自負する杏奈は、親友だから平気と開き直っています。
  とにかく一度、王子達に会いに来てください。
  幼馴染のニットも、タフタ兄様も、生意気なパイル宰相も待っています。
  
  あっ、その際にはお手数ですがシフォンも連れて来て下さいね。
  今はトラオ君って名前でしたでしょうか?
  木を隠すには森の中。
  兄もまさか自分が毎日餌を用意している猫が死神だとは思わなかったでしょうね。
  この乙女ゲームに動物は登場しませんよ。
  開発者なら自明の事実です。
  CEOとしてしっかりしている様で、あれで抜けている所があるんです。
  責任感が強いだけで、兄も悪い人間ではありません。
  無礼を許してあげて下さい。
  
  それでは王子一同、お待ちしております。――

そうメッセージには書かれていた。
 驚いて私はトラオ君を見つめた。

「ねぇ、トラオ君はシフォンなの?」

「にゃ~」

トラオ君は自慢げに腹を晒すと、褒めてと言わんばかりに太い腹を揺すった。

心の中で何かが切れて会社を辞めた私。
 そんな私なんかが、ちゃんと仕事が出来るかどうか分からない。
 でも大切な王子達がいれば頑張れるかもと思った。
 それでもダメなら親友の悪役令嬢にまた愚痴を聞いて貰えばいい。
 だって私は誰もが愛する正統派ヒロインなのだから……。

「よしっ」

私は強く頷くと、人生の乙女ゲームへログインを始めた。

もし、言葉で心が軽くなったら…… サポートをお願い致します。