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ショートショート【そして届かぬ返信を】

 その日もまた青い郵便屋から、青い封筒が届いた。
 扉を開ければいつもと同じ彼が立っており、私にその封筒をそっと差し出す。私は唇から漏れる空気ほどの礼を呟くと、封筒を受け取り、玄関を閉めた。
 その封筒に書かれた差出人の名も、宛名も、同じ名前だ。青空を切り抜いた封筒の色とは対照的に、窓から覗ける空は鉛色に濁っていた。私はゆっくりと封筒を開けると、中から便箋を取り出す。そこにあるのは二年前に書かれ、今ようやく届いた手紙だった。



 こんにちは私、お元気ですか?
 一か月に一度のペースで、もう結構な数を送っている気がするけど、二年後の自分に向けて書く手紙というのは、やっぱり恥ずかしいものですね。
 でもまあこれを読んだ二年後の私が、懐かしいなあなんて思ってくれたらそれでいいです!
 それじゃあまた今回も、今月あったことなんかをつらつらと書いていこうと思います。
 まずトオルさんですが、トオルさんはいつもと変わらず家で本ばかり読んでいるばかりで、特に語ることはありません笑
 なのでもう私の話になりますが、正直私も今月は、特に書くことも無かったかなあって。
 まあ言えることとしたら今月も元気いっぱい幸せに過ごせたということです!これがいつまでも続いたらいいな。
 短い手紙になってしまいましたが、ではまた!
               二年前の私より



 私はその手紙を何度か読み終え、封筒の中に戻すと、それを箱の中にそっとしまう。ふとそれを数えれば、八、九、十を越え、封筒は全部で十一たまっていた。一月に一度届く手紙、私の記憶の限りでは、きっともう折り返しを過ぎた頃だろうと思う。
 未来に向けた手紙をしたため、青い郵便屋に渡せば、後はそれを指定の日時・場所に届けてくれる。簡単に言えばそんな話だった。
 一人きりになった生活は驚くほど平坦で、起伏の無いその時間はどこまでも続くようで、もはや停止しているようでもあった。そしてまた一か月が経ち、手紙は届いた。



 こんにちは私、お元気ですか?
 なんて、今回もいつもと変わらぬ書き出しです。けど今回のこれは願望みたいなものなのかもしれません。この手紙を受け取っている私が、ちゃんと元気ならいいなって。
 今日書くことは一つしかありません。
 丁度昨日、私は、病気だってことが分かりました。
 最近はあんまり体調が良くなくて、すぐに病院に行っておけばよかったかもしれないけど、こんなの放っておけばすぐに治るだろうとか思っちゃってて、さてそろそろ病院に行くかと思って行ったらそんなこと言われて。こんなことならちゃんともっと早く、行っておくべきだったな。
 正直色々混乱もしてて、お医者さんの説明もあまり覚えていません。けど不思議なもので余命という言葉だけは、ぽーんって感じで、耳の中に飛び込んできました。
 一年と、言われました。一年?一年ってなに?って感じです。実感なんてまだ、わいてない。一年って聞いても、悲しくもなんともなかったくらい。一年?一年?って、ずっとそんな感じです。
 けど昨日のトオルさんは凄かったな。私の横で、トオルさんってばお医者さんに掴みかかっちゃって、最後には大声出してね。あんなトオルさん、はじめて見た。
 ごめんもう書けそうにありません。ごめんね。
               二年前の私より



 私は息を吐いて手紙を閉じる。今回は二度目など、読めるわけが無かった。指先は震えていた。
 妻の余命が告げられた時のことは、今でも鮮明に覚えている。
 淡々と告げられていく妻の状態、そして未来は、とても信じたいものではなかった。気づけば私は医者に掴みかかっており、ふざけるなと叫んだ。きっとその言葉は、自分に向けた言葉だった。
 もっと早く、なぜ私は妻をここに連れてこなかったのだという思いは、あれから二年が経った今もなお、延々と私の中を駆け巡っている。
 病気が発覚したあの日の、丁度一年ほど前から書き続けられていた手紙は、この家へと届けられ続いている。
 だが妻が受け取れることは無かった。妻は告げられた余命とほとんど変わらず、今からおよそ丁度一年前、亡くなった。
 偶然の一致か、彼女が亡くなった直後から手紙は届き始めた。そこに書かれていた言葉は、まだ自分が一年後に余命を宣告され、そのさらに一年後に亡くなるなどとは、微塵も思っていやしない、希望や活力に満ちたものばかりだった。
 そんな手紙を一文字、また一文字と読んでいく度、これは私に対する拷問なのだと思った。本来の宛先を失った言葉達は私に突き刺さるばかりで、だが私はそれを読まないことなど、出来なかった。



 こんにちは私、お元気ですか?
 あれから一か月が経ち、まだ完全に整理など出来ませんが、なんとなく、自分の病気を、受け入れ始めることが出来るようになってきました。
 トオルさんもあれだけ夢中だった小説なんてもう読まずに、最近は難しそうな医学書?ばかりを、私が寝た後に読みまくってるみたい。
 後はこうして私に手紙を送るのも、これで最後にしたいと思います。やっぱりほら、届くのが二年後だから。なんで書いてるんだろうって、嫌でも思っちゃうから。
               二年前の私より



 やはり最後の手紙は届いた。短いその手紙を読み終え、顔を上げると、そこにあるのは孤独な部屋、それだけだった。この部屋を満たしていたはずの妻の気配や匂いも、みな私が上から塗り潰してしまうように乱し、妻がここにいたという事実も次第に薄くなっていく気がした。
 私と妻は余命の宣告を受け、残された時間を共に過ごすことに決めると、ひたすらに彼女が行きたい場所を訪れ、彼女がしたいことをしていくことにした。せめて限りある妻の時間の全てを、笑顔で埋め尽くそうと私は思った。旅先でもその旅路でも、妻のその表情を見れば私は安堵し、同じように私も笑った。皮肉なもので私と妻の結婚生活で最も幸福だったのは、その一年間だったのではないかと思う。だがその時間は水に溶けるように儚く、一瞬で過ぎ去っていくような時間だった。
 次第にやせ衰え、体力も無くなっていく妻から目を背けるように私は動いた。妻と共に居る痛みを殺すために、妻と共に出かけ、遊び、食べ、笑った。その日が終わり、妻の寝顔を横に見れば、このまま彼女が目を覚まさないのではないかと眠れなくなった。そして朝になり、眠たげな目をゆっくりと開く姿を見れば、その度に限りなく安堵した。
 最後の手紙を受け取ってから、私はほとんど眠ってばかりだった。眠り、目が覚めれば、また眠った。ろくに食事もとらず、仮にこのまま死んでしまっても、構わないと思った。
 そしてインターホンが鳴った。身体を無理矢理に起こし、玄関を開けてみると、そこに立っていたのはまた青い郵便屋だった。
 手渡される封筒の差出人には妻の名前があった。宛名は私だった。



 こんにちはトオルさん。お元気ですか?
 余命を告げられ早くも、二か月が経ちました。
 それで私から私に向けて書いていた、あの手紙のことですがあれはもう、先月で終わりにしてしまうことにしました。
 なので代わりにこれからは、トオルさんに向けて、書いていこうと思います。こっそりと。
 私がこんな手紙書いていること気づいてなかったでしょ?その位こっそりと、書いていきます。
 とにかくこれから、楽しみにしていてね。
            あなたの愛する妻より



 その手紙の文字は次第に滲んで、それは涙のせいだった。溢れ出す涙や鼻水に顔は覆われ、声にもならぬ声が止めようもなく漏れ出た。
 それからも妻からの手紙は届き続けた。一週間に一度、多い時には数日に一度届くこともあった。
 手紙を読めば、妻に会うことが出来るのだった。
 だが決して目を背けられないこと、それは、この手紙にもいつか終わりがあるということだった。

 手紙に書かれている内容が次第に終わりに近づくにつれ、私の心が、また痛みだすのが分かった。
 手紙が届き、それを開く度、もしかすればこれが、最後なのではと思う。そしてまた手紙が届くと安堵し、だが同じ痛みは私を襲う。



 こんにちはトオルさん。お元気ですか?
 きっとこの手紙が、最後になると思います。
 私がトオルさん、まずはこの一年間、本当に楽しかった。幸せだった。ありがとう。トオルさんと好きなだけ色んな場所に行けたし、美味しいものも食べて、それこそ数えきれないくらい話せた。不思議なもので、その時間はあっという間で、一瞬で、そしてそれは私にとって、かけがえのないものでした。
 何度だって言います。私はトオルさんの隣に居る時が一番楽しくて、幸せでした。トオルさんと出会えてからこの瞬間まで、私は幸せで幸せでたまりませんでした。ありがとう。
 それで最後に、トオルさん。もっとシャキッとしてください!こんな手紙を送り続けた私も悪いけど、きっと今頃トオルさんはクヨクヨしてばっかりいるんじゃないかなって。
 正直それはすごく嬉しいし、トオルさんの妻としてそれほど光栄なことも無い気がします。けどね、トオルさんにはこれからがあるから。私にとって最後の幸せはきっと、トオルさんの、これからの幸せだから。
 それじゃあまた!いつまでも元気で!愛してます。
         あなたの愛する愛する妻より 



 私はその手紙をゆっくりと閉じると、机へと向かい、ペンを手に取った。
 私は彼女に初めて返信を書き始めた。それもうんと長い返信を。
 初めは彼女に対する謝罪や後悔を、だけどすぐにそれは違うと気づいて、全部消して書き直した。妻に対する感謝を、ありったけの感謝を、私は書いた。いつまでもそれは止まらず、すぐに便箋はいっぱいになったが構わず書いた。時々字の上に水滴が落ちて、それを拭うとインクが伸びて、また新しい便箋に書き直す、そんなことを何度も繰り返した。
 流石に過去に手紙を届けられるわけがないことは分かっている。けれど、届いても届かなくても、書かなくてはいけないと、私はようやく気づいた。
 そしてその返信を書き終えることは、きっと無いだろう。



続いてはこちらをぜひ。

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