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ショートショート【魔法少女おばさん】

 胸を張って魔法少女と名乗れなくなったのは、いつからだっただろう。
 35歳になっていた私は、ようやく魔法少女を辞めた。

 私の無理を通す形で、私達家族は新しい町に引っ越した。
 一軒家を借りての新生活。夫の通勤時間は長くなり、息子に至っては小学校を転校させてしまった。友達付き合いがあまり上手くいっていないから転校はむしろ嬉しいと、飛び跳ねるように喜ぶ息子の姿を見て私は本当に申し訳なく思った。
 息子が友達と上手くいかなくなってしまったのは、きっと私のせいだったから。
 ステッキは結局捨てられなかった。万が一という便利な言葉を被せて、ひとまず押し入れの奥へと追いやったけど、夫はそれが良いと賛同さえしてくれたけど、家族への義理を通すのであれば私は迷わずそれをへし折ってしまうべきだった。

 チャイムが鳴って玄関に出ると、そこには隣のユキさんが立っており、その手にはビニール袋に入った野菜がぶら下げられていた。
「おすそ分け。農家やってる友達が、また送ってくれたの」
「いいんですか?すいませんいっつも」
「いいのいいの。助け合いさね、何事も」
 ユキさんは私達の隣の家に住むおばあちゃんだ。夫の秀さんには既に先立たれたらしく、今は一人で暮らしているらしい。
 時折こうして野菜や手料理などをおすそ分けしてくれ、慣れない町で知り合いもいなかった私にとって、それはとてもありがたいことだった。
 また、しばしば家に上がってもらっては、お茶を飲みながら話を聞いてもらっている。
「あら、魔法少女」
「え?」
 ユキさんが見ているのは私では無く、テレビの画面だった。そこに映し出されていたのは、昨日コンビニ強盗を捕まえたという魔法少女のニュースだった。
「こんなに可愛らしいのに、立派なもんさねえ」
 良く似合うピンク色のリボンに、大きく派手なスカートとそれを飾るフリル。だけどそんな煌びやかなコスチュームにも、彼女の顔や表情は決して負けておらず、むしろそれらは全部彼女自身を引き立てているように見える。アップで映し出される顔にはシミやシワなど一切として無く、老いという言葉など彼女は知りもしないようだった。
 きっと彼女の最大の武器はその手に握られたステッキでも魔法でも無い。若さという、宝石なんかよりもずっと貴重な淡い輝きだ。
 私が生まれた時から既に、魔法少女たちは町の治安を守るために一役買っていた。
 可愛らしいコスチュームを身に纏った少女たちは箒に乗って空を飛び回り、簡単な人助けからお手伝い、時には重大事件までをステッキから繰り出される魔法を使って解決してしまう。
 幼少期の女の子たちはみんな憧れた。だから私も魔法少女になった。なれた時は本当に嬉しかった。夢中になって、必死になって箒にまたがって、ステッキを振った。それでどれだけくたびれても構わなかった。助けられた人々が向けてくれる笑顔が、疲れも全部溶かしてくれた。
 けど私は完全に辞める時期を見失っていた。くすんでいく自分の肌の色と、目を刺すようなコスチュームの色がだんだん剥離していって、もう見るに堪えないものになっていることは分かっていたけど、魔法少女になったばかりの頃に味わった喜びや決意は、いつだって私の心の底にこびりついて離れてくれず、自分が35という歳になっていることに気づくまで、陰で魔法少女おばさんなんていう嘲笑を受けていることに気づくまで、それによって大切な息子が学校でいじめられ始めているということに気づくまで、私はステッキを手から離すことが出来なかった。

「ごめんね、今日も失敗しちゃった」
「いやいや、ちゃんと美味いよ。なあ?」
「うん、ママの料理美味しい」
 これまでは料理も魔法に頼ってばかりだったから、引っ越してから食卓に並ぶ私の手料理は、見るも無残なものばかりになってしまった。だけど二人はそれを文句も言わずに食べてくれ、さらには美味しいなんて優しいウソを私にくれる。それは勿論料理に限った話だけじゃなく、掃除も洗濯も、ありとあらゆる家事の全て。
 きちんと立派な主婦になれるまで、私のこの痛みはきっと取れないままだ。
 けどこれでいいのだ。これが絶対に正しい。
「ママ、今度ね、参観日だって」
「ほんとに?それは楽しみ」
「ママ来れる?」
「もちろん。絶対に行く。絶対」
「やった!」
 もう息子の参観日にも堂々と行くことが出来る。これでいい。私はまた自分にそう言い聞かせる。
「そんなに無理しなくていいからさ」
 息子が眠った後、二人きりになったリビングで夫はそう言ってくれる。
「全然無理なんてしてないよ。まだ色々迷惑はかけそうだけど、すぐにちゃんとするから」
「大変だったら少しくらい魔法使ってもいいんじゃない?家の中だったら誰も見てないしさ」
「それなんだけど、」
 その日私は決意していた。潰しておかなかったズルい逃げ道を、きちんと塞いでおかなくてはならないと。
「ステッキね、明日もう、処分してこようと思って」
 その日私は押入れの奥からステッキを取り出して、その両端を持って思いきり、へし折ろうと出来うる限りの力を込めた。だがステッキは折れなかった。まだ十代の頃から使い続けていた、もう随分と年季の入ったそれを。
 そうして私は気づいた。全てをこのステッキに頼りきりだったこの二十余年間。その歳月は私から、細く、脆く弱ったステッキをただへし折るだけの力すら、奪ってしまったのだと。

 ステッキをバッグの奥に潜ませ、私は買い物ついでにステッキの店を訪れることにした。魔法少女に溢れたこの世界では、町のどこかに必ずそんな店があって、魔法少女やその見習いに、それぞれの身体や性格に合ったステッキを売ってくれる。さらには売るだけでは無く、引退した魔法少女の不要になったステッキも引き取ってくれるのだった。
 駅の近くのスーパーを目指して歩く。ステッキの店にはその帰りに立ち寄るつもりだった。
 するとスーパーの少し手前の公園で、何やら騒ぎが起こっているようだった。公園の中に立つ背の高い木の周りに人が集まり、みなその木の上の方を見上げていた。中には上に向かい声を張り上げる者もいる。
「どうかしたんですか?」
 私はその中の一人に話しかけた。その人が指さす方を見てみると、木の上部には、風船を持った一人の子供がおり、必死に枝にしがみついている。それは今にも落ちてきそうで危なかった。
「風船を取るために登ったんだけど、降りられなくなっちゃったらしいのよ。それで今警察も呼んでるんだけど中々来なくて」
 どうやってそこまで登ったのかと思ってしまうほど、子供はかなり高い位置にいた。集まりの中にいた唯一の男性が何とか登ろうとしているものの、どうにも上手くいかない。さらには子供の母親らしき女性も、必死に子供に声をかけながら、今にも泣きだしそうな、堪らない表情に顔を歪めていた。
「魔法少女も探してるんだけど、見つからなくて」
 魔法少女達はその多くが学生でもあるため、こんな平日の昼間では見つからないだろう。
 少女なんて年齢をとうに過ぎた、魔法少女でもない限り。
 気づけばいつも、身体は勝手に動いている。頭の中は空っぽで、私はただその使い古したステッキを強く握ると、それを思い切り振り下ろす。目もくらむような光が一瞬だけ私を包み込むと、それが弾けた後、私の身体に纏われているのは馬鹿みたいにピンク色のコスチューム。そう言えばこの気に触るピンクもリボンもフリルも、今この瞬間だけは目に入らない。あるのはただ助けたい人だけだ。
 もう一度ステッキを振って、どこからともなく飛んできた箒に跨って一気に地面を蹴る。丁度その瞬間子供の手は枝から離れ、落下していくその小さな身体を、私はなんとか空中で受け止める。涙に溢れたその顔が、私の胸の中で震えていた。「よく頑張ったね」と、私はそっとその頭を撫でてやる。
 残念ながら落ちると同時に風船は子供の手から離れ、ゆっくりと空遠くへと上昇していってしまった。だがその瞬間、別の魔法少女が飛んできて見事にその風船を捕まえた。
 子供を母親のもとに返し、横からそっと風船を差し出すもう一人の魔法少女の顔を見、私は声を失った。
「……ユキさん?」
 私と同じピンク色のコスチュームに身を包んだその魔法少女は、隣に住むおばあちゃんのユキさんだった。
「たまたま通りかかったさね。助け合い助け合い」
 目を丸くする私に、ユキさんはそう言って微笑む。
「……ユキさんはどうして、まだそうやって、」
「亡くなったおじいちゃんがね、褒めてくれたのさね」
 ユキさんのコスチュームは私のよりももっと色褪せ、所々は擦り切れてさえいて、だけどユキさんはそれをむしろ誇るように着ていた。その桃色の衣装はもはや、シワだらけのユキさんに、よく似合っているようにも思えた。
 少なくともユキさんは堂々と笑っていた。何も気にせず。ただ堂々と美しく。

「あの、その、私の勝手な都合で、引っ越しまでして、散々迷惑かけて。本当に申し訳なくて。……けど、けど、私ね、」
「うん、分かったよ」
「……え?」
 全てを言い終わらぬまま夫はそう言い、さらには息子にも話しかける。
「なあ、ママが魔法少女でもいいよな」
「うん!魔法少女のママ大好き!」
 気づけば涙が溢れ出ていた。私はずっと、魔法少女でいたかったのだ。いや、それよりも、目の前で困る人達をただ、助けたかった。いつだって助けたかった。いい歳したおばさんがまだ縋り付いてだのなんだのと、心無い嘲笑や視線をどれだけ浴びたとしても、目の前の人々はいつだって私の全てを溶かしてくれる。それは変わらなかったから。
「ごめんね、ごめんね、」
「覚えてる?一番初めは俺も、君に助けられた」
「うん、覚えてる」
「俺は魔法少女の君がさ、大好きなんだから」
「うん!僕も僕も!」
 涙は止まらなかった。だけど私は久しぶりに、胸を張れる気がした。



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