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11/6 浅薄愚劣 センパクグレツ

今日はまたなんとも衝撃力のある言葉と出会った。

先日「お前は浅薄い」とアッコから言われたことがきっかけで”浅薄”ブームがきていたのだが、なんと四字熟語が存在していただなんて。

浅薄愚劣とは、考えが軽薄で、知識が浅く、愚かなこと。「浅薄」は考えが浅はかで、知識がないこと。「愚劣」はばかばかしいこと。

現代社会において、日常なかなか人に向かっていうことでもないだろうけど、己の思慮浅さを表現するのに、あまりにぴったりきてもはや笑えてくる。
あっこから軽快にディスられることにも随分慣れたものだと感慨深い。

今日は弊社のオンラインサロン”開闢”の開催日だった。自分のような思慮浅さを持った参加者ももれなくその称号が与えられていたのだが、大事なのは、そういうことを人に言っていいとか悪いとかそういうことではなく、自分のもっている理想と、それと比較した今の自分とをはっきりさせ、そのギャップに課題を見出すことだ。

自分の浅薄さは、共感力や思考力、分析力の欠如からきている。
よく人の立場でものを考えなさいとか
なぜ自分がその選択をするに至ったのかその動機を問いなさいとか
言われるが、生粋の面倒くさがり兼、生来頑固な自分はそのトレーニングを積んでこなかった。

やりたいからやっているのだろう。
え、好きだから。
うーん、やってみよって思ったから。

という答えになる。
間違ってはいない。
ただ、浅くて薄いというだけなのだ。

その自分で満足しているなら、それでOK。
ただ、死ぬときにもう少し深みと厚みのある人間になりたかったなと後悔しそうだったら、今変わるときなのかもしれない。

己の深みを増すために、できることはたくさんあるだろうが、
今日学んだのは、”相手に関心をもつ”ということだ。

始めに言われたときは、何をどうすることなのかさっぱりだったが、会の終わりには、”相手の成長に影響を与える”ということなのだという理解を得た。

そのためには、相手の状況やものの見方、美点、欠点、欲求など、様々なことを知ることが必要だ。
そして、それを観察するためにはまずは自身のそれらについて、関心をもち、自らの成長を促していく必要がある。

途方もないように感じるが、人生一筋縄ではいかないし、だから面白いのだろう。

僕も今月でこの会社に勤めてどうやら5年が経ったらしい。

ゆっくりと醸成されてきたものが、今の自分の糧となっている。
おもしろいと感じるのは、いつになっても完成することがないということだ。いつか死ぬが、それも別に完成ではない。
未完の完という言葉がふさわしいのかわからないが、永遠に終わらないこの人生、瞬間瞬間の幸せを味わいながら、たくさんの経験をしていきたいものだ。

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