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だれかが走り出すのを待つのはもうやめだ

 僕にとって「伴走」という言葉はとても大事なものです。
 これはnoteでも何度か書いてきました。

 マラソンのタイムキーパーのように、一緒に走る。だけど、最後はランナーを送り出す。
 コーチのように安全なところから声をかけるのではなく、沿道から無責任に応援するのでもなく、共に走っていくことが大事なのです。

 けれど、最後にゴールを目指すのはあなただから、あなたが止まるなら僕も止まりましょう。あなたが危険するのなら僕も棄権をしましょう。そんな姿勢でいました。

 つまり、僕はだれかが走り出すまでずっと待っていました。だれも走り出さないのであれば、僕も足を止めたままです。

 ただ、今日対話をしていて、疑問に思いました。
 今までの自分の姿勢でいいのだろうか?

 わかる人はわかってくれたけれど、それはごく少数でした。そんなに少なくていいのだろうか?

 伴走を必要としている人に、「あなたが走り出せば、僕も伴走します」なんて失礼じゃないか。はたして、そんな無責任な言葉が相手に響くだろうか?

 他者を待っている場合じゃない。まずはお前が走り出せ。そして、一緒に走ろうと手を招くのだ。熱をぶつけ、その熱で相手を動かす。必要であれば、勢いがつくまで背中を押し、やれると体験させるのだ。

 だれかが走り出すのを待つのはもうやめだ。

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