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尋ねても答えてもらえない体験

質問の仕方ってとても大事で、それはAIが一気に広がった今、より強く感じています。 AIに要望や質問をしても、自分の狙い通りの返答が得られないことがしばしばあります。けれど、自分のできなかったことを同じツールを使って実現している人がいて、それは言語化と質問力の違いなのだと思い知らされました。

ただ、違和感を覚えたことがありました。ネットで個人同士で揉めている投稿をたまたま見かけました。

質問者が不躾な質問の仕方をして、知識ある回答者が怒っていたのでした。 無償で親切に回答してくれた人に「納得できない。エビデンスは?」などと聞いていたのでした。

僕はその質問者の振る舞いを見て、AIとのやりとりを思い出しました。

AIは、回答があっているかはさておき、尋ねれば何度でも答えてくれます。それに甘えて、使っていくうちに最小限、最短の言葉で済ませるようになっていく体験を僕自身したことがあります。

しかし、人間にAIと同じことをすれば、悟りを開いたような人でない限り、不興や怒りを買います。

そこまで考えて、「聞いても答えてもらえない体験」を存分に味わっておくことの重要性に気づきました。

これから生まれてくる子ども達は、AIと共に生きていくことになるでしょう。知りたいことはなんでも答えてもらえます。

けれど、答えてもらえることは決して当たり前ではないです。答えてもらえるありがたさを知るためには、答えてもらえない体験も必要です。

ただ、どうやって人生に組み込んでいくのかはわかりませんが、ちゃんと答えを得られない体験をできるような環境作りができるといいなと思います。

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