答えは見てはいけないよ
解答を見ながららくだメソッドのプリントの問題を解く、という経験を初めてした。
なんだかとてつもない罪悪感に襲われて、「答えは見てはいけない」という固定概念を自分の中に発見した。
僕がその思い込みを植えつけられたのは、学校というよりも塾だったと思う。中学受験のための勉強をしていた時に、塾でひたすらに問題を解かせられた。
あまりにも問題の量が多くて、僕の頭では追いつけなかった。けれど、やっていかなければ怒られるので、ある時解答を見ながらやった。
しかし、算数の問題で途中式を書いていなかったことが原因でバレた。
猛烈に怒られた。やっていかなくても怒られる。解答を見ても怒られる。なにをしても怒られるので、追い詰められていた。その時の恐怖が僕の思い込みを形成していたのだろう。
だけど、今になって思うのは別に答えを見たってなんの問題もない。
実際、多くの職場で採用されているマニュアルは誰かが考えた答えであって、それを真似した方が早い。
誰かの見つけた答えを知って、その先に行くこと。そうやって人間の社会も発展してきたはずだ。だから、答えを見ること自体は構わない。
おそらく問題になるのは、そこから発展していかないこと。つまり、ただのマニュアル人間になってしまうことだ。
その問題を解ける能力をつけるのではなくて、その解き方(プロセス)を流用できるかが大事なのだ。
自分の中でそれが整理できたことで、今日はとてもスッキリしている。
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