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たゆたうルール

 身の回りにはたくさんのルールが張り巡らされている。僕達を優しく包み込んでくれるものがある一方で、有刺鉄線のように抜け出そうとすると、牙を向くものもあります。
 時折、ルールというものが息苦しく感じられることがあります。

 今日、子ども達が遊んでいる風景を見ていて、凄いものと出会いました。
 大人は本当に子どもから学ぶことは多いと思います。

子どものルールの作り方

 子どもというのは、とにかく身体を動かすのが好きです。

 数人集まると、大抵走り回っています。
 僕は小学生達と関わる機会があるのですが、3人くらいの男の子が早めにやってきたら、いつの間にか追いかけっこが始まりました。

 1人の子(A君)が「タッチ!」と言って、別の子(B君)をタッチすると逃げ始めます。
 そしてタッチされた子は別のC君に向かってタッチして離れて行きます。

 これ、なんでもないことのように思えるんですが、凄いことですね。
 だって、「遊ぼうぜ。鬼ごっこしよう」なんて誰も、一言も、口にしていないのです。けれど、示し合わせることもなく鬼ごっこらしきものが始まりました。

 子どもは遊びの天才だと言いますが、まさにその通りです。
 そして、ここからがさらに面白かったです。

 しばらくその3人で鬼ごっこを続けていたら、ある時にA君がB君にタッチしたらすぐさまA君にタッチし返したのです。
 すると「A→B」「B→A」と2人の間でタッチが繰り返されることになります。

 しかし、それじゃ身体を動かせないので、子ども達にとっては面白くありません。
 そこでA君が「じゃあ、俺3秒数えるわ!」と言います。その瞬間、「3秒間はタッチしてはいけないルール」が生まれました。それをB,C君も守っていました。

 そうして続けているとだんだん白熱してきて、本気モードになってきます。捕まりたくないB君が逃げながら僕達がいた空間から外に出て逃げて行ってしまいました。

「じゃあ、ここから出たら鬼ね!」

 また1つルールが生まれて、3人はもちろん、後からやってきた子どもたちもそれを守りながら遊んでいました。

ルールは生まれ、移り変わればいい

 僕はこの遊びの風景を眺めていて、感動すら覚えていました。
 こんなにも簡単にルールが生まれて、変化していくにも関わらず、当たり前のようにみんな受け入れている。

 ルールってお互いが気持ちよく過ごせるようなものだと、誰も反対しないし、当事者達は当たり前のように守るんですよね。

 じゃあ、なんで世の中には息苦しくなるようなルールがたくさんあるのだろう?

 それは先にいた人間によって勝手に決められたもので、後からやってきた人は必要性もわからないままに「守れ!」と強制されるからだなと思いました。

「ルールを守る」ことが目的となってしまい、いまそこにいる人のことが考えられておらず、またそれを変えることは許されません。

 子どもを見ていると、ルールはどんどん変わっていきます。最初からいた子も後から入ってきた子も関係なく変えていく。そして、増えたり減ったりと自由自在です。

 問題が起こってもいないのに、どこもかしこも予防線だらけでは身動きが取れなくて当たり前ですよね。
 取り返しのつかないことも世の中にはあるので、最低限のものは必要ですが、問題が起こる余地を残しておくくらいに留めて、なにかが起こったらそれに応じて変えていけばいいのだと僕は思います。

 

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