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ゴールテープを切った後で・・・・・・

「らくだメソッド」という、算数プリントをやっています。1日1枚のプリントをやるという簡単なようで難しいものに取り組み、その中で感じたこと、考えたことを3ヶ月ごとに振り返る試みをしています。
 これはその2年9ヶ月の振り返りです。

波に翻弄される

 1つのことを続けていると少なからず、波がある。
 好調な時もあれば、不調もある。ただ、そうした波に左右されず、やり続けるためにらくだメソッドをやっているという意味合いもある。

 今の僕は、ただただおざなりだ。

 これまで続けていて、こんなにもダラダラとやっていることはない。
 いっそ「できない」「やりたくない」という気持ちであればよい。

 けれど、そういうことも曖昧なまま、やらずに終わる日が続いている。
 頭の片隅で「らくだメソッドやっていないな」ということをぼんやりと思い、心のつぶやきを聞いたまま寝てしまう。

 気が向いたらやり、気が向かなければやらない。
 中途半端で、気持ち悪い状態のはずなのに、抵抗を感じていない。

 今年の目標だった150日連続は達成した。けれど、152日目で連続記録はあっさり途切れた。
 自分で用意したゴールテープを切った後もなお走り続ける意義を自分の中に見出せなかった。そして、甘美な達成感の後にやってくる虚しさに今も閉じ込められている。

 正直、週に1、2回やって「やっている感」だけを出している。難しいプリントに当たっていることもあるかもしれない。けれど、それは言い訳にはならない。今までだって詰まったことはなんどもあったが、その時は続けられた。ただ、だるさを感じているのだ。

「なんでやるのか?」を考え始めている。
 つまり、意味が見出せなければ動き出せなくなっている。それは頭でっかちになっている証拠でもある。
 まず身体を動かし、そこから発見するものから改善をしていく。そんな発想が欠けている。

 結局、頭で結論できたとしても、身体は動かない。
 だから、ひたすらに待っている。
 またできるようになることを。
 向き合うでもなく、逃げるでもなく、じっと待ち続けている。

 らくだメソッドを辞めてしまうことは簡単だ。けれど、簡単であることを理由に物事に臨むようになると、なにもできなくなる。
 それは冒頭にも述べた通り、波があるからだ。
 簡単であることが難しく感じるタイミングに必ず出会う。そういう時の対処法が逃げるしかないのは、脆い。
 逃げるのが悪いのではなく、1つしかなければそれが通用しない時に立ち行かなくなる。

 時に立ち向かい、受け流し、包み込んだりと手段をたくさん持つほど柔軟だ。

 最近、心を揺さぶられる機会が多い。
 もしかしたらそれは、今日までの自分の中にはない選択肢を獲得しようとしているからかもしれない。
 いつの間にか固まって身動きが取りづらくなっていた状態から、必死に変化をつけようとしている。ただ、人間は変化を嫌う生き物だから、不安や恐怖を生み出して、僕の身体はそこに留まろうとしている
 
 つまり、僕は今動こうとしているのだ。
 これまで動かずにいたものを、どうにかして動かそうとしている。

 その中でもとりわけ、自分の臆病さに直面する機会が多い。
 決断しきれなくて、踏み出そうとあげた足が、おろす場所を見失ったまま空中を彷徨っている。
 裏にある、過剰な自意識をどうにかしなければならない。それとようやく向き合う時がきたのかもしれない。

まとめ

 最後に記録の中から1つだけ挙げておこうと思う。

7/26 高-93(15分)13:01②※
昨日わかった気がすると思っていた問題が全然わかっていなかった。だから、解けない。わかったつもりほどいい加減なものはない。だからこそ、確認をすることが大事。それが最近おろそかになっていた気がする。

 自分の中の驕りが気になって仕方がない。
 経験を重ねていくことで、奇妙な自信がついた。
 それが原因で、1つ1つの物事、人に対して丁寧に接することができなくなっているのではないかと思っている。
 忙しさを理由にすることはできるけれど、忙しくしているのは自分自身で、結局のところ自己管理の問題だ。

 “5月に入ってから、プリントを朝やらない日も増えた。昼や夜にやることもある。それでも続けられている。
 あってもなくてもいい。それはとてもあやふやなようで、固着せず揺れ動きながら絶妙なバランスを取っていくことであり、それが「いま、ここ」であるのかもしれない。
 確かなことはなにもないから、言い切ることはできないけれど。

 3ヶ月前の振り返りでこんなことを書いていた。
 けれど、この通り、僕はできなくなってしまった。「あってもなくてもいい。なら、なくていいじゃないか」と一旦気持ちは振り切れてしまった。

 さて、僕はこれからどうしよう?

 今一度立ち返ってみるのか、それとも全く別の方向に舵を切るのか、それが問われている気がする。

 いや、今回に限らず、生きているといつだって自分や他者、世界から問われ続けていくことになるのだろう。その自覚があるかないかだけだ。

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