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削る痛み

 削ることが苦手だ。
 10代の頃、食べ物はいつも大盛りだった。物はなかなか捨てられない。言葉もたくさん出てくる。

 とにかくたくさんあればあるほどいい。そうやって生きてきたせいで、減らすことに対して抵抗を覚える。

 けれど、実際のところたくさんあればいいわけではない。今、宣伝用の文章を書いていて痛感している。自分の意図をなるべく詳細に伝えたくて、言葉がアメーバのように増えていく。その結果、文量が増えて主旨がわからなくなってしまった。人に読んでもらった結果、自分が危惧していたことを指摘された。
 結局、ここではなにが言いたいの? そう自問して、泣く泣く削る。この作業に、とても息苦しさを覚えるのが不思議だった。

 削る作業によって自分の意図が明確になるならば、それは歓迎すべきではないだろうか? それが苦しくなってしまうのは、もしかしたら自分の本心を知りたくないのかもしれない。それはドキッとする気づきであり、チクリと胸が痛む。

 けれど、ひとまずこの痛みを抱えながら、読む人を信じて、誤解を恐れずに差し出してみようと思う。それでフィードバックが返ってくるだろうから。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。