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感じることに正直に

リフレーミングに代表されるような、言動の捉え方を変えるって人間関係を円滑にする上ではとても役立ちます。
けれど、それを生の感情に対してやってしまうと、自分の感覚が狂ってしまうかもしれません。

ある集まりの会合があって、3ヶ月前からその段取りを任せている子がいました。メンバーに対しての進捗の報告もほとんどなく、前々日になって慌てたように連絡をしていました。
わりと内輪な会だったので、これも経験だと思って僕は介入しないようにしていたのですが、最後の方は流石に口出ししかけていました。
なんとか事なきを得たのですが、ハラハラしていました。

ただ、後で考えた時にこれはハラハラではなかっと思いました。
僕は間違いなく苛立ちを感じていました。何度もその子に連絡をしようとメッセージを開いていました。
けれど、苛立ってはいけないと自分に言い聞かせ続けた結果、「ハラハラした」と自分を偽っていました。

こういうこと、結構あるんじゃないでしょうか?
自分を戒めるあまり、自らが感じていることさえも捻じ曲げてしまう。

苛立ちの感情は自分の中に生まれてしまった以上は、誤魔化してもしかないです。それをどうして自分が感じるのか、その背景や理由を考えることは今後に繋がるでしょうし、相手の伝える時の助けにもなるでしょう。

けれど、もし自分が苛立ちを感じていないことになってしまったら、生の感情が間違っているのに、その捉え方を変えたとしても焦点がずれてしまいます。

だから、自分がなにを考えなにを感じているのか、そのことに対して正直であることで、自己理解はもちろん他者との関係も深まっていくのだと思います。

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