優しさは、そっと押しつけるもの
「どうしたら優しい人になれますか? わたしは人を傷つけたくないんです」
少し前にそんなことを言った人がいて、その質問に対して僕はなにか答えたと思うのだけど、自分でまったく納得できていなくて、そのもやもや感だけが胸の内で燻っていた。
今日読書をしていたらふとつながるものがあった。
きっと優しさは押しつけるものであって、優しくなるものじゃないんだ。
相手が求める優しさを提供することができるか?
優しさというのは相手によって、またその時と場合によって変わるものだ。
悲しみに暮れている人を慰めるのが優しさである時もあれば、なにもせず放っておいてあげることが優しさである時もある。
僕が優しさだと思ってすることを、相手が優しさだと捉えてくれるとは限らない。そして、推測することはできても、確証を持って「この人は慰めて欲しいのだ!」と言えるケースはまずない。
傷つけないのが優しさじゃない
だから、自分がすることを優しさだと信じて行うしかない。
それがたとえ相手を傷つけることになったとしてもだ。
優しくすることと傷つけないことは一緒じゃない。そこを混同してしまうから、おかしなことになるのかもしれない。優しい人がいたとしても、その人だって傷つけることもある。
相手が傷ついたのを知り「しまった!」と思って、初めて自分の行動を修正する機会に恵まれるのだ。
「相手が迷惑がるかもしれない」と勝手に思い込んで、伸ばした手を引っ込めれば、それを確かめる術もない。
胸の内で芽生えた優しさは行き場をなくしたまま、鬱積して身体の中で腐っていく。枯れていくだけならまだ害はないけれど、腐ってしまったら余計な虫がたかってくるのだ。
優しさは、そっと押しつける
”自分が優しさだと思うことを、ある程度の線をひきながら素直にする、それがいちばんです。自分がお礼を言われたり、気分よくなることは期待しないで、できる範囲で。”
『Q人生って?』(よしもとばなな)P17
だから、優しさは軽く押しつけるくらいでちょうどいい。
そうしたら、相手も受け入れるか突っぱねるか反応しやすい。
どっちつかずのまま、視界に入る位置に置かれている優しさの方が受け取っていいのか無視していいのかわからない。
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