とりあえずは、さようなら
今日で730日連続更新である。これまで「毎日更新する」と決めていた。それも今日で一旦おしまいだ。
ここでもいったが、これはあくまでも自分の心の中の決断なので、なにしれぬ顔で明日も更新するかもしれない。しかし、ここから先はサポートの終了したOSみたいなもので、いつ途切れるかもわからない状態だ。
そもそもお役立ち記事を書くわけでもないnoteの更新を、どれだけの人が望んでいるのかわからないが、宣言をしておくことは大事だと思っている。
ドロドロしたなにかを溜め込む
書くネタがなくなって長い時間が経つ。しかし、ここ数日は書きたいことがたくさん出てくるのだから不思議だ。望むと手に入らず、望みを捨てれば寄ってくる。なんだかなぁと思いながらも、このままならなさが面白いのかもしれない。
夢や目標を持てと人は言う。それは同意する。
ただ、夢を持ったところで、「さて、具体的にこれからどうしようか?」となるのだ。とても遠くにあるそれを眺めているだけでは満足できないだろう。だから、その理想を眺めながらも、とにかく毎日少しでもいいから手や身体を動かして、続けられるものを探して行う。
そのための毎日更新だった、と終えた今思う。
以前にも書いたが、この毎日更新が一体なにに繋がっているのかと言われると「わからない」としか言いようがない。けれど、なにかに繋げることはできる。
教科書や問題集が用意されていて、対策法が確立されているのは、スタート地点までだ。
頑張ってなにがしかの資格を取ってみたところで、いざ本番が始まれば、例外だらけなのだ。イレギュラーが起こった瞬間、使える資源は自分の中にあるものだけで、その時活躍するのが昔取った杵柄だ。
幸いにも、現実の空間と違って、僕達の身体はごちゃごちゃした経験と知恵を嵩張らずに持っておける。だから、ドロドロして形にならない可能性を淡々と増やしていく。それを悪戦苦闘しながら形にしていくのだろう。
言葉にならなくても、言葉にして。でも……
自分の考えていることを言語に落とし込むのは難しい。今になって改めて思う。
言葉を発したり、文章を書いてみたり、言語に変換しようと試みて、初めてその壁にぶつかる。慣れ親しんでいるはずの思考が、言葉にするとうなぎのようにすっぽ抜けてしまう。だらだらと説明だけが長くなり、なにを言いたいのかわからなくなってしまう。
いわゆる格言はすごいのだ。端的に、最も大事な部分を突いてくる。その力強さに魅了されて、自分の言葉が出てこない人が飛びついているのを、ちらほら見かける。
単純に言葉を紹介したいだけならいい。けれど、引用して「確かに」「私の言いたかったこと」と添えるのは、きっとなにか発したいことがあるのだろう。
ならば、拙くても、まとまってなくても、言葉にならなくてもいいから、言葉にしてみてほしい。
だれかの言葉を借りてもいいから、自分なりの言葉を付け加えて補足したり、体験談を書き加えてみるのだ。その行動を繰り返さなければ、他人の言葉を借りるだけでいつまでたっても自分の言葉は浮かんでこないだろう。
ただ、自分の考えを言葉にする行為と、自分の思想を肯定されたい気持ちは分けた方がいいかもしれない。他者からの承認はとても甘美で、その味が癖になってしまう。「スキ」や「イイネ」をもらうために、人間は平気で嘘をつけてしまう。承認されることが目的になってしまうと、本心は脇に追いやられていく。すると、ますます自分の言葉は出てこなくなる。
もし自分で承認欲求と切り離せないならば、自分の思考を言葉にしても、SNSやブログで安易に公開しない方がいいかもしれない。なにもしないよりも、悪い結果をもたらすかもしれないから。
なにはともあれ、さようなら
バズることもなく、炎上することもなく、淡々と過ぎ去った2年だった。感慨らしきものは特にない。
夏服を冬服に変える程度の違いで、服を着ること自体は今後も続くのだ。僕は明日もなにかを書いているだろう。それを公開するか否かの違いだ。
とはいえ、僕の旅路は、一旦ここで打ち止めだ。それでは、いつになるかわからない、次の更新までごきげんよう。
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