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「いいね」よりも「違う」を尊重したい

 仲間同士で「いいじゃん」「凄い!」と言い合っている人達がいて、僕は傍からそれを聞いていて、息が詰まるような感じがした。
 それはなぜだろう、賞賛している人達の声の調子と表情が一致していなかったからだろうか? それとも、その先の言葉が続かないからだろうか? あるいは、スマホを見ながらそれを口にしていたからだろうか?

 押し寄せる「いいね」の津波が、「違うと思う」を飲み込んでしまっていたからかもしれない。話の流れがスムーズであることが善であり、少しでも勢いを削ぐような防波堤となる言葉を発するのは悪だった。

 だけど、僕はその「違う」と思うことを尊重したいのだ。そこに個性やその人のこだわりがあると思うから。その中に、自分の発見や気づきがあり、変容のきっかけになるから。
 いつも「私も同じ」では、予定調和の繰り返しで停滞してしまう。

 無責任な承認は批判されないけれど、無責任な反対意見は叩かれる。「違う」と口にするにはその時点で覚悟がいる。だから、自信がなくて、吹けば折れてしまいそうなほど脆かったとしても、その口にしてくれた「違う」を拾い上げたい。

 ただ、その行為は決して楽なものではない。

「本当の多様性って苦しいよ」
 以前ある人がそう言っていたのが印象に残っている。
 だって、自分と全く趣味も考え方の合わない人も認めないといけないんだから。悪意の有無はともかく、逐一自分と真逆のことを言う人を果たしてあなたは受け入れられるでしょうか?

 そんな人が目の前に現れた時に、僕は完全に受け入れられるか自信がない。
 けれどもそれに努めるつもりではいる。


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