見えない不満が先鋭化
ネット上を見ていると、どんどん意見が先鋭化かつ攻撃的になっていく人がしばしばいる。
最初は自分なりの意見を表明しながらも、価値観の外側の世界も認めていた人が、やがて敵と味方に線引きして、相手から責められたわけでもないのに噛みついていく。
どうしてそれが起こってしまうのか不思議だったが、1つの仮説が浮かび上がってきた。
1つの理由として、強い言葉の方が読まれやすいというのはあるだろう。曖昧な言い回しよりも、断言してしまった方がわかりやすく、また同じ考えを持っている人が同調しやすい。すると、回数を重ねるごとに、支持も得られるし、より強い語調が増えていく。
ただ、それだけではないと思う。なぜなら攻撃的である必要はないからだ。
塩ラーメン好きが集まったとしても、醤油ラーメンを貶す話にはならない。対比はしても、「だから塩ラーメンが好きなのだ」という方向に傾いていく。
しかし、なぜか先鋭的になっていく人は「醤油ラーメンはダメだ!」というニュアンスの発言を始める。これはおそらく、自分とは真逆の人に出会うからじゃないかと思う。
もちろんその多くは、意見の交換で収まる。なるほど、あなたはそういう考えなのか、と。しかし、ほんの僅かに攻撃的な人が現れる。すると嫌な記憶が残る。
バズったりすれば、いくら変な人の割合が少なかったとしても、その絶対数は増える。それが重ねられていくと、話の通じる大多数には目がいかなくなり、 大嫌いな一部ばかりが目につくようになる。
憎い相手は、なぜか醤油ラーメン好きばかり。だから、その人々を敵として攻撃し始めてしまうのではないだろうか。そして、今まで対話できた相手すらも敵に回ってしまう。
しかも面倒なやりとりをしているのは本人だけなので、周囲の人からその苦労は理解されづらい。だから、外から見ていると、だんだん過激になっていくように見えてしまうのだろう。
相当な自制心がないと、その呪縛から逃れられないだろう。だから、ネット上の発言には注意する必要がある。そんなことを思う今日この頃。
ちなみに僕はラーメンを愛しているので、醤油ラーメンも好きです。
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