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ありあまっても、そのままで

 時折、自分の思うことと実体が逆転している。体感を誤解している場合があって、もっと身体の声をしっかり聞きたいと思い直す。

 朝から雨で一向に止む気配がない。
 また今日も走りに行けない。そう思うと、鬱々とした気分になる。でも、それは意欲が減退しているのではなくて、むしろエネルギーが有り余っているのだ。発散したくても発散できない。そのエネルギーが体内で暴れまわって、消耗している。

 なぜそう感じたのかといえば、先日、集まって話していた時も感じたのだ。
 久々の集まりで調整できなかったのもあって、僕はやたらと喋って疲れてしまった。いや、「疲れた」と錯覚してしまった。しかし、その後に最初よりも元気が湧いてきた。つまり話す元気がなかったのじゃなくて、話したい欲が強すぎて、詰まっていたのだ。それが解放されて楽になった。

 走っていても同じことがある。5kmくらい走った後は通常疲れるものだが、自分のコンディションと走り方がマッチしていると、より頭が働いて、身体も元気になる。でも、「運動したら疲れるものだ」という先入観が混じり合って、変な感覚になる。

 感覚としては、ちゃんと機能しているのだが、それを処理する時にノイズが混じっている。視力が悪くなって、見えているはずなのにぼやけているのに似ている。

 もやもやとしたその感覚を、いかにありのまま受け取れるか。そして、その感覚の赴くままに任せて動けるかを大事にしていきたい。

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