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みんなの中のわたし

当事者意識って、常に意識しておかないと薄れてしまいます。

「みんな」と口にする時、ほとんどの場合自分は含まれていません。それは「社会」や「うちの会社」と主語を変えても一緒です。平然と非難できるのは、そこに「自分は違う」という気持ちが隠れているからでしょう。

今週はマスクに関する話題が結構あって、「みんなが外すまではもうしばらくつけます」という台詞を何度も見ました。

選択そのものは好きにすれば良いのだけど、自分が「みんな」の中になぜ含まれてないのかは疑問でなりません。

自分がこの社会や地域を作っている一員である。だから、居心地の悪い雰囲気をもし感じるのだとしたら、その一端は確実に自分が担っている。そのことを忘れないようにしたいものです。

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