見出し画像

いつから過程を楽しむことを忘れてしまったのだろう?

 GWに甥っ子と接した。
 底無しの元気さに、呆れとも驚きともつかない感覚を覚える。とはいえ、子どもの相手はそれなりの経験があるので、適度に受け流しながら相手をする。

 気になるのは子どもよりも大人だ。慣れていない大人が過剰に働きかけているのを見ると、モヤモヤする。彼ら彼女らは、「違うの」と不満そうに子どもが言っているのに気づいていない。
 それは一体なぜなのかと思っていたら、楽しんでいるところが違うのだとわかった。

 大人は結果を楽しむ。
 だから、目的がなければならない。「動物園に行く」「パンダを見る」ということが楽しいと思っているのだ。したがって、一貫性はある一方で、それが果たせないと残念な気持ちになる。

 子どもは過程から楽しむ。
 究極的には、目的はなくてもいい。みんなで出かけることや、道端の花や石ころにワクワクしている。だから、簡単に心変わりするが、目的が果たせなくても気にしない。

 その楽しんでいるところが違うのに、両者がその差に気づいていないから、力ある大人が無自覚に「楽しさ」を押しつけ、子どもの「楽しい」を取り上げるのだ。

 僕達(大人)は、いつから過程を楽しめなくなってしまったのだろう?
 道端でアリが行き交うのを何十分も眺めている、あの無駄で尊い時間がきっとあなたにもあっただろう。起こっているそのこと自体を楽しむからこそ、子どもはあんなにも楽しく笑い、直情的に泣く。

 それは美しい姿だなと教えてもらった。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。