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心地良さの発生点

 今日はファシリテーター役をやらせてもらって、また良い経験をさせてもらった。その中で、参加者の感想で「心地良かった」という声があった。

 心地良さはどこから生まれるのだろう?

 答えはわからない。わからない前提に立った上で、考えてみたい。
 まず、心地良さとは言い換えれば、「自分が大事にされていると感じる」ことだと思う。

 では、どうしたら相手にそう感じてもらえるかだ。
 具体的なことを挙げ出せばキリがないが、僕は細部にこそ宿ると思う。

 僕達が資本主義の中で日々他者とやりとりしているのは交換だ。
 お金を払って、ものやサービスを受け取る。対価を支払う以上は、受け取るのは当然だと捉える。したがって、他者との交換の中心にあるものでは、「大事にされている感」は発生しない。

 だから、飲食店は「お客様が感動するような接客」を店員に求めるのだろう。料理が出てきて、美味しいのは当たり前。その土台の上に、とても気の利いた配慮があると、気分が良くなり、贔屓にしてくれる。

 それを「付加価値」と呼ぶわけだが、人と人とが交流する場を作る際には同じことは成立しない。
 体験を提供する際に、なんでも手伝い、懇切丁寧に説明するのは、かえって楽しみと学びを奪うことになりかねない。では、付加価値でダメならば、どうするか?

 それは、1人1人が心身の変化をきちんと受け取ってあげることじゃないか。
 僕達の心身は常に一定ではない。トイレに行きたくなるし、暑さや寒さを感じる。作業をしていれば、躓く場面もあるかもしれない。そういう時に、「トイレ行きたくないですか?」「室温どうですか?」と尋ねる。そして、ただ長めに待つ。そういうなんでもない働きかけの積み重ねが心地良さをじわじわと生み出していく。

 今の僕に考えられるのは、この地点までだ。

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