嘘をつく理由
僕は時々嘘をつく。
自分の年齢を偽ってみたり、思ってもいないことを言ってみたり。
冗談まがいやバレバレの嘘をついてみる。
なんでそういうことをするのかといえば、なんか面白そうだからだと思っていたからだ。けれど、どうも違うかもしれない。
正論だって傷つける
嘘は信用をなくすとか、人を傷つけるというけれど、別に正論だって人を傷つけることはある。
誰かがしたミスに対して、「お前は失敗したんだ」と告げることは、事実としては間違ってはいけないけれど、傷口に塩を塗る行為だ。
正しさも振りかざせば、凶器に変わる。
だったら嘘という刃物を上手く扱って、人を喜ばせることもできるはずだ。
サプライズや手品は人を欺くが、喜ばすことはできる。
けれど、よくよく考えてみると僕はその手の嘘はあまり使わない。あくまでもどうでもいいことで嘘をつく。
なんでだろう?
それは僕の言うことを吟味してほしいからかもしれない。
「この人は嘘をつくことがある」
その思われたら、僕の言うことを確かめるようになる。
常に疑われるのは辛いけれど、盲目的に信頼されることはもっと苦手だ。ヤダヤダ、そんな信者みたいなものは欲しくないんだ。
自分色に染まったら世の中面白くない。
きっとあなたにはあなたが辿ってきたからこそ考えられて、気づくこと、言えることがある。それを僕は見たいのだ。だから、自分で判断してほしいと願っている。
えっ、本当だろうか?
確かめてみようって思ってもらえることが救いだ。
だから僕は嘘を混ぜながら会話をする。
昨日はエイプリルフールだったということに気づいて、そんなことを思ったのでした。
ちなみにnoteなど文章では嘘はつかないようにしている。表情や声のトーンなどで伝えられないものが多すぎるから、誤解を避けるためにも日常会話に限っているのでご安心を。
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