400日経ったら飽きて工夫しはじめた。
グラレコの筋トレというものを2018年7月10日からほぼ毎日やっています。
100日ごとに振り返りを書いています。この記事は400日が経過してのふりかえりです。過去の振り返りは記事の最後にリンクを貼っておきます。
飽きたその先へ
400日を超えるということはすなわち、1年以上続けたということです。
最近わかってきたのは、僕の傾向として1年を過ぎると飽き始めるということです。シンプルに僕は飽き性なのだと思います。
おかげさまで、著しく僕のモチベーションは下がっています。それでも続けるのは飽きるということを悪くないと思っているからです。
飽きたものをそれでも続けようとすると、人間は退屈を逃れようと工夫を始めます。ゲームでいえば、最速クリアを目指したり(TA)、制限を設けたり(縛りプレイ)するようになります。
同じことをしていても、制限が加わったり、優先順位が変わることで別の可能性を感じられるようになります。
この100回分の間はこれまでで一番試行錯誤をした期間でもあります。300日も続けていると自ずと描き方のスタイルは決まってきます。それを変えようとしました。
タイトルを書かないようにしてみたり、情報の並べ方を変えてみたり。ちょっとの変化によって、見やすさや描きやすさがまったく違うことに気づきました。
それはできあがった自分の型を見直す機会になりました。
すでにできあがったものを壊すというのは、ともすれば自分のかけてきた労力や時間を無に帰すと感じられることもあり、心理的に抵抗を覚えます。
使命感や義務感によって、それを強行することもできますが、そこには喪失感がつきまとうでしょう。けれど、「飽き」と「退屈」によってそれをなすならば、さほど抵抗なく手放すことができます。そういう意味で、飽きと上手に付き合えるようになることは人生を楽にさせてくれるでしょう。
描くを通してなにをしたいのか
描くということを続けていると、具体的な例が積み重なっていき、いつしか抽象化されていきます。
「どうやったら見やすいか?」「強弱がわかりやすいか?」という描き方に関することを考えていたのが、「描くことを通してなにをしたいのか?」を考えるようになりました。
これについてはなかなか答えが出なくて、悶々としていたのですが、現時点で出ているものとしては、できたものを通して人と触れたいのだと思います。
グラフィックによって違いが明確化したり、新たな問いが生まれる。そうして人と人のコミュニケーションが生まれ、育まれていけばいい。その触媒になれば十分なんじゃないかと思っています。
ありがたいことにグラレコの筋トレによって、それはなされつつあります。
だから、まあ500日の振り返りもおそらく書かれるのでしょう。ではまた次回の振り返りでお会いしましょう。
↓100日の振り返り↓
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