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秩序を壊して秩序を保つ

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。
(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一,P166)

 今読んでいる本に、この一文を見つけた。すとんと腑に落ちる音がした。
 本の内容は生命についての話なのだが、人間を消化・吸収・排泄によって構成する要素は入れ替わっていく。だから、半年・1年後の自分は、厳密には今とは全く別物の生き物なのだ。
 しかし、特に問題が起こらなければ半年後も、自分は自分だと感じる。それは「自分」という秩序があるからだと僕は感じた。安定ではなく秩序。いい言葉だ。

 かつて大学生で就職活動をしていた時、「安定したところ(企業)がいいよね」と口にする人は本当に多かった。
 僕はその「安定」に強い違和感を覚えた。変化が少ないことを歓迎しているように感じた。

 でも、変化を嫌うと停滞してしまう。停滞してしまったものはゆっくりと枯れていくのだ。

 そうじゃなく、積極的に変化をしていく。秩序を守るために秩序を崩す。この方法がしかし、結果的にバランスを保ってくれると以前から感じていた。

 ヨガには逆立ちのポーズがある。頭と手でだけで体重を支える不安定なポーズに初めて挑戦する時、必ず力む。倒れないようにしまいと踏ん張る。しかし、それがかえって倒れる要因になってしまう。
 木の棒をイメージするといい。まっすぐ立っていると確かに安定しているが、固まった形は一度バランスを崩すとあとは倒れるだけだ。

 何度も何度も練習して、やがてできるようになった時には、力を抜くことが大事だと気づいている。身体の外も中も柔らかくしておけば、少し崩れてもまた戻ることができる。

 そして、さらに上達してブレが少なくなった時、傍から見ると動いていないように見えるが、実は中で細かく細かく揺れ続けているのだ。

 だから、バランス(秩序)とは動かないことじゃなくて、崩し続けることだ。

 僕が変化を求めているのも、大きな意味で秩序を守るためなのかもしれない。

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