見出し画像

否定するなら寄り添えよ

「嫌なら代案出せよ」
 人と人が話し合う場におけるこの台詞は、力強く、とても冷たい。反対意見をねじ伏せ、自分の意見を押し通すには最適な言葉だ。

 けれど、その先にあまり良い未来は見えない。なぜ話し合いするのかといえば、そこに集まった人の力を結集して、1人では導き出せなかった答えに辿り着くためだと思う。

 押し通した後に残るのは、分配された責任と感情のしこりだ。そして、上手くいかなかった不満が爆発する。

 だから、僕は代案がなくたっておかしいと感じたら「おかしい」と口にしていいと思うのだ。

 28563×5230905=174

 この計算の正解を瞬時には出せないけれど、回答が間違っていることはわかる。だから、僕達には違うことを違うと感じられる力がある。

 人格を否定するのはご法度でも、意見は否定していい。
 ただ、代案は出せなかったとしても否定する側にも心構えがあると思うのだ。

 その意見はおかしい。なにが違うのか、もっと良い考えはないかは一緒に考えよう。そうやって、寄り添う姿勢が大切だ。

 先延ばし意見の否定、極端な意見の否定。
 言いっ放しでは、結局水掛け論になってしまう。共によい意見に育てていく前提を持っておくことを忘れないようにしよう。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。