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「今日はいい天気だね」を繰り返す理由

 久々に祖母に会って、墓参りに行った。一緒にいたのは2時間くらいだったけれど、その間に「今日はいい天気だね」と数えているだけで10回以上は言った。

 最初はその度に相槌を打っていたのだけど、少しずつイライラしてきた。一緒に聞いてた叔父さんもなんだか苛立っている。

 その姿を見て、ふと我に返って、疑問が湧いてきた。
 なぜ僕は同じ話を繰り返す人に苛立つのだろう?

 時間を奪われるからだと思ったけれど、別に墓参りに行く道中なので、時間が奪われてはいない。それよりもむしろ、発展性がないというか、人生ゲームで「スタートに戻る」のマスに止まったかのような徒労感が近い。また同じ道をなぞらなければいけない。これから同じやりとりをやらなければいけない億劫さに、辟易していたのだ。

 内省しているとだんだん冷静になってきて、「じゃあなんで祖母は同じ話をするのか?」に興味が移ってきた。

 それから「今日はいい天気だね」の回数を数え始めて見た結果、話の糸口を見つけようとしているのかもしれない、と感じた。
 ただ、「いい天気だね」だけでは、僕を含めて聞いた人が相槌を打ってそこでおしまいだ。そこで、5分くらい黙った後にまた「いい天気だね」と口にする。自分で言ったことを忘れているというよりも、タイミングを祖母なりに見計らっている感じだった。

 僕の中で、祖母はおしゃべりなイメージだったけれど、案外探っているというか、気を使っている人だったんだと知った瞬間だった。

 そうして気づいてみれば、苛立ちはすっかりなくなっていた。
 感情が起こった時に、なぜ自分がその感情を懐くのか、そしてその感情を懐かせた相手の行動をじっと観察してみる。
 不安になったり苛立ったりするのは、未知や不可解ゆえだ。当たっているかはさておき、自分なりにわからなさに一旦筋が通れば、その感情に支配されなくて済むだろう。

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