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できないに花束を

 年齢を重ねてくると、それまでの自分が身につけた能力や地位や役割だけで、ある程度生きていけるようになる。そして、その環境にずっといると新しいことに手を出すのを躊躇うようになる。

 なぜなら、新しいことは自分が築いてきたものを全部取っ払って、「なにもできない状態」に戻るからだ。みじめで、貢献できないのに、わざわざ飛び込んでいくのは非効率的だ。

 できることだけやっていればいい。
 できないことはやってもらえばいい。

 一瞬そう思った後で、本当にそうだろうか? と疑問が湧いた。

 いま、やりたいことがあって、拙いながらもGAS(Google Apps Script)の勉強をしている。昨日は些細なことに3時間費やしていた。知っている人ならば、数秒で終わってしまう認証に延々と唸っていた。

 1つできたら、すぐ壁にぶつかるを繰り返すので、まったくもってもどかしい。これなら、お金払ってプロに任せればいい。

 でも、このできなさを味わう体験によって、他者に優しくできるようになる。「できない体験」を忘れた人は自分ができることを他者ができない時、不思議に思う。けれど、できて当たり前だという無意識の思い込みが、より一層初心者の身体を固くさせる。
 できない葛藤をしっかりと抱えておけば、そうはならないはずだ。

 そして、自分ができないことをできる人に対して、敬意を払えるようになる。その人は時間とお金と労力をかけて、能力を身につけたのだ。尊敬をもって接しなくてはならないと自然と思うようになる。

 僕は「できる」と同じかそれ以上に「できない」を大切にしたい。

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