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考える機会はいつの間にか減る

 無駄を省く、効率化する。それらは考える機会を減らす行為なのかもしれない。

 最近手続きを減らすと、人間は考えなくなると感じている。

 鳴り物入りで始まったキャッシュレス決済。僕も使っているが、手軽に使えすぎて浪費している場合がある。

 これまでは財布を取り出して、金額を確認して、(お釣りの計算をして)紙幣や硬貨を出し、お釣りやレシートをもらう手続きがあった。それがスマホで即座にできてしまう。銀行口座と紐付けしていれば、残高も気にする必要もない。

 なにも見ずスマホの画面を差し出すだけでいい。そのせいか、画面に表示される金額が減るだけで、お金を使った感覚が乏しくて、払ったという感覚がない。

 そんな体験をしてみて、お金を払う行為には、身体的な手続きと密接に関係していたのだと初めて気づいた。

 言葉もそうだ。パソコンで作業するようになってから、漢字が思い出しにくくなった。紙に書いているうちは鉛筆を動かす書き順から、なんとなく漢字がかけた。けれども、最近はパッと漢字が出てこない瞬間がある。

 上記のような手続きにおいて、僕達は無意識的に思考していたのだろう。効率化によって手続きを減らすってことは思考する機会を奪うにもつながる。だから、効率化する時には、その点についても注意をしながら行った方がいいだろう。

 

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