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最後の瀬戸際はゆずれない

 思い出の作品がだれしも1つはあるだろう。たとえ触れる機会はなかったとしても、ずっと記憶の片隅に留まっていて、「好きな作品?」と問われると、意識にのぼってくる。

 僕にとって、「千と千尋の神隠し」がそれだ。
 映画館で観た時の記憶はもう覚えていないけれど、自分にとって衝撃的だったのは間違いない。なぜなら、僕が人生で初めて買ったビデオだった(DVDではなく!)。幼かった僕が、わざわざ店頭で予約をして、お小遣いかお年玉をかき集めて、買ってもらったのだ。
 ただ、その買ったビデオは結局1度か2度しか観ていないと思う。映画館のあのスクリーンのインパクトは、家ではなかった。

 その「千と千尋の神隠し」がリバイバル上映をしているというので、映画館に観に行ってきた。

 改めて観ると、やっぱり素晴らしい作品だったなーと思う。躊躇いや強がりなど、細かい感情の揺れが、余白を残しながら主張しすぎないのに丁寧に描いている。まったく飽きずに、気づけば終わっていた。

 けれど、なぜ子どもの僕はこの作品を好きになったのかわからなかった。

 お化けや妖怪の類が怖くて、夜電気を消して眠れなかった僕にとって、作中に登場する八百万の神様は恐怖の対象になってもおかしくなかったはずだ。当時の記憶がないので、推測でしかないが、かわいいキャラクターや時折挟まれる笑いのおかげかもしれない。

 

 ※ここから先はちょっとネタバレ含むので、注意。



 今回観て印象的だったのは、「湯婆婆と千の契約の場面」だ。「ここで働かせてください」と千が言い、「やめときな」「無理だ」と湯婆婆はそれを千自身に取り下げさせようとする。

 その押し問答を見て、「最後に決めるのは自分なのだ!」と思った。

 こうしろああしろと他者は言う。時に勧め、時に脅し、時に諌める。しかし、言われた通りにするのも、気にせず突き進むのも、なにもしないのも、最後の判断は自らによってなされる。

 思った通りにできる、ということが言いたいのではない。責任の話だ。
 決断の領域だけは何人たりとも侵せないのだ。たとえ相手がどんな強大な力を持っていたとしても、「する」「しない」の最終選択権は自分が持っている。だから、自分は関係ないとは言えない。

 これまで自分はどんな決断をしてきたのか?
 それを見直し、これからどう決断していくのかを考えるとても良い機会だった。

 まあ、小難しいことはさておき、作品自体はとにかく素晴らしいので、是非観に行って欲しいと思う。

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