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02.アンラーンとは?

自分には、なにが足りないのだろう?

僕達は課題に行き詰まると、しばしばそう考えます。

けれど、むしろ余分なものをたくさん抱えているから上手くいかないことも多いのではないか?

そんな疑問を持ちました。そのための一手として「アンラーン」が求められていると考えました。

そんなアンラーンに関する連続記事です。

今回は、第2回です。なるべく単体でも読めるようにはしていますが、前回を引き継ぐ内容になっていますので、未読の方は以前の記事を先に読まれることをお勧めします。

01.まえがき
02.アンラーンとは?(このページ)
03.アンラーン実体験
04.量的な体験と記録
05.振り返り
06.他者の力を借りる


前回のまえがきでは、人が変化していくためには、アンラーンが必要なのではないかという仮定で終わりました。

今回から「アンラーン=学びほぐし」とはなんなのかについて考えていきます。

そして、一体どんなことをアンラーンすべきで、どんな人にアンラーンが必要なのでしょうか?

ある地点まで立ち返る

積み木を例に考えてみます。

少しでも高い作品を作りたくて、色んな形の積み木を使って、積み上げてきました。もっと高くしたいけれど、もう全体がグラグラ揺れています。

そういう時にどうするでしょうか?

時間をかけてでも高くする可能性にかけるのが必要です。一旦積み上げたものをおろして、より丈夫な土台から作り直す。それは難しいアイディアではありません。

しかし、曲がりなりにもここまでは高くできた方法を止めるのはなかなかに難しいです。

限界が見えていても、あと1個くらいなら乗るかもしれない。

そう思って、積んだ1つのピースがきっかけとなり、そのまま崩壊して頭を抱える。

そういったことは珍しくありません。

僕は、崩壊する前に一旦下ろす作業がアンラーンだと思っています。よりよい形にするために、必要な地点まで立ち返る。自分の思考の癖や行動を取り除く過程です。

ただ、実際のところ人間は積み木ほどシンプルではないです。

積み木をリソース(資金、経験、能力、人脈など)として捉えてみると、それらは自分だけでコントロールできず、他者や環境によって追加されたり、取り除かれたりします。

おまけに、勝手に形が変わったり摩耗したりするので、積み上げる人にとっては大変な作業になります。刻一刻と積み木が変わっていく状況の中で、なにもしないまま停滞することは、一時的な後退よりも悪い結果を招くこともあります。

進むのも現状維持も難しいのであれば、一旦アンラーンしてみないかということです。

アンラーンは学びの否定ではなく、これまでに学んだ知識や身につけた 技術を振り返り、さらなる学びや成長につながる形に整理し直すプロセスです。学びによる知識や経験 をよりよく活かし、長いスパンで 活躍し続けるための、とても重要なステップなのです。

Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」

アンラーンすることで「次」は出現する

アンラーンを立ち返ることだと書きましたが、それでは自分をニュートラルに戻すだけで、物事を前進させない。そんな批判もあるでしょう。

けれど、一旦築いた積み木を下ろしていると、必然的に考えるはずです。

どこまで戻るのか? 現在の積み方はなにがいけなかったのか? 次は、どこまでの高さを目指すのか? そのためにはなにをしなければいけないのか?

アンラーンは、単に以前の状態に戻すのとは決定的に異なります。1度手に入れた(身につけた)ものを手放すという行為によって、自然と次を意識するのです。

そして、その問いを突き詰めていくと、「はたして私は本当にこの積み木を高く積み上げたいのか?」という問いも生まれてくるでしょう。

「誰よりも高く積み上げたい」と当初は思っていたけれど、本当は高さなんて求めていないかもしれません。「美しい形」や「丈夫さ」に価値を感じているかもしれません。

必ずしも具体的な行動に落とし込めるとは限りません。また、目に見える変化が怒るまでは時間がかかることもありますが、アンラーンすることで自らの方向性は見えてくるでしょう。

アンラーンすべき対象

あなたはどんな順番で歯を磨いているでしょうか? 順番はそれぞれでしょうが、自分の中でだいたい決まっているはずです。

人間は慣れる生き物です。回数を重ねていると、いつの間にか流れが定着しています。

それは個人レベルでもそうですし、集団レベルでもそうです。

学校や会社でも、明文化されたルールだけでなく、「なんとなくそうするものだ」と雰囲気で決まっているルールがあるでしょう。

それらは自分にとって望ましいかは関係なく、自然と形成されてしまうものです。

知らぬ間に身につけた思い込みやルーティンは意識できないため、変えることもままならないです。そうしたものこそアンラーンすべき対象になります。

また、早起きの習慣など自分が意図して身につけたものであっても、かつては良かったことが現在も最適であるとは限らず、その場合はアンラーンが必要かもしれません。

以上をまとめると、アンラーンする対象には以下のような要素が挙げられます。

  • 切実さ(課題感、こだわりがある、大切である)

  • 連続性(既にある、繰り返される、終わりがない)

  • 流動性(変化する可能性、気づきづらい)

これらの要素が絡み合って生まれてきます。

暮らし方やキャリアプランなどはその際たるもので、計画を立てたとしても予期せぬ出来事が起こります。何度もアンラーンしながら再構成すべきことになります。

歯磨きは毎日するものですが、歯周病にでもならない限り、やり方を見直す必要もないでしょう。

一方で、手に入れたものを手放す特質上、アンラーンに向かないものも当然あります。それは要素を裏返して考えれば、以下の要素が考えられます。

  • 初めて、あるいはまだ慣れていないこと

  • 一回、数回しかやらないこと

  • 早さが求められること

アンラーンで現状を見つめ直す時、一時的にでも状況が悪化する可能性があります。

よって、それ相応の覚悟も必要ですし、労力もかかるため、タイミングの見極めも大事になってくるでしょう。

アンラーン≠自己否定

アンラーンとは、これまでの自己の否定ではありません。

少なくとも自らのいた環境の中で生きていくために有効であったから「成功」し、身についたものなのです。

しかし、夏の薄着が冬場に適しているとは限らないから、見つめ直す試みなのです。服を脱いだからといって、服が悪いわけでもありませんし、服自体がなくなるわけではありません。

だから、安心してアンラーンに取り組んでいけばいいのです。

さて、ここまでアンラーンとはどのようなことなのかを説明してきました。しかし、具体的にどういうことが起こるのかはまだイメージしづらいのではないでしょうか?

そこで、次回は僕の体験を材料にアンラーンで起こる行動と思考の変化について触れていきます。

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