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母はひとりかも

ヒラヒラと振られている手を目指し、向かいの席に座った。
緊張している私をよそに、眼の前にいる産みの母親、キョウコさんは、
にこにこして私を見ている。
『きらちゃーん。大きくなったねえ』

再会ってこんな感じなのかな。
もう少し、なんか、抱き合う?とか、涙がでる、とか、感動の再会?
みたいなものを想像していたのだけれど、全然違うし。
私が冷めている?
そもそも、この、母親に期待もなにもしていなかったから、何も感じない?
緊張を隠すためにタバコに火をつけた。
『やばー、オトナじゃーん。』
からかうように弾む声で言ってくるキョウコさんは同じようにタバコを吸い出した。

ゆっくりと顔をあげ、まじまじと目の前にいる、産みの親を見る。タバコの煙の向こうにいる彼女はぽっちゃりと、しっかりお年を重ねている。
髪も薄くなっており
(ああ…私も年を取ると薄毛確定なのね)
妙なところで絶望した。そんな私の視線を感じたのか
『髪、ね。びっくりしたでしょう。薄くなっちゃってさあ〜』
髪をかきあげる仕草をしながら頭を掻いている。
『病気?』
絶対、はじめの質問はこれじゃなかった!
なんでこんなこと聞いたのだろうと、一瞬にして後悔した。
ふぅーっと煙を吐き、タバコを消したキョウコさん。
『それも、ある、かな。』
一呼吸おいて、父と離婚してから、どんな暮らしをしてきたのか、どんな仕事をしてきたのか、話しは尽きないようだった。
『でもね。一番悔しかったのは、ほら、母の。きらちゃんにとってはおばあちゃんか。の、お葬式のとき、かな。
おじいちゃんがさ、キラちゃんを追い返したじゃない?私、あのとき、席外してて居なくてさ。あとから追い返したって聞いて、もう、後悔したね。
あの時、会っていたら、絶対にあの人(父)のもとには返さなかったよ。私が東京に連れて帰っていたと思う。本当に、残念。』
お冷のコップの水滴を手で拭い、そのお冷を飲んでいる、母親の姿。
薄くなった髪の毛を隠すことなく、ぽっちゃりとした体系でも、着たい服をきて、堂々と、子供を攫う話をする母親。
そんなことが想像出来たから、きっとおじいちゃんは私を追い返したのだろうと、今になって気が付かされた。
(この人のもとで中学・高校と過ごしていたらどうなっていただろう)
という思いが頭をよぎり、最悪な未来しか想像できない自分。
会ったら、聞きたいことがたくさんあったはずなのに、私の想像をはるかに超える母親の姿。
極めつけは。
私には年子の妹がいるのだけれど(私のははと母とハハの物語にはあまり関係もなく、また、早くに独立してしまっていたこともあり、今まで登場させなかった)その子を作って産んだ話を始めた。
『大丈夫な日だからって、あの人を誘ってさ、作ったの』
本当に気持ちが悪かった。
言葉を選ばなければ、胸糞悪いとはこのことだ。
何故、何十年も会っていない親から、親の子作り事情を聞かなければならないのだ。
何故、今、妹の話をしないといけないのだ。
今、目の前にいるのは、私ではないのか。
『だってさ〜キラちゃんが、すっごく可愛かったんだよ〜。だけどさ、向こうの家(おそらく、偉い祖父のことだと思う)に取られそうになってさ、もう一人、キラちゃんが欲しかったんだもん。私だけのキラちゃんが。』
『・・・騙したんだ』
『そうだよー。よくわかってるじゃん。』
タバコを灰皿におしつけながら
『ね、私達、これからでも一緒に住まない?』
・・・話が突拍子過ぎる。
というか、本当に胸糞が悪い。
おまけに
『そっちはさ〜、再婚して子供作ったんでしょ?ずるいよね〜。
私には、『キラとの関係が複雑になるから子供は作るな』って言っておきながら。私は言われたとーりに子供も作らないで今まで来たってのにさ』
口を尖らせ、くどくどと文句をいう姿にもう呆れるしかなかった。

ここまで来ると、もはや、母親とは思えなかった。
胸糞は悪いし、呆れるし、話はすっ飛んでるし、緊張した私、バカみたい。

この人が私の『母』?いや、もう、ひらがなで『はは』でいいや。
父親よ、離婚して正解だったよ。

『ねぇ、なんで離婚したの?私を育てよう、とは思わなかったの?』
ずっと、ずっと聞きたかったことをようやく、聞いてみる。
『離婚した理由?あの人から聞いてないの?いいわ、教えてあげる。』
ニヤリと不敵な笑みを浮かべつらつらと離婚理由を並べる。
まるで、用意した答えのように。
『あの人がお金を入れてくれないの。子供、食べさせるのってお金がかかるのよ。食費をくださいっていうと、すっごい形相で私を睨んで5千円ぽっちを投げつけてくるの。ひっどいでしょう?それからね、回りをまきこんで私が子供たちに虐待をしてるっていうのよ?だからね、親権があの人にいったってわけ。まあ、おかげで、仕事でお誘いを受けてた東京に出てこれたし、思う存分仕事に打ち込めたんだけどね。』

虐待、という言葉を聞いて、私の中の引き出しが一つ、二つ、とゆっくりを開くみたいに、幼い頃の記憶がふわ〜と蘇ってきた。
鮮明には思い出せない、というか、どこかでブレーキがかけられているのか、本能が完全に思い出すことを拒否しているのか、霞がかった記憶の断面で、痛い、恐怖、窮屈といった類の感覚のみが身体で覚えている感じ。
そして、この話を信じてはいけないという、直感的なもの。

父親よ、離婚していてくれてありがとう。
今の距離感が、まだ、耐えられる。
そして。
えいこさんが実は私にとって母親だったのではないかと、思える。
えいこさんとも信じられないくらい色々あったけど。
育ての親のえいこさんの方が私にたくさんの生きる術を教えてくれていた。

この人は。
産みのはは、は。
知り合いのおばさんくらいに思っておこう。

明らかに、今の私を作ってくれたのは、えいこさんだ。
母はえいこさん、ひとりかも。

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