小説『Feel Flows』⑯

前回はこちらです↓

(十六)
誰かの目を気にして自分の言動を否定し、さげすむ。そうしてしまいがちなのは、なぜなのだろう。

「僕は、面白くないって言われるんですよ」
「僕は、英語も話せないんですよ」
「僕は、勉強不足なんですよ」
「僕は、気をつけていても誤字脱字をしてしまうことが多いんですよ」
「僕は、見た目も悪いし、頭も悪いんですよ」

こう表現するとき、僕は誰の立場に立っているんだろう。誰の言うことを真にうけているんだろう。誰に気を遣っているんだろう。
もっというと、誰に「操られて」いるんだろう。

こんなこと気にしなくても、生きていける。そればかりか気にしないことで断然生きていることが楽しくなる気がする。
楽しく生きていけないのだろうか。そんなはずない、と思う。

儒教の教えの「中庸」を教わったことを思い出す。
何事も、極端に偏りすぎる考えは正しくない。「誰かの目を気にする」ということについても「全く気にしない」というのは誤った考えなのかもしれない。
ただ、「生きるのがつらいほど気にする」ということもまた「気にしすぎ」であり、誤っているのではないだろうか。

「自分がしたこと」とその「反応」の事実のみを確認してみよう。
それについて、生きるのがつらくなるほどのことなのかどうかをいちど疑ってみよう。
「中庸を探ろう」と口に出してみた。


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