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自殺を送るエトセトラ

自殺に関する葬儀と、死にたい気持ちの話。
※自殺幇助の意思はありませんが、死に肯定的な表現があります。


「そこで首を吊っていたんです」

喪主をつとめるその人が指差した先を、目で追った。部屋の隅の壁に、物をひっかけるための出っ張りがあった。フックが歪み、留め金部分にヒビが入り、壊れかけているのは、宙に浮いていた体を急いで下ろしたからだと気づいた。きっと部屋に入って、足が地についていない姿を目にしたんだろう。救急車を呼んだのか、それとも警察か、どちらが先行したのかは分からないけれど。その時、発見した人の顔はきっと。

恐らく遠からずの想像が幾つも脳裏をよぎって、かける言葉もなくゆっくりと向き直る。

その人はいつの間にか手を下ろし、静かに私を見つめていた。能面の様な表情を何だか直視できなくて、視線を隣にずらすと、其処には白布を顔に掛けた人が横たわっている。私は黙って、絡まった縄の跡が鮮明に残っている青白い首をじっと見つめていた。

その人は話をしている間ついぞ、泣くことはなかった。

そうして、打ち合わせを終えて、車をとばして事務所に戻る。車を降りて、カラカラに乾いた口内の引きつりを感じながら黙々と早足に歩いた。鞄を握る手は不自然なほど力が篭り、頭の中は素早く段取りを立てる。明日は何時に行って。この内容の確認をして、花と、食事と、後は。後は何だっけ。延々とやるべきことを考えながら、歩き続ける。

喫煙所を横切ったら、私に葬儀の仕事を教えてくれた師匠が紫煙を燻らせていた。挨拶だけして、通り過ぎようとしたら名前を呼ばれた。

「確か自殺やったな」

意味は分かった。暗に大丈夫かと聞かれた。立ち止まって、目を合わせてしまったら途端に色々な情景が蘇ってきて、思わずぼろっと涙が出た。こうなると分かっていたから離れようと思ったのに、師匠は見逃してくれなかった。動揺することもなかった。何度も私が泣くのを見ているから、こちらの答えを黙って待っているだけだった。

「部屋で首を吊っていたって、言われました」
「そうか」

「俺にもあったな、そういうこと。
場所は階段やったけど」

ぼやいて、煙を吐いた師匠が煙草を灰皿に押し付けた。ゆっくり歩いてきて隣に立つ音を聞いた。

「大丈夫や。全力で送り出せ」

そう、背中を叩かれた。何度も励ましてもらった言葉だった。でも、その時は泣いてしまって、返事もできなかった。代わりに必死に頷いた。周囲に漂うMarlboroの香りにひどく安心したのを覚えている。

自殺の通夜と葬儀に携わる、一日前。

上記は、同じような人たちを何度も送った自殺の葬儀から、組み立てて書いた話です。プライバシーがあるからそのままは書けないしね。

師匠の件は本当にあったことだから、ずっと記憶に残っているけれど。


自殺した人の葬儀というと世間ではどんな印象なのか。

ひっそりと行われるのも正解。
雰囲気が重く暗いのも正解。
ずっと嘆き悲しんでいる人がいる。
これは少し違う気がする。

私が出会ってきた自殺遺族の人たちの多くは、呆然としていた。それから、自分達をずっと責めていた。

昨日まで普通に話をしていたのに。
元気に仕事をしていたのに。
電話で話をしていたのに。
約束だってあったのに。

どうして死んでしまったの?
自分はどうして気づかなかったの?

どうして、と長い間、堂々巡りをしている。

時間が止まる。
その表現が近い気がする。

停滞した空気の中、通夜と葬儀の担当をすると名乗るのはいつだって呼吸をすることが苦しかった。葬儀を担当する上で時折ぶつけられる、敵意に似た瞳の方がよほど良いと思えるほど、静かな音のない悲しみで満ちていた。

葬祭担当者には死亡診断書を代行で役所に提出するという業務がある。そのため、顔合わせをした後に、大抵診断書を受け取り、その場で開封して内容を確認をする。漏れがあると役所で受理してもらえないからだ。

死亡診断書には、死亡原因が記載されている。
多くは病についてあっさりと書かれているが、自殺の時は違う。事細かに、どこでどのように発見されたのか。直接の死因は何だったのか。自死のために何を用いたのか。諸々。

想像するに難くない情報が頭に叩き込まれていく。
得た情報をもとに、私たち担当者は葬儀における後々の対応を考える。

例えば、縊死。
首を絞めつけて亡くなった際は、死を選んだ方の納棺の手配をする時に必ず確認をしていたことがある。

「首の跡を見るのが苦しければ、よろしければお隠しすることもできます」

多くの方々は頷いた。こちらが提案する理由は視覚から飛び込んでくる縄痕から当家様自身が感じる苦しさの軽減と、参列者が受けるであろう衝撃への配慮だった。

ひとまず、綿を使って首回りを不自然でないように覆い隠して。それから、いざ湯灌と納棺をしてもらうと、見違えるほど綺麗になる。首元は仏衣と飾り綿で隠されて、まるで自殺なんてなかったというように。

そして、事実を知っている人以外には、急死と伝えられる。心筋梗塞、脳梗塞、突然死に至る病を表として、自死を隠す。

知らない人は信じて、亡くなったその人を送り出す。首の跡を、自分で自分を終わらせたことを知らないまま。それが良いのか、悪いのかは喪家様が判断することだから、こちらから言うことはない。私にできるのはつつがなく送り出す手伝いをすることだけだった。

こういう葬儀は珍しいものではなかった。

小さく小さく、家族だけで送り出すことも多々あった。

自殺をしたという事実は、本人だけではなくて、関わりの深かった人達への周囲からの視線も変えてしまうから隠さざるを得ない時があった。故人の尊厳と、遺族の心と生活を守るために必要なことだった。

気づかなかったのか。
話をしなかったのか。
かわいそうに。もっと気を配ってあげていたら。

事実を知った時の人は、無意識に冷淡だ。
他人は誰でもいとも簡単に加害者になれるのだ。

たらればを用いて投げかけられる言葉は遺された人を更に傷つける。そんなことは、遺された人たちが一番思っていることなのに。ただでさえ、大切な人を亡くして無力感に苛まれて嘆き悲しむ中で、周囲から非難までされたらそれこそ、遺された人まであの世に行くことを考えかねない。

誹謗中傷の名前を冠していない暴力といって相違ない。

自殺で救われるのは、死んだ本人だけ。
そして、遺された人の中で悲しみの連鎖が起こる。

自殺の葬儀の中で痛感したことの一つだった。


棺に花を入れる時。それから、火葬炉に棺が納められる時。そのときに、ようやく遺族の人達は泣いている気がする。それこそ火がついたように。死を選んだ故人に怒鳴ったり、自死を選んだ理由を求めて泣き叫んだりしている。

触れる皮膚の冷たさや、無慈悲に轟音を立てる炉に向かって進む棺に、居なくなってしまったこと、もう二度と会えないことを強く実感するようだった。

その場に崩れ落ちて動けなくなって、棺に縋り付く。行かないで、連れていかないでと叫ぶ人も見た。この姿は自殺だけではないものの、自殺の時は特に顕著だと感じた。そんな姿を見てきた。進めない背を支えて、何度も隣を歩いてきた。

送る手筈を整える私たち、担当者は泣くべきじゃないと教えられていた。悲しむのは渦中のその人達で、私たちはやるべきことがあった。どれだけ、一緒に居させてあげたくても、時間を伸ばしてあげたくても出来ない。火葬の時間は刻々と迫る。社会は人のわがままを全て許容できるほど寛容に出来ていなかった。

だから、出棺や火葬の時間が来ると、数秒だけで背を向けて、同じように泣きそうになる目を押さえる。一呼吸の後に、何食わぬ顔でお客様に向き直る。断罪する鬼にでもなったような心地で、申し訳ありません、と。時間となりました、参りましょうと粛々と声をかけていた。

私だって、叶うならどれだけでもここに居て欲しかった。もう声を聞くことも、笑う顔も見られない。そもそも私は生前の姿を知らない。出会ったときには、もう物言わぬ人になっていたから。けれど、嘆き悲しむ人がこれだけいる人を、簡単には送りたくはなかった。いつだってそうだった。

悲しい気持ちは容易く伝搬した。

当家様は尚更のことだったと思う。心の整理なんて、通夜葬儀のたった二日でつくわけがない。だって、居なくなるなんて思いもしなかった。別れを選ぶというのは、自分だけに訪れるものじゃない。望もうと望むまいと、関わりのあった誰かにも無理やり別れを押し付ける。

自殺はそういうものだった。


けれど。死なないで欲しかった、と遺された人達に共感はすれど、私はどうしても居なくなってしまった人を非難することもできなかった。

語らない体の中には、死んだほうが救われると思うほどの苦しさや悲しさがあったのかもしれない。それらを持ち続けてとにかく生きろと強制するのは、心の自殺幇助と同様だと思っていた。

もしくは、死にたい自分に乗っ取られて、訳が分からないまま逝ってしまったか。本当は生きたかったのかもしれない。正反対にただ、単純にコンビニに行くような気分でふらっと死んでみようと思ったのかもしれない。

自殺は。予測がつくことはあれど死を選択したはっきりとした理由は、闇の中に残されたままになることもあった。

体調を崩し、将来家族に迷惑をかけてしまうから、と優しさから死を選んだ人がいた。
一方、小さな我が子が居て、守るものがあって、それでも死を選んだ人もいた。
死にたい理由は様々で、本当のことは分からない。
遺された自分達にできるのは、憶測を立てて都合の良いように解釈をすることだけだった。


正直なところ、自分が希死念慮と一緒に長い間、歩いてきたからか、何があろうと生き続けることが絶対善だとは思えずにいる。

死んだらダメという言葉は、遺される人に重きをおけば有効だけれど、本人はいつまでも救われない。いつでも死ねると思って何とか生きている人もいる。少なくとも私はいつか死ぬことに希望を持ったからここまで生きてこれた。

死んだほうがマシという苦しみは、人によって異なる物差しで感情を測る以上、必ず存在する。生きていればいいことがある、という言葉は説得するには薄っぺらだ。生きているから悪いことがあるという事実と表裏一体だから、死ぬことを止める確固たる理由にはならなかった。

良いことと呼ばれる事象は、死なない理由にはならないと確信していた。だって、良いことがあったって一時的に目を背ける理由になっただけで、希死念慮が消えるわけじゃなかった。良いこと、悪いことの訪れは確実じゃなく、手にしても何らかの形で終わりが訪れる。

確約しているのはいつか死ぬこととと死んだら今の自分は解放されることだけで、確約している未来の方が安心する人もいるんだろうな、とも思うのです。だったらいつ死んでも同じだろう、とも。

死にたい自分に、平常の自分をいつまで明け渡さずにいられるかという話だった。

突発的な自殺は死にたい自分に、思考を持っていかれた状態だろうと思う。

私が持っていかれたのは秋の晴れた日だった。仕事休みの朝。起きてすぐに、早々にぼうとした頭で車を走らせて、離れた山の中に行っていた。人の気配ががほとんどない、高いところから崖下の川をじっと覗き込んで。ガードレールの切れ目から、水面が光るのを見つめて、いくらか時間が経過した時に、ふと我に返った。

あの時は、何も考えていなかった。普段、脳裏を占める死にたいとか、希死念慮がどうこうすら。頭の中にもやがかかっていて、ただ自分を消すことに向かって一直線だった。得体の知れない死にたさに、体に引きずられて動いていた。

崖の下から吹き上げる冷たい風を浴びて、こういう風に突然死んでいくんだとと解って少し体が震えた。水を含む吸い込んだ空気が肺に届いたとき、ああ、今、死のうとしていたんだなあと他人事のように驚いたのを覚えている。

あれから、なぜ死んでしまったのかという遺族の困惑と苦しみも、亡くなった人の背景もどちらも思いを寄せるようになった。

死ぬ権利を行使するのは、とてつもない贅沢なのかもしれない。どれだけ周りを悲しませても、苦しませてもいいから、自分の我を通すという点では自殺は最高峰だと思う。
 
ひとまず、他人を省みることができるうちに病院であれ、何であれ周囲に吐露したほうがいいなとは思います。そこを通り過ぎてしまったら、死ぬときはあっという間に、考えるまもなく死んでしまう。

自殺をしたい人、実際に行った人、その周りの人たちも、形は違えど辛い気持ちを胸に抱えていて、違う人である以上、誰のことも責められない。自分の心は自分だけのものだから、感じる気持ちに従うことは間違いとも言いたくない。

最後は、どこで折り合いをつけるかだと思います。

自殺の葬儀を見て、自分が死んだ後の様子が想像できるようになった。だから、希死念慮は湧くことはあるけれど、自分が大切に思う人たちが居る限りは何とか生きていようと思う今日この頃です。

本当は皆、自分を終わらせることを考えることなく、生きやすい場所で、幸せになれたら良いんだけどね。

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