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京都・端午の節句とひきこもり~今に使える考え方~

こんにちは、kiritsuboです。
今回は京都特有の端午の節句行事と、昔の京都で行われた「節句」から、今に使える考え方を拾ってみました。

端午の節句とは

さて、まずは端午の節句ですが、これは日本と中国の行事を合わせたもんやてご存じでしたか?まぁいうたらハイブリッド系の行事です。

もともとは午の月(5月)の最初の午の日のこと。端午の「端」は「最初」の意味で、「端午」は「最初の午の日」を表しています。それが「午」が「五」と同じ音やていうことから、5月5日になったんですね。

中国では「宇宙は陰陽でできている」という考え方があります。このあたりどこでも説明されてるので飛ばしますが、5月5日は陰の日となることから邪気払いせんとあかん日になったんです。

一方、もともと日本には、この時期女の人が田植え前に稲の神様をお迎えするため、小屋に籠って穢れを払った行事がありました。

中国の風習は日本に伝えられて貴族が行ってましたが、日本の行事ともくっついて、今の日本独自の端午の節句になったそうです。外から来た文化そのままやらへんのが、日本の面白いところです。

端午の節句にすることは?

端午の節句、みなさんは何をしやはりますか?

うちは、まず、子どものお祝いで五月人形を飾りますね。

五月人形

これは京都の甲冑師、4代粟田口清信さんの作です。粟田口の刀匠・三条小鍛冶宗近の流れを汲んだはるそうです。もともと刀作ったはったんですね。

清信さんが直接納品に来てくれやはって、お手入れの仕方も教えてもらいました。兜の鍬形の部分、必ず手袋使って扱ってくださいと言われました。一回でも素手で持ったら汚れが付いて曇るそうです。

五月人形 銘

そのうち屏風と刀といろいろな飾り買わなあかんなぁて言うてるうちに、だいぶ年月経ってしまいましたw

ほんで次は柏餅とちまき食べますね。これも縁起物やしと言いつつ、ちまきは高いしその年によって買うたり買わへんかったりです。川端道喜さんのは最高やけど、そこまでは贅沢言いません。香りのええ笹の葉につつんだちまきは美味しいですよね。あ~もうないやろなぁ。近所の鳴海餅さん、もう水無月販売したはるらしい、季節はめぐり巡ってます。

はい、次ですが、菖蒲を使(つこ)た魔除けしますねぇ。
まずは菖蒲湯。この「菖蒲」は「花菖蒲」とは別の植物です。「花菖蒲」とはアヤメ科の植物。菖蒲湯に使うのは、花の付かへんサトイモ科の植物です。形は似てますけど、全く別物です。アヤメともカキツバタとも違う。

これややこしいんですが、昔は「菖蒲」を「あやめ」とも読んだそうです。そうなるとアヤメはどうなるかというと、「はなあやめ」やったんですね。ホンマややこしですが、花が咲くか咲かへんかで見分けんとあきませんね。まぁ花屋さんに聞いたらわかるしよろしわ。

この菖蒲は形が剣みたいにとんがってて、香りが強いことから、魔除けになると言われてました。何でも自然のものは存在感だけで納得です。

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菖蒲湯もそんなゲン担ぎもあるけど、薬効成分もあるていうことで、ホンマに昔の人はなんでそんなこと知ったはったんでしょうね。

そして、その中でも京都に昔々からあったんが軒菖蒲(のきしょうぶ)。知ったはりますか?屋根の軒先に菖蒲の葉っぱを挿すんですが、今は瓦葺きなので上に乗せたはりますね。これ、写真を撮りに行けへんかったので、KOBE Kitano Diaryさんのブログのリンク貼らせてもらいます。

わさわさ付いてるでしょ!菖蒲を束にして、ヨモギと一緒にくくりつけてあります。この形と香りで魔除けするわけですね。

これはすでに応仁の乱後あたりにはもうあったそうです。上杉本の洛中洛外図屏風にもこれがすでに描かれてます(転載不可なので図書館で見てくださいね)。このころは板葺きの屋根。屋根の土台と板の間に挟んだはったようですね。

「軒にさす菖蒲はしのび返しかな」

江戸時代前期の俳諧撰集「犬子集(えのこしゅう)」では「軒にさす」と詠まれていますし、

「国俗(国の風俗)今日艾(よもぎ)菖蒲を屋ののきにさし挟む」

と、17世紀の「日本歳時記」にも書かれています。

挿し方もわさわさではなく、一束ずつ、ちょっと間隔空けたはりますね。

実はこんな飾り方したはるところもあります。嵯峨御流教授の石川利佳甫さんが、be京都さんという上京区にある町家のお店で、毎年軒菖蒲のワークショップを開いたはるんですよ。そのときのもようがブログで紹介されています。

ブログ「葉っぱ星人の花だより」より 「be京都の軒菖蒲体験」

be京都軒菖蒲

この、菖蒲の束同士を離して飾るのが古代・中世からの飾り方なんです。
すごい忠実にやったはるなぁと感心しています。

こんなふうに住民の方中心に風習をつないでいったはるのを見るとホンマに嬉しいですね。長いこと続いてる行事というのは大事にしたいものです。

ただ、ひとつ悲しいことがあります。今京都で、この軒菖蒲をやったはるほとんどのところは旅館や観光施設です。昔からある旅館もやったはるし、それ自体があかんとは思いません。しかし、肝心の京都に住んでる一般の町の人は、先ほどご紹介した方くらいしかしりません。

こういう行事も京都に住む人のためでなく、外から来られる観光客のためのものになりつつあって、ちょっとむなしい気持ちがあります。京都の人が自分らのためにやってほしいな、と言うのが本音。ただの観光行事になってしもたら「年中行事」とは言えません。

年中行事の大切さ

京都の人が大事にしてきた年中行事。この軒菖蒲に限らず、毎年同じことをやることが多いですね。昔の京都人はなぜこんなことを繰り返してやったんでしょ?
年を経るにつれ時代が動いていくと、さまざまなものは変わっていきます。例えば今の新型コロナ感染の世界では、時代が大きく動いてきてます。良くも悪くも、変わっていくことで時代は進んでいきますが、その変化が大きいとみんなの気持ちが付いて行けません。

昔、都やった京都は、ホンマに時代のうねりの中でみなさん必死の思いで暮らしたはったはずです。そんなとき、「毎年同じことを繰り返す」年中行事は心の安定をもたらしてたんやないかと思えるのです。ほんまのとこ、毎年毎年やるのはちょっとめんどくさい。そやけどね、やるだけやって「あぁ今年も無事終わったなぁ」て思うと、ものすごほっとして安堵の気持ちがわいてくるんですよ。

戦や災害などで町が変わっていっても、何かひとつ変わらへんものがあると、人は安心するのかなと。現実はそんな簡単なことではないかもしれんでしょう。そやけど何にもせんと耐えるのはつらい。なにかしら手を動かすものがあると安心できるのかなと思ってます。

そやし、京都の年中行事は観光だけやなくて、京都の人のためにも残って行ってほしいなと切に願うのです。

「節句」の真の意味

さて、この端午の節句の「節句」について改めて調べてみました。

1月7日 人日(じんじつ) 七日正月
3月3日 上巳(じょうし) ひな祭り
5月5日 端午(たんご)  子どもの日
7月7日 七夕(しちせき) 七夕(たなばた)
9月9日 重陽(ちょうよう)→ 同じ

基本ゾロ目ですが、1月1日は特別ていうことで7日に。

節句とは季節の節目のことです。季節の移り変わりのなかで節目は変わり目となります。季節の変わり目は体調が狂って、古傷が痛んだり、関節痛が起こったり、喘息とか持病があると気ぃつけなあきません。そんなこともあり、節句には災難が起こりやすく何事にも気を付ける日となっていました。

それを昔の人は節句の日に、物忌(ものいみ)をすることで災難を避けようとしたんです。

物忌はひきこもり

さて昔の人たちは、この端午の節句にも、菖蒲で魔除けをしながら「物忌」をしてたわけですが、たとえばどんなことかというと、

1.肉や香りの強いものを食べたらダメ。

これは仏教で禁止されてるものと同じで、「日常的な行為を控える」中の一部分なんですね。

2.部屋にこもる。

人と会わない。家族とも話さない。話しても大声を出さない。

つまり「物忌」とは、普段やっていることを控えて、ただただひきこもるイメージなんですね。

そやけど、よう考えてみたらこの物忌、今やってる自粛のイメージと近いですね。物忌は感染防止のためにやったはったんとは違いますが、人間は身の危険を感じるとおんなじ行動をするものなんかもしれません。

端午の節句は、旧暦で言うたら今年は6月25日。そやけど、すでにもう季節の変わり目には入って来てます。

いやむしろ、今年はスケールの大きな節句なのかもしれません。「季節の変わり目」というよりは「時代の変わり目」なのでしょう。「ウイルス」という魔物が飛び回っています。やたら動くと当たってしまうのです。

さぁそしたら私は今どうしたらええのか。頭をひっこめて身をかがめて「物忌」をしながら、家の中でいつもとおんなじことができるならそれは続けていく。昔の人の行動から学ぶとしたらそういうことでしょうか。

とにかく物忌から解放されるまで待ちます。少しずつ自粛解除はされてますが、まだまだ油断大敵。新しい生活様式でちょっと出てはひきこもり、またもう少し出てひきこもる。たぶんしばらくはその繰り返しです。

ひと月ほどしたらもう半年で夏越の大祓がやってきます。年中行事はできひんことが多いけど、できることは普通にやる。お菓子食べるだけでもええやないですか。

京都の古いこと私の知ってることを今のうちに残しておきたいと思い書いてます。サポートは、わが「家」300年の歴史を書く本のために使わせていただきます。よろしお願いいたします。