No.23「宿題ありなし論に終止符?」

こんにちは、あーさーです。
前回は、子ども達の作品の素材やお題が統一されていることやことあるごとに作品を並べられることに対して違和感を感じているという想いを投稿しました。公立の教育に違和感を感じている人に読んでいただけると嬉しいです。
No.22「図工の作品の違和感」|あーさー先生 (note.com)

今回は、宿題ありなし論に対しての私なりの考えを綴ります。
まず、宿題はなんのためにあるのか?よく言われている目的を挙げます。

①学力向上
②学習習慣の定着
③提出習慣の定着

最近では、それらに対して本当に効果があるのか疑問に思う方が増えてきました。私もその内の一人で5,6年程前から一般的な宿題は出しておりません。その理由を以下に載せます。

①学力向上
 これは、大人による都合のいい言葉に感じています。本来であれば、教員は、授業力に磨きをかけて、授業内で学力を向上させなければいけません。それなのに、授業内で行うべき内容である応用問題やドリルなどを宿題にすることを前提として授業を構成している方が大半です。子どもからしたら、授業内でやっておきたいことを強制的に残業に回されているのです。
 
 宿題を出していた頃と比べて、宿題を出さなくなってから学力が落ちてしまったのか?毎年、受け持つ子どもが異なるので比べること自体がおかしいかもしれませんが、本当に宿題が学力を上げているのであれば、子どもが変わったとしても宿題がなくなった途端に学力が著しく落ちるはずです。しかし、そのようなことは一度もありません。

②学習習慣の定着
 これもよく言われますよね。しかし、残念ながらこの目的も宿題では実現できません。では、教員のみなさんにお聞きします。大きな学校行事(運動会・修学旅行・マラソン大会など)の前日や後日などで「今日の宿題は、よく寝ること。」など、1年間に数回、宿題を軽減させたり廃止したりする日がありませんか?その日に、自ら学習して提出してきた子がどれだけいますか?学習習慣が身についているのであれば、宿題がなくてもやってきますよね?それでも提出してきた子は、宿題どうこう以前に、もともと自学に意欲がある子なのです。その子の姿を見て、「これが宿題の効果だ!」と考えるのは危険です。
 また、極論を言うと、6年間びっしり宿題で育ってきた子、何なら中学校を合わせて9年間宿題漬けにされてきた子が、どれだけ受験勉強で苦しんでいますか?この目的が本当に果たせているのであれば、9年間も宿題漬けにされれば、この日本に「勉強の仕方がわからない。」「勉強が嫌い。」なんて子は現れません。

③提出習慣の定着
 毎朝、宿題を出すことによって、提出期限を守って提出物を出す習慣をつける。こうした目的を聞くこともあります。宿題で身に着けることではない!の一言につきます。

『本来の宿題の目的』
①学力向上 → 向上しません。
②学習習慣の定着 → 定着しません。
③提出習慣の定着 → 論外。

 宿題の目的を尋ねると決まって上記のようなことを口にします。しかし、
本来の目的は以下のように扱われていると思うのです。

①授業の補足のため
②保護者の安心のため
③目的はなく、学校は宿題があるものだから

 口では綺麗に繕っても、実際にはこうなので、宿題によって勉強嫌いになる子がどれだけ生産されたことでしょう。また、家庭内で親子のトラブルをどれだけ作ってきたことでしょう。宿題を出すのであれば、本当に価値のある内容を考え、家庭への配慮も考え、本当に価値があるのか振り返ることが必要です。それを行う責任を負えないのであれば、すぐに廃止するべきだと考えます。

 「けテぶれ」や「自由進度学習」などで探求心が育ち、学びを楽しむ心が芽生えた子は、大人が宿題を出さなくても動き始めます。これからの教員には、家庭ではなく学校で、その部分を育てられるように教育概念を変えていかなければなりません。これは、家庭においても同じで、宿題がなくても安心してもらえるように保護者の意識も変えていくことが必要だと強く感じます。

 とりあえず、「一週間宿題なし」やってみませんか?その浮いた時間を子どもたちがやってみたいことに費やしてあげませんか?きっと、こうしたところで教育に関する情報を集めている先生の授業であれば、宿題がなくても大丈夫です。

 大事なのは、「宿題」ではなく、子どもの何を育てたいのかです。

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