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読書感想文『仮面の告白』

異常にお久しぶりです。
皆さんご存じKirinGoodでござんす。

本記事の内容はタイトルの通りなのですが、これがもう大変な衝撃。
圧倒的に面白すぎた。
KirinGood賞受賞おめでとうといった様子。(他には『旅のラゴス』/筒井康隆、『もものかんづめ』/さくらももこ 等が受賞)
世にはハンマーでぶん殴られたような衝撃という形容があるが、この本はちょっと違う。
目の前に太陽が現れて目が眩むような、本読んでるだけなのに眩しくなっちゃうような衝撃だった。

こんな記事がネタバレになり皆さんの読書体験をぶち壊すと恐縮なので、核心に触れるような内容にはならないように感想文を書き殴ろうと思う。
読書感想文なんて、中学生の夏休みに当時流行っていた銀魂のノベライズ版の感想文を書いて、担任に「こんな本で書くべきではない。」と注意された以来である。
有害図書でもないんだから教師が書籍を差別するなよと思ったものだが、今考えると体育担当の教師だったので仕方ないのかもしれない。
どうでもいい前置きが長くて面目ない。

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まずはあらすじを簡単に紹介するが、本作は著者の自伝的小説とのことなので、主人公は三島由紀夫本人と捉えてよさそうである。
時代は戦時中、主人公は男色を好む病弱な男であり、中でも絶望的な男、死に向かう男を愛する性癖を持っていた。
絵本のジャンヌ・ダルクを男と勘違いして欲情するが、女性だと知った途端にしょんぼりするという、割と自己中心で潔癖なエピソードもある。
高校生の頃には園子という女性の美しさに特別な感情を覚えるが肉欲が湧くことはなく、愛についての苦悩は歳を重ねる毎に深まるばかりである。
果たして主人公の愛とはどのようなものだったのか。

まあザっとこんな感じである。
全然ちげーよバカヤローみたいな御意見もあるかもしれないが、直接伝えられると悲しくなるだけなのでやめていただきたい。

ここからは私なりの感想なのだが、ぶっちゃけ主人公が園子に抱いていた感情は自然に対する愛と同質だと思う。
特に主人公は”光”を愛していたように感じた。
先述した通り本作は著者の自伝的な側面が強いため、私の中に三島由紀夫をインストールして解釈を述べたい。

本作には何度か光に関する描写が登場する。
主人公の最初の記憶が産湯を入れたタライに映る光だったり、ラストシーンはダンスホールの卓上にこぼれた飲物が夏の日差しを反射している様子だったり、園子が階段を降りてくるのを見た時に夜明けの太陽を連想したり。
こんな感じで印象的な場面には描写として光が用いられている。
戦時中という闇の時代を過ごした三島由紀夫は、闇こそが絶対的なものであり、光は刹那的な儚いものであると考えていたはずである。
死に向かう絶望的なものを愛したのも、その中にいつか消えることが決まっている光を見出していたのではなかろうか。

皆さんに隙があったので自分語りをするが、私はかなり自然を愛している。
東京はマジでキモくて、自然溢れる田舎が自分の在り処だと思っている。
満員電車とか排気ガスとか街の臭いとかキモいですよね?
皆さんからも言ってやってくださいよ。
田舎を旅行した後帰宅して、タワマンの100階で「やっぱり家が一番落ち着くわ~。」とか言ってる奴らは気圧で頭が変になっているに違いない。
東京への悪口は都知事から開示請求されかねないのでこの辺りにしておく。
自分語りの続きだが、私は特に川の流れが好きなので、キャンプに行ったら1時間くらいは川中に寝そべってボーっとしている。
でもそういう時「川の中に挿入(はい)っちゃてるよ」みたいな性欲は当たり前に湧いてこない。
川の流れを愛していて、川を思うと落ち着いた優しい気持ちになるが、性欲とは全く別の話である。
主人公の園子に対する感情はこれに近いと感じた。

冒頭でこの本を読んだとき目が眩むような衝撃を受けたと書いたが、光への愛を表現した作品だと考えれば合点がいく。
三島由紀夫は闇の時代に光を求めていたのだ!
光を愛する人間といえば印象派画家のモネが代表的だが、彼の絵画にも一粒一粒の光への愛を感じる。
見た時に穏やかなような緊張感のあるような荘厳なような気持ちになるのは、偉大なる愛を目の前にしているからに違いない。
なるほど人は光を映した作品を見るとき、描かれた光そのものを見ているんだなぁ。

私の文章を読んでいるあなたが、涼しい川のせせらぎを感じているように。

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