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サウナ(鶯谷編)

(こちらの記事を先に読むと面白さ倍増なんです。)

近年の春夏秋冬は趣に欠けている。
私が幼い頃は、緩やかに移り変わる花の色こそが日本の四季の情緒だった。しかし今の四季はなんだ?季節と季節の間に明確な隔たりがあり、急に暑くなったり寒くなったりするからやってられない。それならそうで「明日から冬になるので上着を用意してください。」と神か何かがアナウンスしたらどうなのか。全く気の利かない融通の利かない神である。

今年の冬も例に漏れず突然やってきた。
やってきた繋がりで言えば、私はサウナにやってきた。
そうです、本記事はまたしてもサウナ回です。
前回の御徒町サウナからわずか2週間しか空いてない。モチベーションを損なわないように、間髪入れずにサ活してきた。

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満を持してやってきたのは鶯谷。”ひだまりの泉 萩の湯”。
駅から5分の好立地に惹かれ、まんまとやってきたのだ。
前回のサウナは御徒町、今回は鶯谷となると、私のことを”台東区サウナ大使”だと勘違いする方も出てきそうだがそんなことはないのでご安心を。
受付で料金を支払いバスタオルを受け取ったらすぐに脱衣所へ。一瞬で全裸になって浴場への扉をガラガラと開く。
ほう…前回のサウナよりも湯舟の種類が多い。普通の風呂、高温風呂、ジェットバス、半露天の岩風呂、これだけあれば銭湯だけでもかなり楽しめそうだ。
シャワーの後、気になっていたジェットバスへ向かう。一人分のスペースがコの字型に区切られており、背中側からジェット水流が猛烈に噴き出してくる仕組みだ。入ってみるとこの水流がなかなか強い勢いで、パワーみなぎる若者の私でも吹き飛ばされそうだ。両隣のおじいさんたちも命懸けといった様子だ。必死の形相で手すりにしがみついている。

老人の死を目の当たりにするのは御免なのでサウナに向かう。
30人程度は入れそうな広いサウナだが、私以外に4人しかいない。大学生と思しき若者が2人、薄ら禿げの中年が1人、髭の長い老人が1人。多様な年齢層の人がいるのを見て、サウナというのは誰でも手軽に出来る趣味であることを再確認した。こんなに手軽なんだから流行るのも納得だ。
座席に腰掛け前方に設置されたテレビを見ると、お笑い芸人の食レポが放送されている。前回のサウナでは人が死にまくるバイオレンス番組が流れており気が気でなかったが、こういう平和的のほほん番組だと心が落ち着く。ついつい長居してのぼせてしまいそうだ。今思えば長居対策としてのバイオレンスTVだったのかもしれない。
7分が経過し一回目のサウナを出て水風呂へ向かう。
前回は断念した水風呂に今回は挑戦すると覚悟を決めてきたのだ。まずは様子見として、ふくらはぎまでそーっと入水してみる。
「ダメかもしれん。」
ダメかもしれん。ふくらはぎ程度でこの体たらくである。
本当に痛烈に爆裂に冷たすぎる。まったくいい加減にしてほしい。(※湯加減とかけたギャグではありません。)
もう少しぬるま湯にしてくれてもいいのに。そんな私の心も知らず、水風呂はふくらはぎから全身を凍えさせていく。
いかん、このままでは覚悟が折れる。ここで諦めるのは格好がつかないと判断し「ええいままよ!」「てやんでい!」と内なる江戸っ子を奮い立たせ、一気に胸まで浸かることにした。
…妙だな、さっきまで程寒くない。
きっと頭がおかしくなったのだろう。しめたものだ。
これ幸いと1分程浸かり、楽しみにしていた岩風呂へ直行する。
四方は壁に囲まれているが、天井が吹き抜けになっていて青空がよく見える。半露天は初めてだが、これはなかなか良い物だ。
岩風呂の水温は40℃程度であろうか。熱すぎず冷たすぎず気持ちいい。ついさっきまで熱すぎと寒すぎの地獄を味わっていた私には極楽浄土の心地である。
いつまでも浸かっていたいという気持ちはあったが、人が増えてきたため浮上。2セット目のサウナへと向かう。

さっきはガラガラだったサウナがほぼ満員である。内部に満ちる熱気が蒸気なのかおっさん由来の湯気なのかはわからないが、扉を開けた以上入らざるをえない。
奥まったところに座席が空いていたので座ってみたのだが、角度的にテレビが見えない仕様になっていた。テレビどころか時計も見えない最悪の位置取りである。
初心者サウナーである私は黙々と熱気に耐えることが苦手なのだ。テレビが見えないとなると、周りにいる全裸男性共の観察日記をつけるくらいしか暑さを紛らわす手段がない。
隣には私と同い年くらいの筋肉質な青年、右斜め前方には100kgはあるだろう巨漢、入口付近には髭の長い老人。
…妙だな、この髭老人さっきもいなかったか?しかも場所が変わっていない。
死んでたらどうしよう。
事件の臭いがしてきた。
死んでないにしても意識があるかどうかもわからない。「死んでませんか?」と声をかけたいところだが、「死んでませんけど。」などと返事をされたら気まずさ爆発である。
それにしてもピクリとも動かない老人である。家電売り場のルンバの方がよっぽど活動的だ。生命の息吹を感じないと言うか、立ち上がったり歩いたりする姿が全く想像できない。
もしかして幽霊なんじゃないか?そう考えると合点がいく。生前このサウナで自身の限界に挑み、脱水症状で命を落とし地縛霊と化したのだろう。目を凝らすと少し透けて見えるような気がしないでもない。
一安心だ。地縛霊ならもう死んでいるのだから心配の必要はない。思う存分死んでいてくれてどうぞ。

体感で5分程が経過した。
事故物件サウナを出て水風呂→岩風呂コースへ。
この岩風呂は何度入っても本当に気持ちいい。胸から下は湯舟で温かく、顔には冬の風が涼しい。極楽気分とはこのことである。将来家を建てるなら半露天風呂付の家にしたい。ここを我が家にしたっていい。
そんないい気分に浸っていたところに、さっきの地縛霊が目の前を横切った。
まさか成仏したのか?
サウナの地縛から解き放たれたのか、先程よりも血色が良いように思える。
たしかにこの岩風呂を極楽浄土だとは言ったが、それはあくまで比喩表現であって、リアルにあの世などとは当然思っていない。
しかし霊魂が現れるとなれば話は別だ。
天国とは宇宙の上にあるのではない、鶯谷にあったのだ。

サウナ→水風呂→岩風呂を4セット終え、最後に外気浴をしようという話が自分の中でまとまった。
岩風呂の脇にある椅子に座って目を閉じ、東京の風を感じる。
1分ちょっとそうしていると脳がトロンとしてきた。
頭がぼーっとする。岩風呂に注ぐ水の音以外何も聞こえない。自分の輪郭がぼやけ、世界と調和していく。そんな感覚に陥った。
アラバスタでMr.1を斬った時のロロノア・ゾロが似たようなことを言っていた気がする。
今思うとこれが”整う”ということだったのだろうか。
もっと体の底から湧き上がる幸福感みたいなものを想像していたが、体験してみると案外静かな心地よさであった。
『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』に、”ゼロになるからだが耳をすませる”という歌詞があるがまさにそんな感じだ。木村弓さんがサウナで整った時の体験を元に作詞したのだろう。素敵な話ではないか。

最後に食堂でビールを飲み、とってもハッピー脳みそアルコールハイ状態になった。これがなければわざわざサウナで脱水症状になった意味がない。私が自分を追い込むのはその後にある贅沢のためなのだ。誰が好き好んで灼熱になったり凍えたりするか。全てはビールのために。May the beer be with me.

…さて、次はどこのサウナに行こうか。

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