カラヴァッジオ ~絵以外がヤバイ人~
多芸より一芸に秀でよ。
そんな感じで、集団的な価値観よりも個性を重視しようとする傾向に相変わらず邁進する昨今の社会。
尚且つ、二兎や三兎も追わず一兎を追う方が、このコンテンツとメディアが溢れる中で生き残ろうするならば、何かと結果が伴うとはよく言われることです。
まさに「芸は身を助ける」。
それは、およそ500年前の西洋美術においても言えること。
人間性と言動が犯罪級に終わってても絵が上手過ぎて生き延びた、そんなヤバイ輩がかつて存在していました。
その名も、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ。
(サムネは自画像でなく後年、別の人が描いた肖像画。あとダビデ像は作ってない方のミケランジェロ)
ルネサンスも終わりに向かった1571~1610年のイタリアに生きた画家であり
その短命な人生にも関わらず、そう言うように言われてるんですか?と疑いたくなるレベルで多数の巨匠に尊敬される巨匠レンブラントに多大な影響を与えた人物です。
カラヴァッジオの知名度はヨーロッパ中に轟くほどであり、カラヴァッジオの画風に傾倒した「カラヴァッジョスキ」というファンクラブみたいな一派が美術史上に名を残すなど
カラヴァッジオがいなければ生まれなかった芸術があると断言できるほど。
現代でも稀有な評価を得ており、ユーロ前のイタリア通貨であるリラ(2000年当時)の100,000リラ紙幣にカラヴァッジオの作品と肖像が印字されているなどまさに偉人的待遇(因みに1つ上で最上の500,000リラはルネサンスの三傑、ラファエロ)。
そんな誰もが疑わぬ巨匠カラヴァッジオが放つ作品の一つがこちら。
キリスト(画面右端)が復活後に弟子マタイ(左端の土下座見たいなポーズしてる人※諸説あり)を訪ねる聖書の場面を描いた本作。
はい上手い。上手過ぎる。
ただ「普通に絵が上手い」だけでなく、カラヴァッジオが求めた芸術は異様とも言える「極端な明暗」の描写でした。
圧倒的なリアルさに不自然なほど強烈な明暗が加わることで
画面はただ目で見るような景色から圧倒的なドラマティック性を帯び、様々な視覚効果が施された映画のワンシーンかのようにまさに”劇的”。
さらにカラヴァッジオの明暗、つまり光と影への拘りは画面に留まりません。
実際に絵画が展示されてる場所ですが、作品上の窓から注ぐ自然光が絵画の光に実際に影響しているかのような演出。
エンターテインメント性が爆発したカラヴァッジオというよりこの時代全てを代表する傑作です。
(因みに画像の正面、見えないけどその右にもカラヴァッジオの絵があって同じような光の演出がある。まじヤバイ)
これほどの巨匠であればお札になるのもさもありなん。
さぞや人格者でもあるかと思えば、期待通りのヤバイ人。
簡単に言ってしまえば
超絶絵が上手い銃刀法違反で住所不定の少年好きで厨二病な犯罪者
それがカラヴァッジオさんです。
超絶絵が上手い、ってところを除けばただの危ないおじさんなんですが
逆に言えばその要素を払拭できるぐらい絵がバチクソに上手かったわけです。
そんな当時のカラヴァッジオの有様を見事に描写したものがこちら。
マジでこんな感じだったようです。
まず、なぜか年がら年中黒いマントを羽織り、騎士階級でしか所持が許されない剣を常に持っていました(この時点で犯罪)。
挙句常に黒いデカい犬を連れていた模様(多分手綱なし。してたら逆に可愛い)。
性格面も「俺が倒せるか‼」全開だったため常に喧嘩が絶えなかった始末。
そんな折、喧嘩の挙句相手を殺してしまう事態となります。
巨匠だろうが厨二病だろうが犯罪は犯罪なので当然カラヴァッジオも独房にぶち込まれることになります。
「これはヤベェ……」
と悲嘆したのはカラヴァッジオというより教会のお偉い様たち。
「アイツ牢屋に入れたら絵描いてもらえないやんけ!」
という現代だったら(多分当時も)半端なく私欲にまみれた理由でカラヴァッジオは見事に釈放
と、言っても自由の身ではなく簡単に言えば当時のヨーロッパ(というかイタリア)は小国・領土ひしめく地域であり場所によって権力の及ぶ範囲が変わります。
そのためカラヴァッジオは、あっちの教皇が呼べばそっちで匿ってもらいながら絵を描いて
止めとけばいいのに(流れ弾的なものもあった)問題を起こしてまた別のところで……各地をカウボーイさながらに放浪します。
そんなことができたのも、ぶっ飛んで絵が上手かったから、であり超人的な技量と人気の賜物と言えます。
最晩年の記録は非常に曖昧ですが、安息の少ない日々の中、病に倒れたと言われます。
大画家たる安泰と安住はなく、予期せぬ権力闘争やらに巻き込まれ常に”敵対勢力”に狙われながら
逃げる→絵を描く→逃げるを繰り返す生涯だったカラヴァッジオ。
傍若無人で粗暴、と完全に言いきれない部分もあったのか
下の「ゴリアテの首を持つダビデ」などでゴリアテの生首は自身の肖像であり、贖罪の意志もあったと言われています。
※
実際は割としたたかだった説があり、騎士階級が欲しくてマルタ騎士団長へ、恩赦特権が欲しくて権利のある枢機卿へ、それぞれ絵を寄進している(多分 まったく改心も反省もしてない)。
また首を持つダビデを自分の好きな美少年で描くことあたり性癖が出てるとも言われ、ドMショタコンという追加属性が付与される。
※
カラヴァッジオの名作が日本に来ることはまずありませんが、皆さまもイタリアなどで作品を見た時は
「とんでもねぇヤベェ奴でも一芸に秀でればなんとかなるんやな」
と思いを馳せていただければ。
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