見出し画像

『マリウポリの20日間』から垣間見るウクライナの800日間

 アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した一作。「本当はこのような映画は作りたくなかった。ロシアの侵略をなかったことにしたい。私に歴史は変えられないが、映画は記憶となり、記憶は歴史を作る」というミスティスラフ・チェルノフ監督の崇高なオスカー受賞スピーチは忘れがたい。
 これはAP通信のウクライナ人記者であるチェルノフが、2022年2月のロシアの侵攻開始から20日間、国境の町マリウポリに踏みとどまり、危険を承知で現地の惨状を国際社会に発信しようと奮闘した記録である。

 戦争は空爆と砲撃から始まる。非軍事施設が見境もなく爆撃され、子どもを含む大量の重傷者が続々と病院に搬送されていく。
 数日後には車体にZのマークを記した戦車が到来。地上戦の開始だ。ウクライナ軍がどれほどの防衛体制を敷いていたのかはわからないが、本作を見る限り、制空権もなければ、陸路もフリーパスに近かったように思える。
 チェルノフ率いる取材チームが病院を拠点にしていたこともあり、応急処置や救命処置に奔走する医療スタッフの献身ぶりは繰り返し描かれる。それは震災やパンデミックの際にも見られた、本当に頭の下がる光景だ。
 しかし他方では人心が荒廃し、商店で略奪をはたらくヤカラも出現。この状況下でサッカーボールを持ち去ろうとする男の愚かさと、業を煮やした女性店主の悲痛な叫びは、戦争のある一面を、象徴的にとらえていたのではあるまいか。
 処理しきれなくなった遺体を塹壕に(埋葬すると言うよりは)投げこむ様子も、ずいぶんと杜撰に思えた。とはいえ、いつ砲弾が落ちてくるかもわからない中で遺体処理に従事していた人たちを、誰が責められるだろうか。

 世界に向けたチェルノフ班の情報発信は、通信事情の悪化で次第に困難を極めていく。そして最後には、録画した記録媒体そのものを、ロシアの占領地を突破して持ち出さざるを得なくなる。今まで考えたこともなかったけれど、ベトナム戦争やイラク戦争では現地からの映像がじゃんじゃん届いていたのだから、この点だけ取れば、現在の方が技術的に退歩してるんじゃ?
 送電網もケータイも不通になる中で、懐中電灯として使うためだけに、人々がポータブル発電機でケータイを充電する一コマは、なんだか近未来フィクションの一場面のように思えた。

 苦労して電波を拾い、細切れで送り出した映像が、ロシア側からフェイクだと決めつけられたことは、ジャーナリストであるチェルノフの矜持をいたく傷つけたようだ。だが、西側に届いた映像は、果たしてチェルノフの思いを十分に伝えたのか?
 このドキュメンタリー映画の製作・監督・ナレーションをすべてこなしたチェルノフは、壮絶な取材の実態を知らせる実録映像の合間合間に、各国のTVニュースが自分たちの配信映像を報じたときの録画を挿入している。
 彼がなぜそういう構成を選択したのかはわからない。単に「俺たちの撮影した映像が、こうして世界中のメディアで流され、真実を伝えたんだぜ」と誇りたかったのかもしれない。
 しかし、こういうこともまた言える。観る者の主観に肉薄してくるような本作の生々しい映像に比べれば、TVニュースで切り取られたそれは――同じ被写体が映っているのにもかかわらず――あまりに断片的・客観的であり、それゆえに奇妙に距離感が遠い他人事のように感じられてしまうのだ。その点を指摘し、皮肉る(あるいは、少なくとも残念がる)意図が、チェルノフになかったと言い切れるだろうか?
 そこに思いが至ったとき、私たちは ふと一歩あとずさりし、ひとまわり視野を広げることを強いられる。開戦からすでに800日にわたってこの戦争を直に体験している人々の目には、この「主観に肉薄してくるような生々しい」ドキュメンタリー映画さえもが、「あまりに断片的・客観的な他人事」のように映るのではないかと。
 たった1人の人物の狂気のために、今も地獄に投げこまれている市民と両軍兵士たちの無事を願わずにはいられない。

『マリウポリの20日間』
20 DAYS IN MARIUPOL
(2023年、ウクライナ=米、字幕:安本熙生)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?