山本一郎(やまもといちろう)
俺とワコム
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俺とワコム

山本一郎(やまもといちろう)

 長らく非モテで困っていた私が、当時働いていた秋葉原のLASER5社の取引先のひとつだたワコムの「おっさん」から呼び出されたのは夏過ぎだったと思う。ワコムは言わずと知れた、創業者が統一教会だけどあんまりそれっぽくないと当時から話題となっていた、液タブなどを手掛けるまともな製造業の会社さんである。昔もいまも、ワコムには悪い印象そのものはない。

 美味しくない末広町のランチブッフェ(速攻潰れた)の派手な赤チェック内装でパスタランチをおごってくれるというので足を向けたのだが、当時はすでに私自身が投資で成功しつつあって、少し自信過剰になっていたのもよろしくなかったと思う。当時は気も大きくなって、誰とでも会い、仲良くするのが人間同士の付き合いだと思い込みすぎていた。

 美味しくないランチブッフェでまず言われたのは「山本さん、お相手がいないんだってね」という単刀直入すぎる切り出しから来た「いつでもいい人紹介しますよ」なる殺し文句だった。

 いい人ってどんなんだ。

 「まあ考えておきます」と返しておいたものの、気にはなる。何と言っても懐の中はまあまあ暖かいけど人生自体は旱魃であるという残念な状態から早く脱却したいという気持ちは強く持っていたから。

 そうこうしているうちに忙しくしていて数か月が経ち、私よりもはるかにうだつが上がらない(と当時は思っていた)古い友人からなんか豪勢な封書が自宅に届き、何だろうと思って開けたら結婚するという。

 仰天した。

 何で「そいつ」が?? 羨ましいとか悔しいなどという気持ちではなく、最初に浮かんだのは疑念である。警戒感の水位が上がる。何か良からぬ背景関係があったに違いない。

 思い返せば、中学卒業の時点から良くつるんでいた「そいつ」は、まあ勉強は良くできたがいわゆる底辺オタクであり、TRPGをやったりフィギュアやトレカを収集するようなまあまあ外向的な人間でもあった。バブル崩壊後に羽振りが悪くなって親が破産するのなんのと大騒ぎしていたが、大学卒業にはギリギリ間に合い、秋葉原の別のショップに勤めていたので、たまに秋葉原巡りで一緒になったりしていた。ひとりで両国に限界集落のようなアパートを二部屋借り、片方は収集物の倉庫に、もう一方はごみ溜めのような生活の拠点となっていたのをよく覚えている。

 一度だけ、「そいつ」の自宅を訪れたことがあるが、あまりの住環境の悪さに蕁麻疹が出て以来二度と足を向けていない。

 「そいつ」がまさかの結婚とは。

 で、封書をしげしげと見ると、実に特徴的なしつらえがあるのに気づく。よく見ると、挙式場所とされる某教会、見覚えがあった。

 おわ、これは統一教会やないか。

 統一教会と言えば、慶應義塾大学の自治会をやっていた当時、左翼ケーサークルと並んで監視の対象としていた原理研究会やダミーサークルの母体とされ、義塾大学当局と当時の全塾協議会とで話し合いをし、日吉の部活棟である「塾生会館」や三田のクラスルームからの排除を進めた記憶も生々しい。一度、激しく抵抗されて、脇腹を掴まれ着衣を破られた際に、思い切り顔面に左ストレートを撃ち込んだのも覚えている。あれは悪いことをした。

 また、大学2年のとき留学前に履修していた松本二郎一般教養ゼミで一緒に学んだクラスメートにも統一教会の熱心なやつがいた。とてもいい奴だったが、悶絶するほど美味しくない三田の学食でわざわざ隣に座ってきては「君もキリスト教信者なのだろう。一緒にこっちにおいでよ」と臆面もなく勧誘してきては断るという定番ムーブがウザかった。

 そんな統一教会に「そいつ」が行ってしまった。まあゴミ屋敷に住み風呂にも満足に入らないようなやつではあったから、そうでもしないと結婚できないのかなと思いながら、「ご」を消し、欠席に丸をして返信用はがきを投函した。それでもう二度と会うことはないのかなとぼんやりと思った。

 半年ぐらいして、すっかり忘れて赤坂の実家を出て四谷のワンルームにお引越しをしたころ、深夜に呼び鈴がピンポン鳴った。半年経ったところで私が非モテであることに変わりはない。ただ、自分なりに仕事がまあまあうまくいって充実していたころだ。

 玄関を開けてみると… 顔見知りの「おっさん」と「そいつ」であった。

 「おっさん」はやけににこやかで、また「そいつ」も昔のようにドロドロのポロシャツでにおいを発する状態でもなく、ごく普通の存在になっていた。なんだ、小奇麗にしやがって。しかし、まずは気になる点があった。

 どうやって、この新居を割り出したのか…?

 そこからして疑問で、会うなり警戒感マキシマムになった。私の怪訝な表情を知ってか「おっさん」は親しげに話しかけてきた。

「山本君、まだ独り身なんだってね」
「そうですね。急にお越しになられて、何か御用ですか」

 久しぶりに訪問してきて、第一声が「おまえシングルやろ」というのはどうにも胡散臭い。振り切れた警戒感を超えて私の中に怒りゲージが溜まり始める。

「実は、今度『交流会』をやるんです。山本君も、ぜひどうかと思って」
「すいません、間に合ってます」
「まあ、そういわずに…」

 「おっさん」は、改めて私の手に名刺を押し付けてきた。統一教会の教会らしき名称と肩書が記されている。

「仕事とは別に、こういう活動をやっていまして」
「はあ」
「山本君のような、素敵な人と一緒にやれたら、どんなにいいかと」
「悪いんですが、関心ないんで」

 玄関前での話し合いは15分にも及んだ。さすがに近隣の目もあるので引き取ってもらい、後日面談することになってしまった。

 いま思うと、彼らの言う教義なのか、売り文句に対して反論をしたら、取り込まれてしまったかもしれない。私が一貫して伝えていたのは彼らの提案や話に「興味がない」「関心がない」という言葉で、別段相手の言うことを否定するものではなかったので攻め込めなかったのだろう。

 セミナーや勉強会があるという誘いはすべて断り、また、当時私はウォーリック社という台湾などから組み立てPCパーツを並行輸入したり、海外に中古のプリント基板を輸出する仕事を立ち上げ軌道に乗っていたので忙しくしていた。確かに人生の潤いは求めていたけれど、インド人を雇ったり、日本に留学していた台湾人の子たちの面倒を見たりしていて、自分なりに二本の足で立って社会人として切り盛りできていたのは楽しかったのである。

 そうこうしているうちに、見覚えのある封書が何通か、やってくるようになった。どれもこれも、かつて秋葉原でご一緒していた、どちらかというと女性には無縁そうな、イマイチうだつの上がらないやつらからの、結婚式への招待の封書だった。5通ぐらいは受け取っただろうか。

 ヤバイ。身の回りに、新興宗教が蔓延している。よりによって、そういう免疫のいかにもなさそうな、イケてないオタクばかりが引っかかっている。

 話の分かりそうな有志を身の回りで募り、片っ端から「そういう宗教にハマってないか」「変な提案が『おっさん』から来ていないか」聞いて回った。果せるかな、当時秋葉原で横のつながりのあった連中のうち一ダースちょっとのメンバーが何らかの接触があり、うち4人が具体的に何かをしでかしていることが判明した。

 引き戻すべきか。

 そこが悩みだった。同業界の顔見知りとはいえ、他人の人生にどこまで踏み込むべきなのか。

 また、この界隈にはかつて「マハーポーシャ問題」というものが存在した。あまり多くを語りたくない。彼らのしでかしたことの重さに比べて、概して連中は「いいやつら」だったのである。いろいろあった。

 しかも、本稿にオチはない。有志三人で、意を決してこのワコムの「おっさん」に、穏やかに申し入れをしたのが最後である。

「悪いんだが、うちら界隈で布教すんのやめてもらえないか」

 奇しくも場所は末広町の、たいしておいしくないランチビュッフェだった。30分ちょっとの問答ののち、あっさり「おっさん」が「分かった」と言って、その後、本当に界隈に顔を出さなくなったのである。私らは別に強く出たわけでもなく、フッと消えてしまった「おっさん」には驚いた。過去の経緯からして、もっと何かいろいろあるものだと思っていた。半分先方に足を突っ込んでいた面々も、頭を掻き掻き何事もなかったかのように戻ってきた。信仰だ結婚だという話は嘘のように消えた。何件かの、結婚は別として。

 「おっさん」の消息は分からなかったが、一時期結婚した「そいつ」は再びぷらっとほーむというPC屋に就職して、彼は彼で信仰など特になかったかのように振る舞い、韓国人だという結婚相手の女性との間に生まれたかわいい男の子を二人連れてきていて、いまだにFacebookで友人である。それ以外の面々も、なんだかんだ全員連絡はつくと思うが、確かひとりは破産してしまった。原因は知らない。信仰かもしれないし、事業かもしれない。

 一方の私はと言えば、いまの家内と巡り会って結婚するまで10年童貞が続いた。
 なぜだ。


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山本一郎(やまもといちろう)

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント

山本一郎(やまもといちろう)
作家/投資家。当アカウントは概ね個人の意見です。情報法制研究所上席研究員、お座敷置物芸全般。ゲームと読書と野球と調べものと。