西村博之的なるものと、政治案件の抜群の相性の悪さ
例の辺野古基地関連で、座り込みしているはずの左翼が看板の前にいなかったことをひろゆき(西村博之)さんがTwitterでイジったところ、盛大に騒ぎになって10日ほどが経過しました。
WiLLで解説記事を書いたら、今度はひろゆきさんのYoutubeで沖縄の人の喋り方がおかしい的な発言をしたようで、これはこれで地域差別だと物議を醸しております。
元気があってよろしいと思います。
どうせコメントは使われないのは承知の上で、何件か電話取材を受けるにあたって、どうも世間では「ひろゆきさんは(そんなことをいう人ではないのに)変わってしまったのではないか」と思われているようです。私に言わせれば、20年ぐらい前からずっとあんな感じです。最近では文化人に祀り上げられるなどのバブルが発生してちやほやされていますが、2ちゃんねる時代もニコニコ動画末期も「うまくいって、調子に乗って、やりすぎで叩かれて、疑心暗鬼になって、沈んでいく」を繰り返してきた人なので、むしろ人気があるからとひろゆきさんの放言を面白がって起用してきたメディアの側が責任を負うべきタイミングが来るのかなとも思います。
他方で、ひろゆきさんは自己客観視もできるし、自分を崇め奉っている人たちにたいした人がいないこともまた理解しているため、これはもう2ちゃんねる時代と同じく「敵に回すと怖ろしいが、味方にすると頼りない」群衆の扱いの問題でしょう。
で、実際にここまで燃える理由というのはふたつあって、ひとつが「統一教会問題ではひろゆきさんは反教会側に回り、一度は左翼がひろゆきを絶賛した」こと、もうひとつが「ひろゆきさんが指摘したのは本当の左翼活動・反基地活動の欺瞞の部分であって、進み過ぎた高齢化や粗暴な活動など左翼が触れて欲しくなかった部分に触れた」ことだろうと感じます。
ひろゆきさんからイチャモンをつけられたときは、基本的に無視をしておけば数日騒ぎになるだけで静まるのが普通なのですが、左翼の人たちからすると自分たちの活動の欺瞞を指摘されるとマジ切れする行動様式があり、看過できないのは分かります。
ただ、あまり知られていないことですが、ひろゆきさんも唯我独尊のように見えて他人の評判をとても気にする男で、批判や反論を許せず、損得関係なく延々とやり返す粘着の類の「謝ったら死ぬという病」を患ってます。腰低く振る舞えるのは利害関係者の中でも持ち上げてくれる人に対してだけであり、一度、否定されたらとことんまで反論したくなるのがひろゆきさんの真の姿とも言えます。
それが吉と出れば統一教会問題のように政治的課題を真正面から正論で語れるヒーローになる反面、凶と出ると周りも巻き込まれて面倒くさいことになるわけでして、今回の件も「座り込みしてないじゃないか」というとこだけ揶揄していれば良かったところ、さらに踏み込んで沖縄の人たちの日本語の喋り方がおかしいという話までしてしまうと諸々のことが逆回転をし始めます。ああ、いつか見た光景だ。
2ちゃんねるとニコニコ動画のころと今回の沖縄問題とが異なるのは、いまやひろゆきさんには守るべきものがあるということです。いまのひろゆきさんはYoutubeで人気を博し、歯に衣着せぬ発言でメディアに出られるところにひろゆきさん自身も価値を感じるようになってしまったが、沖縄問題で差別発言をしたからにはYoutubeからのチャンネルBANの通報が殺到したり、出演しているメディアに対するハレーションが起きてしまいます。
2ちゃんねるもニコニコ動画も基本的には自分自身の力である程度どうにかなる世界で勝負していたので、カネができてもうまく逃がすことはできたのでしょうが、一度メディアが叩きモードに映ると面倒なことになりかねません。望みどおりにちやほやされなくなると、基本的にひろゆきさんはいつもの通り逆回転を始める人なので、心配しています。今回もそうならないように祈ります。
基本的には、ひろゆきさんの統一教会に関する批判的発言や、沖縄基地問題における左翼の暴力的活動の再炙り出しなど、本人は揶揄して面白がっているだけでしょうが、政治的にも社会的にも価値のあることだったと思います。ひろゆきさんが、座り込みが嘘だと馬鹿にし、左翼のリーダー格の山城博治さん自身が暴力行為を働いていた映像が蒸し返されていたあたりは最高でした。ただ、明らかに沖縄県民の喋り方がおかしいという発言はやりすぎでした。ひろゆきさんの周りには、相変わらず太鼓持ちと商売人しかおらず、支えてくれるまともな大人が一人もいなかったようです。まあ、疑心暗鬼になって毎回切っちゃうから残らないんでしょうけれども、今回も調子に乗ってやらかして、積み上げてきたものが台無しになってしまうことの繰り返しだけは避けたほうがいいかなあと感じました。もう遅いかもしれないけど。
「ひろゆきさんは学びもしないのになぜ批判するのか」というのは取材で何度も聞かれることではありますが、学んだらひろゆきさんのようなことは言いません。ひろゆきさんのファンや持ち上げている人たちもまた、たいして学んでこなかった人たちばかりなのは、良いとか悪いとかではなくそういう社会的ファンクションなのだし、なぜこうなったと言われても、昔からそうであったとしか言いようがありません。
それはそれとして弁えていれば、ひろゆきさんは愛すべきキャラクターであり、良いところだけ見て付き合ったり、危なさを感じてしっかりと距離を取ることの大事さを教えてくれる逸材であることは間違いないのです。