見出し画像

LGBTQ問題から距離を置きたい、とても個人的な経験の話

※ 本記事は、私の有料メルマガ『人間迷路』に収録している記事で、メルマガをご購読されている方は配信の中に入っておりますので、間違ってお買い上げにならないようご注意ください。https://yakan-hiko.com/kirik.html


 先日朝井リョウが小説『正欲』で、自分のオリジナルな、ありのままの欲望なのに、社会的に正しくなかったり、マイナー過ぎて「ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)で守られない側の多様性」について表現をしていました。

 性的なものに限らず、マイノリティというのはどこにでもありうるものだし、自分が多数派だと思い込んでいても実はある分野では他の人と嗜好が異なるマイノリティだということは往々にしてあります。そこにリベラル的な多様性の持つ欺瞞と一緒になると「社会的に容認されるマイノリティ」の声だけが大きくなる現象というのはあるんじゃないかと思うんですよね。

 私がホモやゲイの人たちが嫌いなのは過去の体験からであって、別に彼らが生理的に嫌いだとか、本能的に駄目だという話ではありません。理性では彼らの権利は守られるべきだし、同性婚はある程度社会的に許容されるべきだし、キリスト教的観点から見ても隣人の神の子としての尊厳が認められる方法について吟味されるべきだとは考えます。

 ただ、感情はそうではなかった。非常に、残念なことに。私には、事実を受け入れて、乗り越えなければならない壁が、そこにはあったのです。

 48歳のいまでこそ、心技体そろった小太りのおっさんであり、妻子を養う父親ではありますが、若いころは細身のまあまあイケメンでありました。

 ただ、いまごろの秋に差し掛かると毎年思い返すのですが、長い反抗期を迎えたころ、男子校である高校でクラスメートである男の子から「告白」をされたことで、そう少なくない一定の割合いるホモのカミングアウトに直撃されることになります。それまで、自分が「ポピュラーな異性愛者である」ということすら、高校生になるまで考えたこともありませんでした。精通も遅く、心配したお袋が成長クリニックへ私を連れて行こうとしたぐらいで、その点では、非常に奥手だったと言えます。見た目で惚れる系の初恋らしい初恋もなく、そんな性的なことすらまったくもって考えたこともなかったところへ「お前が好きだ」と意を決して伝えに来る男性クラスメートに面喰らい、驚き、悩みました。そんなの漫画か青春映画の中のことぐらいかと思っていたのです。

 何を言っているのか分からないわけですよ。好きだ、と言われても。
 困るわけですよ。そもそも彼含め級友を、そういう目で見たことがないから。

 良く分からないので、気持ちを受け止めようがないことを伝え、また今度話をさせてくれと言っても、彼は物凄いハードルを越えて告白をしてきているのもあって、いま、即座に答えが欲しいと言ってくるのです。真摯に。強引に。正面から。でも、私も、さすがに回答のしようがない。むしろ、ここが修羅場になって、相手が嫌な思いをして、嫌われて、いま気に入っているクラスに居づらくなったらどうしよう。そんなことを一瞬考えていたのをよく覚えています。ごめん。ほんとごめん。受け止めるまで時間がかかる。困り果てながらもその場は凌いで、ただそこから二か月は地獄でした。

ここから先は

6,638字

¥ 200

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント