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静 霧一 『Another』


「ねぇ、明人君」
「なに?」
「もしさ、私が私じゃなくなったらどうする?」
「なんだよそれ。意味わかんないよ」
「だよね。ごめんね、変なこと聞いて」

 深夜1時の電話。センシティブな感情の時間。

 私はあははとおどけた様子で、電話口で作り笑いを浮かべた。
 その様子に、明人は「芽衣、俺がいるんだから心配すんな」と優しく囁いてくれた。

 ◆

 彼に秘密にしている趣味がある。
 私は恋愛小説家であった。

 小説家というにはおこがましいが、もう何年も前から小説を書いているものだから、「小説家」と名乗っても問題はないんじゃないかと自称しているのだ。
 そのほうが、「物書き」よりも少しばかり格好がつくという、不純な見栄のようなものも混じっていた。

 明人と付き合い始めて1年が経つが、趣味の話となると、映画鑑賞や読書などと、適当に話をはぶらかしては別の話題へと移り、「小説」について話そうということをしようとはしなかった。

 だから彼は私が小説を書いていることなど知りもしなかった。
 そして私もそれを教えようなどとはさらさら思ってもいなかった。

 私の小説は文字通り恋愛小説である。
 恋愛小説といってもその境界線は曖昧で、青春小説、オフィスラブ小説、百合小説、BL小説、はたまたファンタジー小説にSF小説と、恋愛要素が含まれていえば、それは恋愛小説をくくることが出来る。

 私はその中でも「別れ」をテーマとした恋愛小説を描いていた。

 恋愛小説といえば、その大多数がハッピーエンドで終わるものが多いが、私にはそんなドラマティックな小説を書けるほどの才能がなければ、アイデアさえ浮かんでこない。
 唯一、私が他の恋愛小説家に比べ、秀でた文才があるとすれば、奇しくも無情なる「別れ」を淡々と描くことが出来ることだろうか。

 私の小説のほぼ大半は、その「別れ」というものが詰め込まれている。
「死別」、「消滅」、「裏切り」、「破綻」、「決別」
 それらは全て、恋愛感情の行き着く終点である。

 だが、大衆に溢れる恋愛小説の大半のものは終着へ行き着くことはない。
 ぼやけたオチで愛の輪郭をぼやかし、さも「別れ」というものは忌避すべきテーマであると言わんばかりに、明言をしない。

 私はそんな物語が嫌いであった。
 恋愛小説家「椎名 シノン」はそれほどまでに「別れ」に執着をしていた。

 それとは反対に、現実世界に生きる「中川 芽衣」は「別れ」というものを嫌った。
 愛は永遠に存在するものであって、「別れ」を想像することを忌み嫌った。

 映画を見る際も、小説を読む際も、再会と別れを繰り返し、そして最後は結ばれる恋愛模様に何度涙したことか。
 だからこそ、私は「椎名 シオン」として書いた恋愛小説を、「中川 芽衣」が好き好んで読むことは滅多にあることではなかった。

 そう、「中川 芽衣」と「椎名 シオン」はまったくもっての別人である。

 小説を書き始めたころから、「椎名 シオン」として少しづつ成長し始め、その練度が上がるごとに人格ははっきりとその輪郭を描き、質量をもち始めた。

 まだ「椎名 シオン」が未熟であったころ、恋愛小説の中身はあやふやなでオチがあってないようなものばかりを描いていた。

 いつしか私は「椎名 シオン」として思い悩み、今まで忌み嫌った「別れ」をテーマとした作品を描くようになった。
 案外これが、ネット上では好評を呼び、私はいつしか「別れ」以外のテーマを描くことが出来なくなっていた。

「椎名 シオン」が小説を描くたびに、ファンが増えていく。
 それはすごく喜ばしいことだ。
 だがそれとは裏腹に「中川 芽衣」はそれに侵食されつつあった。

 ◆

「ねぇ、芽衣。あんた私と変わらない?」
「嫌だよシオン。私、不幸になりたくないもん」
「なんでさ。別に不幸にさせようだなんて思ってるわけじゃない」
「でも……」
「でも?」
「なんか不安……」
「なにが不安なの?」
「だってシオンは別れることしか考えていないじゃん……」
「それが何か悪いのか?」
「悪いわけじゃないけど……」
「いいか芽衣。別れを考えるということは、今の価値を知る最も尊くべきことなんだ。物事が永遠に続くなんてことを考えるほうが、無関心を引き寄せる罪悪的行為なんだよ」
「うん……」
「だからさ、芽衣。君は少しだけ休むといいよ。あとは私が上手いようにやるから」
「うん……」

 私は彼女の言葉に安堵した。
 ずっと肩を強張らせた緊張が解け、疲れ切った恋愛感情は息を潜めた。

「別れ」を極端に避けた私にとって、それは何よりも恐怖で、いつしか心の底で明人に依存している自分がいた。
 その一挙手一投足に不安に駆られ、夜も眠れず、「寂しい」と口ずさんでは目に涙を浮かべていた。
 決して彼が浮気をしているだとか、気持ちが離れているだとかそういうことではない。

 ただ不安なのだ。

 それはあまりにも私が「別れ」というものを嫌った反動なのかもしれない。
 そのせいか、いつしか私の心は憔悴していた。

 私はシオンに憔悴した体を預ける。
 彼女は優しく私を抱きしめ、頭を撫でた。

「頑張ったね」
 私はその言葉の中で、静かに目を瞑った。

 ◆

「ねぇ、明人」
「なに?」
「前にさ、"私が私じゃなくなったらどうする?"って聞いたこと覚えてる?」
「あぁ……うっすらだけど」
「よかった」
「なんで?」
「ひみつ」

 そういって私は電話口で笑った。
 深夜1時の電話。センシティブな感情の時間。

 鮮明なる「愛」が輪郭を帯びる。
 それは何物にも代え難い「別れ」を描く小説によって。

 私は小説に喰われている。
 次第に、現実と虚構が溶け合い、混じり合う。
 別れが足音を立てて、ワルツを踊り始めた。

「私は彼を愛している。ゆえに美しい」

 芽衣は泣き、シオンは嗤う。
 いい物語が書けそうだ。

 彼女は泣き顔で、にやりと笑った―――

『―――Another』

 おわり。

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