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黒猫。火傷を負う。

人間というのは、誰しにも自分の人生を表す一文というのが存在する。
太宰治なら「恥の多い生涯を送ってきました。」だろうし、ワンピースのヒルルクだったら「まったく!!!!いい人生だった!!!!」だろう。
あいにく僕は死んでいないし、人生が100年あるのならまだ4分の1にも満たしていない若輩者だ。でも、言わせて欲しい。

「僕は生まれる世界を間違えた。」

これが、僕の人生を表す一文になるだろう。今までも、そしてこれからも。

大前提として、なに自分の人生悲観しているんだよ気持ち悪りぃ。メンヘラかよ。とか、そんなことを考える幸せ者はここにはいないと信じたい。
そして、僕は別に自分の人生を悲観してなんかいない。人間の枠からはみ出している異界の存在であるとは理解しているが、それでもそれなりにこの世界は愛している。けど、この世界に僕は適応していない。それだけの話だ。

簡単に僕の事を話しておこうと思う。23歳。男性。未婚。今の所、会社員。今の所、人間。そんな、所だろうか。
次に、なぜ「今の所、人間」と記述したのか。それは、僕が保育園児の頃から周りの人間とは違かったからだ。
人間というのは、100人いたら10人ぐらいは生きづらさを抱える生き物だ。飲み会が苦手。他人を家に入れるのが苦手。そもそも、人付き合いが苦手。大多数の事が普通に感じることでも、それが理解できずモヤモヤする。そしていつしか人より劣等感を覚える。

僕の場合、それが保育園児の頃からそうだった。

他の園児が砂遊びやブランコで遊んでいる中、僕は石を拾ってそれを研ぐという遊びをしていた。楽しかったし気持ちよかった。自分オリジナルの作品ができたのだから。
でも、評価される内容では無かった。先生達からしてみれば、僕は浮いた存在で心の掴みどころがない歪な園児だった。それを、幼心に感じ取った僕はほとんどの園児が集まる場所の近くにいる事でカメレオンの様に溶け込んだ。けれど、僕の型にはまらない心はさらに浮いていった。
大人になれば治るんだろうなと思っていた。でも違った。大人になればなるにつれ、僕は孤独になっていった。

音楽が好き。でも、ライブに行こうとは思わない。アーティストの歌を聴きたいのに、聞こえてくるのは自分が主人公だと勘違いしている善人の声だから。
哲学が好き。でも、語ろうと思わない。誰も理解してくれないし、そもそも理解しろという方が野蛮だから。
人間は嫌い。でも、人間が作ったものは好き。それは、宝石以上に価値があるもので、僕もいつかそんなものを作れる様になりたいから。
SNSが嫌い。それ以上に人と直接話すのが嫌い。直接話さないと感情は伝わらないが、その感情が果たして純粋なものなのか自信がないから。

自分でも、奇妙な人生だと思う。普通に行きたいだけなのに、どうして人より多く傷ついて、そして無駄に強くならなきゃいけないのか。他の人間より、どうして人間味が薄いのか。答えを探せば探すほど、深淵に足を取られている気がして息苦しかった。
そしてある時、こう思ったのである。そもそも、僕は人間ではない。人間の形から一歩外れた何かなのだと。

だから、僕は人と連むのを辞めた。どうせ自分しか傷つかないのなら、1人で自分の世界へと進もうと。そして、自分の世界で輝こうと。
そんな事を考えて、5年ほど経った人間の考えた事をつらつらと自由気ままに書こうと思う。いつか、自分の書いた物語で同じ様に居心地悪く大人になった人を愛せる様になる事を目指して、生きていきたいなと思う異形の奮闘記を寝そべりながらでも楽しんでいただきたいと思う。

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