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エモいの定義と花束みたいな物

 今更だけど「花束みたいな恋をした」と言う映画を見た。

正直言うと、僕は流行というものが嫌いだ。

 そもそも、僕自身が流行に疎いのも原因なのだが、テレビで最近流行りの〇〇特集なんてものが組まれれば基本的にはチャンネルを変えるし、流行を血眼で追っている人間を基本的に小馬鹿にしている。

 そんなんだからか、あまり自分の好きな物は語らないし、基本的に映画は公開日に観ない。公開日に行くのは名探偵コナンぐらいだ。

 だから、「花束みたいな恋をした」も、気になってはいたけどなかなか足が伸びなかった。そのまま公開が終了してしまって、あー見ておけばよかったかなぁと思いながら数年が経過した。

 結論から言うと、見ておけばよかった。

 まあ、映画映えはしない作品ではあるだろうけど、作品自体は面白かった。それに色々と考えさせられる内容だった。まあ、彼女ができた事は無いけど。

 とにかく面白かったのだが、このnoteは映画の感想をつらつらと書くつもりは無いので、本当にどうにかして見てほしい。その方がこの映画の面白さがわかると思うから。

 毎回の事なのだが、映画の感想とか読んだ本の感想等を文字に記す際にめちゃめちゃ悩む。どれだけ文字数をかけて長文で書いても伝わらない物は伝わらないし、相手に伝わらないのなら僕がやっている行為は意味が無くなってしまう。長文を書くのは慣れているが相手に伝わる表記の仕方じゃないと伝わらない事に毎日の様にもどかしさを感じる日々だ。

 じゃあ、若者言葉らしく「〇〇っぽい」と表記すれば伝わるのだろうか。

答えはNOだ。

 例えば「あなたの事が好きです。」と伝えて「どこら辺が?」と聞かれたとする。あなたは必死に説明するだろう。

 でも、相手はどうして「どこら辺が?」と聞いてきたのだろう。きっと、相手は分からないのだ。自分を愛する人の気持ちを。そして知りたいのだ。自分のどこを好きになってくれたのか。

 こういうことって結構ある。例えば、西洋絵画を見て自分は美しいと思っても、隣の人は美しい?と思うかもしれない。美味しいもつ鍋屋に誰かと行っても、相手は楽しくなさそうかもしれない。それの理由を聞いて、「なるほど。」と改善策を考えることができる場合もあれば「なるほど?」と隣の人の思考が読めない場合もある。

 要するに。説明や評論に求められるのは、適度な長さの言葉。そして、相手に合わせた表現なのだ。

 そういうことか。と思いながら、「花束みたいな恋をした」のレビューサイトを見ていたところ、「エモい」とだけ書かれた投稿があった。俺の表彰理論とまるっきり反対な文面である。

 まず。大前提として。僕は若者言葉が苦手だ。

 若者言葉を話す若者の何が嫌って、その言葉を共通認識だと捉えて喋ってくることだ。

 前記した通り、人間というのはお互いに共通の認識がないと会話が成立しない。猫の話をしているのなら猫のイメージを。わさびの話をしているならわさびの味がお互いに認識されている状態がスタートラインである。

 要するに。今回の文面に関しては、エモいが指す定義をお互いに共有しているという前提の元、話が進まなきゃいけない。でも、エモいという言葉の意味を辞書みたいに説明できる人なんていない様に、そもそもエモいという言葉が流動的である。そんな言葉を安直に使うなんて、思考力の欠如にも程がある。作品の素晴らしさを伝えなきゃいけないのだから、相手にも伝わる様な表現にするべきだ。

 でも、困った事がある。

花束みたいな恋をしたが、エモかったのは事実なのだ。

 そう。これも大前提なのである。

 エモい映画にエモいと言って何がいけないんだ!という気持ちと、エモいという言葉をちゃんとした日本語で伝えられるだろ!という気持ちが混ざり合って、なかなかグロテスクな気分になった。

 これは、誰かがちゃんと定義付けるべきだ。

 そう思った僕は、エモいの定義を考えてみる事にした。ネット上では、エモいとは感情が複合的に動く様。と書かれていた。複合的ということは、自分の中に感情が2つある状態であり、それを言葉にするのが難しいからエモいという事である。 

 書いてみてなんとなく感じとったのだが、エモいという言葉は感受性を五感的に表す言葉というよりも、感受性を心象的に表す言葉なような気がする。

 例えば、高級食材と膨大な手間によって作られた繊細なフレンチ料理を食べて「エモい味」と表したりしないし、一見しただけでは分からない様な近代アートを見て「エモい作品」と表したりしない。

 この世に複雑な物はたくさんあるが、複雑な物を見たら「複雑な〇〇」と表すし、それを相手に伝える場合は「〇〇なイメージ」と伝える。

 けれど、成人になった瞬間に缶ビールを買った後輩のエピソードをエモいと思ったり、桜舞う中で彼氏と振り返らないで別れたらエモいと思うのが人間だ。(実体験)

エモいという感情は、一人称の人間が感じた情動を見て、三人称単数の人間が感じる情動の事なのだ。

 エモいという感情は、人の感情を深掘りしてみたいと感じた時に湧く感情だ。けれど、深掘りして感情の答えが見つかったとしても、それはきっと口に出さないで秘密にしておくのが良いのだろう。口に出したら、枯れてしまいそうな気がするから。


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